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いま、一人ひとりに求められているのは、「自律」

63歳になった。中学生の頃、63歳なんて聞いたら「めっちゃ年寄りやん!」と思ったものだ。当時高校野球見ても「おにいさんたち」と思ってたし、プロ野球なんて、「おっちゃんばっかり」だったのが、いまや監督含め全員年下だ(例外:原監督は同い年)。

おかげさまで元気いっぱいやってます。身体は正直なもので、まあ、あちこちガタ来てるといえば、そうなんだけど、この年齢にしては元気だ。昨年からこっち、ずっとコロナちゃんと一緒な毎日を過ごしていて、これには振り回されている。緊急事態宣言が延長、となると、予約していた会議室が使用禁止(大阪府の施設のため)になる。代替案を考えなきゃいけない。とはいえ、会場担当者にも「わからない」ことばかりで、お互いぼんやりしてる。今朝も電話でやりとりしたけど、一週間先のことさえわからない。ほんと、今週はずっとこれに振り回された。

どうしても「コロナちゃんは何を教えてくれているんだろう」と考える。ぼくは、コロナちゃんは、疫病的視点だけで見るのは違うと思ってる。もっと、ライフスタイルとか、「何を幸せに思うか」といった視点が求められているはず。

今朝降りてきたのが、「自律」という言葉だ。自律というのは、誰かに指示命令、あるいは法律で定められているから、という行動動機ではなく、「自分の意志で、自分の行動や思考を律する」という意味。コロナ時代のライフスタイルはまさに自律を求められている。

たとえば、大阪市内でひっきりなしに出会うのが歩きタバコのおっちゃんたち。彼らにとっては「吸いたいから。外やし、密室ちゃうからええやん」という話なんだろうけど、コロナの感染ルートの中に「歩きタバコの煙」というのは科学的に立証されていないだけで、「あり得る」かもしれない。経験からいうと、20メートル先で歩きタバコしていても、鼻の効くぼくはわかる。だから歩いていても、レーンを外す。タバコの煙というのは口内、肺を経由しているわけで、ウィルスが混合する可能性としては、ある。

自律している人であれば、歩きタバコはしない。

この連休中、東京ナンバーの車が湘南に溢れた。沖縄も県外からの観光客で溢れた。こういう話を耳にするたび、「自律」の文字が浮かぶ。

ぼくは何も「正しさ」の話をしているのではない。正しいか、正しくないか、というより、各自の中にある「ものさし」の話。

テレビドラマ『ドラゴン桜』の2005年版と今年のもの、両方を観ているが、明らかに2005年版のほうが明るい。今年のはどこか病んでる。じっとりしてる。2021年の現在、2005年と比較して街はきれいになったし、ガラケーからスマホに変わり、確実に便利になってる。でも、病は深くなってる気がする。ものさしが、病に冒されてる。

では、その病というのは何だろう。「幸せのものさしを外に求める」ことがその1つだと思う。「外」というのは、どれだけお金稼いだか、とか、タワーマンション高層階に住むのがセレブ、とか、高級ブランド品を持っている、とか、威張れる学歴とか、著名企業に勤務しているとか。

そういうのは違うよ、と。モノをたくさん持つ、贅沢なものをたくさん食べる、というのは断捨離やダイエットでブレーキかかってる。そこへコロナちゃん。ステイホームだから、限られた居住空間に、そんなにモノがあっても仕方ない。高級バッグ、おでかけしないので要らない。そもそも誰に見せる? いくら著名企業に勤務つったって、テレワークして家にいたら誰も一緒やんって(笑) 著名大学合格したといっても、オンライン授業でずっと家にいたらニートと何が違うのって(笑)

自律といっても「勝手に自分の都合いいように決める」というのとは違う。ガウディは「私の注文主はお急ぎではない」と、勝手に作り始めちゃった。「神様の家を作るのに、市の許可なんかいるものか」(笑)だから、あれ、違法建築なんだって(*)。

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こういうのは自律とは呼ばない。クレージーな建築家のしわざ(笑)

とはいえ、いま、一人ひとりに求められているのは、「自律」だと思っています。

*2019年、すったもんだの挙げ句、ようやく建築許可がおりたらしい(笑)

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