20240916仮面女子ワンマンストーリー考察_デスアクマピサロとは一体何だったのか
新体制仮面女子による第2回ワンマン『お空に輝く7つの星!キラキラ戦隊仮面女子!』が9月16日に行われた。
第1回ワンマンと同様、幕間に劇を取り入れて「ライブ全体が1つの物語」になるように構成されたワンマンライブであった。
今回は非常に王道でシンプルな物語ではあったが、1週間物語を反芻していく中でコレまた変わった角度でストーリーを捉えることができ、より深く今回のライブを楽しむことができたので
前回同様、解釈を遅ればせながらnoteにまとめることにした。
(前回のワンマンライブの考察note)
※本noteは第2回ワンマンのネタバレを含みます。
※あくまで個人的な解釈です
前提:ストーリーの大筋 ※ネタバレ注意
オープニング
約20億年前、ペルソニア大陸が地球上の半分を占めていたとき。
仮面を被った仮面族は「音楽、特に推し活」によって争い事のない平和な世界が保たれいた。
そんな中、デスアクマピサロなる悪の化身の登場によって、音楽・推し活が奪われてしまう━━━
対抗するべく、仮面神に使える守護神、7人のキラキラ戦隊によって、デスアクマピサロは戒めの壺に封印された。
その後数億年は続いたペルソニア文明、
20億年たった現代、キラキラ戦隊の末裔が━━━
(OP映像は下記から閲覧できます。)
(メンバーの月野がすべて1から勉強して作成したとのこと。すごすぎ)
突如現れるペニー、デスアクマピサロの復活が告げられる
突如、ライブ中に仮面女子の前に現れるペニーくん。
彼の影響で、自分たちがキラキラ戦隊の末裔であること/デスアクマピサロが復活したことを知る。
大冒険へ(toデスアクマピサロ城)
道中、モンスターにエンカウントする。
①ハートスライムのエンカウント
月野「メ◯ンテ」でハートスライムを撃破するが、死亡。
こはる「ザ◯リク」で復活する。
②ハートスライム×3のエンカウント
芹の青い稲妻(?) で撃破する。
③多ハートスライム→キングハートスライムのエンカウント
無数のハートスライムが集まり、キングハートスライム化。
怒り狂ったノノアのハンマーで撃破する。
デスアクマピサロ城・地下
中ボス、ムキンポス。
仮面族バンド隊、一同のライブによって撃破する。
ラスボス戦 デスアクマピサロ
ペニーが裏切る。誘き寄せるための案内人だった!
舞桜「赤バサミ」発動するが、何も起こらず。笑
とてつもなく強い敵であったが、
仮面女子による「7色の矢」によって撃破する。
しかし、デスアクマピサロは消えはしなかった。
仮面神の弟であった。
仮面神、デスアクマピサロ、ペニーは、どこか彼方へと消えていくのであった。
王道な解釈
なぜ「戦隊モノ設定」だったのか?
まずは、仮面女子との相性がいいからであろう。
もともとメンバーカラーもあるし、なにより「武器」を持っていてそもそも戦隊っぽい。ロック、体育会系でもあり、仮面が戦隊感ましまし、相性抜群だ。
おそらく前回と異なり「(演技経験の少ないメンバーも含む中で)メンバーのみで行う劇」を実現しようと思ったときに、さまざまな設定の中でも相性の良い設定だったから選ばれたことが推察される。
前回のようなシリアスな設定にすればするほど、高度な演技力が求められる。それよりは、ポップでコント調であれば、演技初心者でも「楽しいエンターテインメントの劇」を実現できる。
(実際、演者の演技はどれも素晴らしく見えた。)
(難しい「メタツッコミ」の役は芹がしっかりこなしつつ、中でもノノアの「激ギレ」の演技は素晴らしかった。(少しでも恥や理性が入ると成立せず、発声量が大きすぎると引いてしまうことにつながる役だったが、見事ドンピシャの演技であった))
どんな物語だったのか
最後の仮面女子の「7色の矢」。
劇中にもあったように、新生仮面女子結束当時に各々が誓った「それぞれの道でそれぞれの色を輝かせた矢になる」というものからとっている。
(毛利元就の「三矢の訓」の通り、矢は1本だと容易く折れるが、3本だと折れにくい。各々が特色を持った7つの矢であればなおさらである。)
新生仮面女子とは、結成当初から、
各々のカラーを矢のように尖らせ、
結成したときにデスアクマピサロを簡単に倒せてしまうほどのとてつもない化学反応を発揮するグループ。
一見、解釈の余地がない、
オマージュを軸にした王道物語である。
テーマは何だったのか
物語の表層を追うとオマージュを軸にしたシンプルな物語であるが、
本当にそれで全てなのだろうか?
僕の鑑賞者としていつも大切にしている考え方がある。
一見、コント調のコメディ劇ではあったが、
何か「意味」があったのではないか━━━
その前提で物語のテーマについて考察を試みてみる
(かなり無理な解釈と思われるものもあるが)
3つの大きな疑問
素直にセリフを辿っていく中で、
個人的には、語られていない大きな疑問が3つあった。
ペニーはなぜ「裏切った」のか
仮面神の弟、「デスアクマピサロとは一体何者か」
なぜ20億年もの時を経たデスアクマピサロは「いま復活した」のか
1、ペニーはなぜ「裏切った」のか
本作では裏切った背景は全く語られていない。
前述の通り、デスアクマピサロ直前で仮面女子は裏切られた。
「ペニー」とは一体何を表していたのか?
ペニーは英語表記すると「penny」
「penny」とは、通貨ドルの1セント硬貨のことである。
1セントとは、ドルの中でも最小単位だ。
ドルは資本主義を代表する基軸通貨。
つまり、pennyとは「経済の素粒子たる存在」だ。
極めて個人的な考えだが、「推し活」とは、「経済学的に見て極めて非経済合理的な活動」と考えている。
通常の有形財(売買されるもの)は交換価値が含まれる。
ただし、「推し活」の代表の財「チェキ」は他の有形財と異なり、交換価値が限りなく0に近い。
(たとえば、他の有形財は簡単にメルカリで売って換金できる。が、チェキはほぼ換金できない)
では価値がないのか?と言ったら異なる。
個人にとってのチェキの価値は極めて高い。
(演者への応援の気持ち、その日のライブ/チェキの思い出などが凝縮された財となる)
これは、経済学的に見て、極めて特殊な財である。
しかしながら、かつての仮面族がそうであったように、
「人間の生命文化活動にとっては必需ななにか」がそこにはある。
「penny」にはその価値を換算できない。
日本国憲法にはこう記載がある。
「政府は金をくれども、大切な人はくれない」という話を前に老人から聞いたことがある。
年金はくれても、人間にとっての文化的な活動につながる友人・知人・家族・恋人はお金と異なり、支給してくれない。
「penny」はあくまで交換手段だ。
「ただの交換手段」への盲信は、個人において極めて価値の高い「人間の生命文化活動」を見失うことにつながりかねない。
これがまさに、
「ペニーが仮面女子を裏切った行為」が暗喩していたことなのではないか━━━
2、仮面神の弟、「デスアクマピサロとは一体何者か」
作中の中で、デスアクマピサロは、他のモンスターと異なり仮面女子からの攻撃を受けたにも関わらず「消滅しなかった」。
一体なぜか?
それは、彼が、仮面神の「弟」だったからに違いない。
「弟」といっても、「神」に親はいないはずだ。
つまり、デスアクマピサロは「神」の「悪の化身」。
(ドラゴンボール「ピッコロ」のように、元は1つであった神が「ネガティブな感情」を切り分けた結果生まれたのであろう。)
つまり、デスアクマピサロも神なのだ。だから死なない。
(ピッコロは死ぬが。笑 仮面神は20億年以上生きていたこと、多神というよりは唯一神っぽいことから死ななそう。)
3、なぜ20億年もの時を経たデスアクマピサロは「いま復活した」のか
デスアクマピサロが「ネガティブな感情」を切り分けた「悪の化身」だったとして、なぜ「戒めの壺」から20億年もの歳月を経て「いま」復活したのか。
それは、「2024年現代」と、「20億年前」に共通していることがヒントになるかもしれない。
「2024年現代」と「20億年前」に共通すること、それは「推し活」だ。
「推し活」という言葉は極めて最近できた言葉である。
「言葉の誕生」は「時代のトレンド」を反映する。
「推し活」という言葉がうまれるほどに、「推し活」が求められる世界になっていたことだ。
「推し活」とは何か?
前述の通り、「推し活」とは「経済合理性」とは真逆の「人間中心主義的文化的な活動」だ。
2020年から3年間、僕たちはかつてない経験をした。
不要不急の外出規制
3密回避
「ライブ活動の停止」
5類に移行されてからどうだろうか、
人類に、ライブは「必要不可欠」(⇔不要不急)な「人間中心主義的文化的な活動」だった。
「経済合理性」によって、人類は豊かになる。
FACTFULLNESSにあるように、人類の飢餓・病死・戦争はどんどん減っていっている。
20億年前のペルソニア文明も、かなり文明レベルが高かった。
これは経済合理性なくして、成し得ない。
ただ、「経済合理性」は人間の作ったシステムの中で暴走する。
資本は自己増殖を続ける。
人々には「経済合理性」が過剰に求められ、
時間、人間関係、コミュニティすら経済換算されていき、
「文化的な活動すらも奪う痛み(ペイン)」を伴う。
反発的に「推し活」が求められる。
ただ、過剰な経済合理性は推し活の時間すらも奪いかねない。
つまり、デスアクマピサロとは、「行きすぎた経済合理性」が伴う社会で生まれてしまう「人間文化を奪う痛み(ペイン)」を暗喩している存在。
だからこそ2024年に復活したのではないか━━━
その前提でライブを振り返る
デスアクマピサロとは、「人間文化を奪う痛み(ペイン)」を暗喩している存在「行きすぎた経済合理性」が伴う社会で生まれてしまう存在
その前提で見ていくと、最後のアンコールセトリの見え方が変わってくる。
アンコールセトリ1 灯火☆MYSELF
初めてこの曲を聴いたとき、僕は下記のような解釈をした。
「経済合理性」は前述の通り、デスアクマピサロ(「行きすぎた経済合理性」が伴う社会で生まれてしまう「人間文化を奪う痛み(ペイン)」を暗喩している存在)を生み出す。
POP MUSICによって、人類は自己治癒的に人々を照らすが、照らされなかった人々を取り残される。
ただ、灯火はデスアクマピサロによって迫害され、POPMUSICですら救えなかった人々をそっと救うのだ。
アンコールセトリ2 DEAR☆PAIN
Dear "PAIN"
それはまさに、デスアクマピサロは(「行きすぎた経済合理性」が伴う社会で生まれてしまう「人間文化を奪う痛み(ペイン)」を暗喩している存在)に向けたレクイエムだったのではないか。
前述の通り、デスアクマピサロは死んでいない。
仮面女子は、暴走したデスアクマピサロを止めただけだ。
高度に発達した文明の中で、もはや人類は「経済合理性」の恩恵を捨てられない。
「経済合理性」と「人間文化」の”曖昧なTuneによる共生”、
それこそが求められる、そんなことを表現していたのではないか。
まとめ
デスアクマピサロは、「行きすぎた経済合理性」が伴う社会で生まれてしまう「人間文化を奪う痛み(ペイン)」を暗喩しているメタファー。
行きすぎた経済合理性の反発としての存在である推し活とは、人間において必需な文化的活動の象徴。
ただ、資本主義の恩恵も受けている我々にとって、デスアクマピサロは排除すべき対象なのではなく、曖昧なtuneの中で、「推し活」と言った人間中心的な活動とともに共生するものである。
そんなことを伝えている作品とも捉えられるのではないか━━━━
おまけの解釈
ここからは、さらに考察を深めたチャレンジングな解釈。笑
最後に2つの疑問をもとに、更なる解釈に挑戦する。
人類有史はたかだか20万年なのに、なぜ20億年前なのか
小島と猪狩の能力は何か
1、人類有史はたかだか20万年なのに、なぜ20億年前なのか
考古学から、ホモサピエンスはアフリカで20〜30万年前に登場されたとされる。
エジプト文明に至っては紀元前3000年〜0年ほどの間だ。
20億年前の地球はどんな姿か。
ヌーナ大陸と呼ばれる。現在の大陸の大元となる大陸ができたとされる。
一方で、生物は「微生物レベル」でしか生息していなかった。
ペルソニア文明は間違いなく、「ホモサピエンス」の姿をしており、
「エジプト文明」に近い文化を持っていた。
これは、生物学的見地から「ありえない」。
ホモサピエンスは、その後19億9800万年の進化を遂げて生まれた種族である。
宇宙人であることも生物学的見地から考えられない。
エジプト文明が実はタイムマシンを発明しており、
20億年前に行った可能性も、当時の地球はホモサピエンスが生きられる酸素濃度でなかったことからも「ありえない」
では、ペルソニア大陸、ペルソニア文明はどこにあったのか?
2、小島と猪狩の能力は何か
ここで重要になってくるのが、2人の能力だ。
前述の通り他のメンバーは能力を劇中で使っていた。
しかし、小島と猪狩は能力を使っていない。
使えなかったのか?
いや、彼女たちはキラキラ戦隊の末裔だ。使えないはずがない。
使わなかったのか?
いや、デスアクマピサロ戦の緊迫した場面で何か使わないはずがない。
残された選択肢は、
「すでに使っていた」である。
では、何に使っていたのか?
これまでの各々の能力は、各々の武器や性格に起因していた。
小島と猪狩、2つの共通の武器、「スチームを活用したレーザーガン」。
「スチーム………?」
我々は、あの会場で大きな違和感があったはずだ。
①極めて余裕を持たれた入場時間
実際に開演の20分ほど前には会場は人で埋め尽くされていた。
②開演前の「2台によるスチーム(スモーク)」
開演10分前に、2台のスチームがたかれていた。
もしや、あの2つのスチームこそ、
小島・猪狩による能力だったのではないか━━━━
では、何の能力が?
「幻影(スチーム)魔法」
これであれば、
生物学的見地から「ありえなかったペルソニア文明」にも合点がつく。
つまり、
我々含めて、
小島・猪狩の幻影魔法にかかっており、
ずっと、スチーム(幻影)世界にいたのではないか━━━━
上記を前提としてライブを振り返る
その前提で捉えると、解釈いくこともある
小島・猪狩が劇中で魔法を使っていない
→すでにスチーム魔法を使っていてMPが0であった
生物学的見地からあり得ないペルソニア文明
→小島・猪狩が作り出した幻影(だから生物学的矛盾があってもおかしくない)
なぜかメタ認知がなされていた芹
→芹だけ幻影魔法に対して少々耐性があった。笑
だが、当然疑問は残る。
一体全体なぜ小島・猪狩は幻影魔法などをかけたのか?
前述の解釈から
今回のライブは「行きすぎた経済合理性による痛み(ペイン)」、「推し活」がテーマの物語であった。
ただ、それは「受け取り側の立場」からの物語の解釈だった。
ここで創作側の立場にたつ。
小島は今年2月、全治半年以上の怪我を今年負った。
猪狩は、言わずもがな脊髄損傷によって車椅子生活を余儀なくされた。
彼女たち2人は共通して、
一度ステージを離脱して、
復帰したものの全尺は出られなかった時期を過ごし、
今回のワンマンで「150分もの間」
幕間の劇含めてステージから一度も去らずに驚異的なパフォーマンスをやり遂げた。
小島・猪狩だけではない。
リーダーこはる@前回のワンマンライブの最後のスピーチ
「落ち込むことがあるけどみんながいるから自信になる。このステージが居場所だなと思う」
月野@今回のワンマン準備
「イラスト・動画編集で夜な夜な大変だけどみんながいるから頑張れる」
他のメンバーもきっと同様だ。
彼女たちは、
「推し活」がどういう存在なのか、
ファンの立場からも語りつつ、
「創作側の立場」で「演者自分たち自身も推し活に支えられたこと」
を伝えたかったのではないか。
僕たちを人間の生活たらしめていたものは「推し活」であったが、
仮面女子のメンバー、運営に携わる関係者たちも「推し活」に支えられていた。
そんなことを伝えたかったのではないか。
その立場になると、
最後の灯火MYSELFの演出にも納得がいく。
突如、スクリーンに映る、僕たちの姿。
灯火を与えてくれていたのは、演者側の方だったはずだ。
ただ、あのとき、ペンライトを持った僕たちそれぞれが、「1つ1つの灯火」を示しているように、その灯火が演者を照らしていた、と解釈できる。
「推し活とは『一方関係』でなく、『相互関係』」である、
そんなことを彼女たちは幻影世界で伝えたかったのではないか。
そして、スクリーンに映る、僕たちの姿。
自分自身の姿をスクリーン越しにみること、
その行為自体が、最初にフィールドにかけたスチーム魔法を解き、夢の世界から現実世界へ戻すための解放行為だったのではないか。
と、
あれやこれやと非常に無理のあるかもしれない解釈をして楽しませていただきました。
と、妄想深読みしてみるのも、面白くないですか?笑
改めて過酷な日々の中、3時間ものエンターテインメントをありがとうございました。
ありがとうございました。
そしてこんな妄想深読みをこんな最後まで(前回の倍の8700字も。笑)
お読みいただきいただき、ありがとうございました!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?