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それ以降、はなの素性を聞き出せないでいた。(5)

それなのに、ある日、誰にも話したことの無い自分の過去を、はなに話し始めていた。私の硬い心も優しく溶かされた結果だった。

 私はもう五十六歳になる。もうすぐ還暦だ。あっという間だった。高校は地元でも有名な進学校に入学して、「さあ、これから大学に行って前途洋々…」と思ったが、中々上手くいかない。受けた大学はすべて失敗、一浪しても結果は同じだった。
そして実家が飲食店をやっていた事もあり、地元の喫茶店に就職、そこで二年働き、その後実家の店を手伝う様になった。時代も良かったのか、売上げもそこそこあったが、徐々に店が傾いてきた。そうすると世間によくある様に、家族経営の歪みから父親と上手くいかなくなった。しかし、元々独立志向が強いのか、会社勤めが出来無い性格なのか、まともな就職もせず、次に選んだのが保険代理店。世間で呼ばれる所の保険屋だった。

 保険の仕事のお客は会社関係が多かった。中小企業の社長と付合いを続けていく内に、興味を持ったのが会社経営だった。しかし大学にも行っていないので、基本的な経営の知識もない。「戦略って何」と言うレベルだ。そんな時出会ったのが、中小企業診断士という、経営コンサルタントの資格だ。資格取得に五年掛かった。毎日夜中まで勉強し、それもお金が無かったので独学で。でもとても楽しかった。知らない事を知るのはとても新鮮だった。そして何とか資格を取ると、今度は保険よりも経営に興味が移り、気が付いたら経営コンサルタントの道を歩いていた。でもコンサルタントと言っても何の後ろ盾もない。同じ時期に合格した診断士の仲間は、一流大学出身、大手企業勤務と出発点が全然違う。それでも無我夢中で頑張り続けた。

 ここで無理をしたかもしれない。自分勝手に仕事の事ばかり考えていたから、仕事の失敗や借金が重なり、とうとう離婚。二人の子供達とも別れ、「身を切られる思い」というのも、言葉で無く心底身体で体感した。「身を切られるような」では無く、本当に身を切られた痛みを感じた。それでも、自分では頑張っていたと思う。でも、その頑張りが次から次へと問題を引き起こしていた。
はなに出会ったのはそんな頃だった。

 はなは、そんな私の話を黙っていつまでも聞いていた。其処にはいつもの笑顔はない。でも、可哀想な人を見詰めるあわれみもない。
もうすべて知っているかのような顔をしていた。

「もう、大丈夫だからね」

はなは、それだけ言うと、私の右手を自分の両方の手で包み込んでいた。話し終えた私の少しの興奮を宥めていた。
はなから聞いたその言葉に、懐かしさを思い出していた。何故なら、その言葉を聞いたのは三度目だったからだ。一度目はZEROで初めて会ったとき、二度目は突然病室に現れたとき、そして今日。
その言葉の意味をずっと考えていたが、解らなかった。

しかし、やっとその言葉の真実を見つけることが出来た。

「私は、あなたのことをずっと見ていたから」
はなは、そう言って話し始めた。

私は、あなたをずっと前から知っていた。そう、あなたが生まれる前から。
 あなたは、ずっと一生懸命だった。小学生の頃、いじめにあっていたよね。今でこそ「いじめ」という言葉はみんなに理解されているけど、その頃は、「なかまはずれ」と思っていたよね。だからあなたは、友達に受け入れてもらおうといつも自分を我慢していた。その我慢がいつか爆発してしまうんじゃないかと、私は心配だった。中学生になっても友達と上手くいかない。好きな女の子とも心が通じ合うことが出来ないでいたみたい。仕事に就いても、途中、お父さんのことで悩んでいた。でも、頑張った。すごいよ。
 
 結婚して、明君が生まれた時、私はすごく嬉しかった。随分難産だったけど、今も良い子に育ってるよ。もういい青年だけどね。
妹の美羽ちゃん、もう可愛くてしょうが無いよね。少女から大人になって綺麗な女性に成長している。私も少しやきもち焼いてた。

 離婚の原因なんて考えなくていい。あなたは頑張ったんだから。でもその頃、少し人に対して攻撃的になっていたかな。自分の悩みを打ち消すかのように、自分にも周りの人にも厳しくなっていた。一時的な無茶はいいけど、それが長続きする無理はいけないよ。
 あなたは、みんなが自分から去っていったと思っているけど、そうじゃないんだ。あなたが自分のことを蔑んで、みんなを避けていたんだよ。誰もあなたを嫌いじゃなかった。
だから、とうとう身体が悲鳴を上げてしまった。あなたの身体はあなただけのものじゃないからね。私もたまにお邪魔してたから。あなたの喜びや悲しみを一緒に感じてたから。

こんなはなし、信じられないでしょ。
でも本当なの。

「はなは、いつだってあなたの味方だよ」

「もう大丈夫」
私には人の色が見えるの。あなた、とてもいい色してきた。

はなはそれだけ言うと、合わせていた両手を離し、そっと立ち上がった。
そして、「じゃ、またね」といつものように短い言葉を残して病室を出ていった。

もう何も思いつかない。
ただただ子供のように泣きじゃくっていた。

気づくと薄い布団の上に白い折り鶴がいた。つかもうとしたら…。
鮮やかな赤い頭をちょっと傾け、ぱたぱたと飛び立った。そして、すうっと窓をすり抜け冬の空に消えた。

 不思議な話を聞いた後、はなは現れなかった。もう来ないんじゃないかと何となく予感していた。でも、寂しさは無い。むしろそれが当然であるかのように、私は元気でいた。

 二月に入って何とか退院の日をむかえる事ができた。退院といっても病気が完治した訳ではない。元々癌には完治という概念は無いそうだ。レントゲン写真やCT画像で癌の影が小さくなる。他の臓器にも転移した様子が無い。そんな状態を踏まえて、完治ではなく、寛解と診断された。
寛解は、病人にとって社会復帰に繋がる。まだまだ不安も残るが、とにかく治ったと言いたくなる瞬間だ。同室の患者が見れなかった桜の花を、私は見れる。やったー、と大声で叫びたい。でも空いたままのベッドを見ると、今は静かに喜びを噛みしめたい。

 退院の午後、やわらかな陽ざしの廊下をゆっくり歩いていた。冬でよかった、夏の強烈な太陽にはまだ太刀打ちできそうもない。ぽかぽかの冬の陽は長く延び、淡く躰のなかに染み入るようだった。暖かかった。春を思わせるほのかな香りも感じていた。

 社会復帰には半年ほど掛かった。徐々に仕事を増やしていき、自分にとっては順調な仕上がりだと思う。その間、見舞いに来なくなったはなのことを時々思い出していた。

はなは、私だけに見えた幻だったのか。
退院後、同室の患者の見舞いにも行ったが、はなのことは誰も覚えていなかった。あれほど楽しみにしていたのに、看護師もはなを知らなかった。通っていたZEROにも行った。そこでもはなの行方を尋ねたが、最初からそんな人はいないと怪訝な顔で怪しまれるだけだった。

そして私の記憶もおぼろげになりそうでいた。

だから、こうしてはなのはなしを書いて残しておこうと思う。
私のなかにずっとはながいたことを忘れないために。



                                    終わり

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