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Vol.21末永幸歩さんインタビュー「自分なりの見方で生み出した答えをいったん壊して自分だけの答えを生み出してみよう」【1/14(土)キヅキランドワークショップ開催】

2022年はキヅキランドがオープンし、多くのこどもたちに「不思議や疑問、驚きを見つけ、それをどんどんふくらませる」ということを体験してもらえた年でした。特にみんなで一緒に取り組むワークショップでは、書きこみを通じて誰かと意見を交換したり、誰かの見つけた疑問について一緒に考えたりすることに、面白さや楽しさを味わっていただいています。
2023年のワークショップ第1弾は1月14日(土)に開催。みんなと一緒にキヅキランドを体験していただくキヅキセンパイには、著書『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)が話題となった美術教育者の末永幸歩さんが登場。今回は、ワークショップに向けて末永さんに伺ったお話をお送りします。

末永幸歩さん/美術教育者
武蔵野美術大学造形学部卒業、東京学芸大学大学院教育学研究科(美術教育)修了。東京学芸大学個人研究員、九州大学大学院芸術工学府講師、浦和大学こども学部講師。自分なりのものの見方で「自分だけの答え」をつくることに力点を置いた独自のアートの授業を展開する。中学校の美術教師を経て、現在は、全国の教育機関や企業等でワークショップや講演を行う他、執筆・メディア出演など様々な活動を通してアートの面白さを伝えている。日経STEAMアドバイザー、Eテレ「ノージーのレッツ!ひらめき工房」監修。その他、様々な団体とアートや教育に関する取り組みに力を注いでいる。著書に19万部のベストセラーとなった『13歳からのアート思考』(ダイヤモンド社)など。

そこに正解はない前提で対象物と向き合い、答えをつくり出していくように「見る」ということが「自分なりに見る」ということ

——末永さんは美術鑑賞を通じてものの見方を広げる「アート思考」を育てるワークショップや講義、講演活動を行なっています。著書『13歳からのアート思考』の中でも最初に述べていらっしゃるのが、「アート思考とは自分だけの物の見方で世界を見つめ、自分なりの答えをつくる力である」ということ。改めて、このことがなぜ今重要視されているのでしょうか?

末永:そうですね。よく言われることではありますが、今この現代社会は、情報社会であることやIT技術を中心にした技術革新などにともない、とてつもなく変化が大きくかつ速くなっていて、先の見通しがきかない時代になってきています。課題や問題も見えにくくなり、問題を見つけたとしてもそれに対する答えがひとつとは限りませんし、正解はないかもしれません。
かつては学校でも社会でも正解があることが前提で、その正解を探し出す力が重要視されてきました。しかもその正解を探し出す力があれば学校でも社会でも人生でもある程度うまくいっていたかもしれません。
でもこれから、正解がない、しかも問題も見えにくいとなったとき、みずから問いを立ててそれに対する答えを自分でつくっていくというような力も必要になっていくんだと思うんです。
しかも人生100年時代と言われる長い人生の中で、自分の生き方の正解やモデルなどもより多様になってきますから、自分なりの生き方を模索していく必要があります。その時に、自分なりの答えを作っていく力がとても大事になっていくんだと思います。
ただ、私はこういった「アート思考」の考え方が、“今”必要だというふうには思っていないんです。私自身はアート思考は普遍的なもので、自分の感覚や自分の考えや思いを持つこと、そういうものを大事にできることは、いつの時代も変わらず重要なことだと思っています。アート思考は人間として自分の人生を生きるために普遍的に必要なもの。それが結果的に今の現代社会に必要なものとして注目された、ということかなと思っています。

——なるほど、そうかもしれませんね。
ところで、アート思考もキヅキランドの体験もスタート地点は見ることです。ここで「自分なりに見る」ということがポイントですが、自分なりに見るというのはどういうことだとお考えですか?

末永:本の中で私は美術と数学を引き合いに出して、「雲」と「太陽」にたとえました。数学には答えが太陽のようにひとつ明快にあって正解=太陽を見つけることが大切。美術は、常に動きながら形を変えていく雲を見て「自分にはウサギに見えた」「私には人の形に見える」のように自分の答えをつくっていくことです。
そこに正解はないという前提で対象物と向き合い、答えをつくり出していくように「見る」ということが自分なりに見るということです。

——キヅキランドでも、例えば目玉焼きを作るムービーを見て「〇〇に見える」と目玉焼きを何か違うものに見立てたキヅキや全く関係ない世界のストーリーを紡いだキヅキもあります。また「白身が白くなった」というキヅキが書きこまれたりもします。どれも「それぞれこどもたちが見出したもの」で、そのバリエーションや視点の豊かさに驚かされます。

——末永さんの絵画鑑賞のワークショップでも、1つの作品に対して多種多様なコメントが生まれますよね。それについて参加者はどんな反応をしますか?

末永:他人の見方に出会うこと、対話することって実はとっても大事なんです。だから、作品を見て自分のコメントを発表するだけじゃなくて、そこから参加者同士の対話が発展するように工夫をしています。
というのは、自分の答えを創ることと、自分の答えを疑って壊していくことって表裏一体だと思っているんです。最初に「自分なりの見方で作った答え」は意外と常識的な見方で生まれたものに過ぎない。だから意識的に自分の答えを壊す必要があると思っているんです。その壊すための手段のひとつとして、他者との対話が重要なんじゃないかと最近感じています。

——なるほど、無意識のうちに刷り込まれた誰かの考えや常識を対話で壊す。キヅキランドでも、誰かのキヅキの上に他の人が意見を重ねたりしてある意味「対話」が生まれることで、みんなの見方が変わっていって新しいキヅキが生まれるということがあるんです。これもある種、末永さんがおっしゃった「自分の答えを壊す対話」なのかなと思いました。

末永:そうですね、そう思います。

ワークショップのような場には大きなきっかけで常識の枠を壊すという意味がある

——また、アート思考の中には「自分なりの見方」で「自分なりの答えをつくる」あとに、「新たな問いを生み出す」という過程があるということですが、新たな問いとはなにか、そしてなぜこの過程が必要なのでしょうか?

末永:まず、「新たな問い」と書きましたが、これは革新的なという意味ではなくて、「自分にとっての新しい疑問」という意味です。有名無名を問わず、自分の表現を生み出しているアーティストの方々はやっぱりそういうふうに「一旦自分の答えをつくったらそれに対して自ら疑問を抱き、また自分なりに考える」という繰り返しをしているなって感じるんです。「自分なりの見方」をすること「自分なりの答えをつくる」こと「新たな問いを生み出す」ことは、同時進行だったりもするんですね。

——さきほどの「自分なりの見方で作った答えを壊す」繰り返しと同じようなことですね。

末永:そうなんです。
ちょっとした違和感や疑問は素通りしてしまいがちですが、違和感や疑問の端っこをちゃんとつかんで「自分なりの答えを壊す」ことはとても大事だと思うんですよね。
それができるようになるためには、まず自分の常識の枠を壊すことが大きなきっかけになると思います。『13歳からのアート思考』では6つのアート作品をとりあげましたが、これらも私たちの常識を揺るがすようなものを意識して選びました。

——そういう常識にとらわれない、あるいは常識を軽々と超えて、違和感や疑問を見つけることは、こどものほうが得意ですよね。

末永:そうですね、こどもは上手です。でもある年齢を過ぎると、だんだん大人と同じように常識にとらわれてしまって自分ならではの見方ができなくなってしまいます。小学校3年生か4年生くらいからそうなっていく子も少なくないような気がします。

——うーん、意外と早いですね。

末永:でもこどもにも常識の枠を壊すようなきっかけを与えられると、こどもたちはまた自分なりの物の見方で探究をしはじめます。

——そういう体験はやっぱり学校の外、末永さんのワークショップやこういったキヅキランドみたいなワークショップならではのものではないかと思うのですが、学校という場とそういった学校外の学びの場、それぞれの役割というのはなんだと思いますか?

末永:やっぱり学校の授業以外で行う学びは、例えば場所が学校ではない場所だったり、先生がいつもの先生ではなかったりすることで、こどもたちにとって、常識の枠を壊す大きな機会になり得るのがいい点だと思います。
ただ、そのあとに今度は自らなにかに興味や疑問を持って、それについて自分で試行錯誤しながら探究していくことができなければ意味がありません。1回や数回のワークショップで常識にとらわれない自分なりの見方を得るきっかけを得たとしても、単発のワークショップだけではその後の探究の部分をフォローできない。
一方学校は、やはり毎日関わって長い時間をかけてゆっくり考えたり探究したりできる場として優れています。
だから、ワークショップのような場には大きなきっかけで常識の枠を壊すという意味があるし、学校には継続性の中で探究する場という意味がある、と思っています。

——今、学校の外の学びの場もいろいろ増えているので、ぜひこどもたちには両方の場で「自分なりのものの見方で、自分なりの答えを生み出す」ことを繰り返し探究してほしいですね。

末永:公教育においても外部との連携が盛んになっていて、実際にそういう学びの場が推進されていることを感じます。そのいっぽうで、キヅキランドはオンラインで誰でも参加できるということが素晴らしいと思いますね。

——今度の末永さんのキヅキランドワークショップでは、キヅキランドを使って、末永さんのアート思考を参加者のこどもたちに体験してもらいます。末永さんは「自分は教えるのではなく場を作る役割」だと以前おっしゃっていましたが、今度のキヅキランドワークショップをどんな場にしたいですか?

末永:そもそもキヅキランド自体が「教える」ことを目的としているのではなく「場」を用意しているウェブサイトで、それがとても面白いと思ったんですね。そこを利用して、こどもたちには先ほどの「自分なりの見方」を「一旦破壊」して「自分だけの答え」を生み出すような体験をしてもらえればと思っています。
そういう枠を外すようなきっかけをどう用意しようか、もう少し考えてみます。

——ありがとうございます。ぜひキヅキの連鎖による「対話」も楽しんでいただければと思います。

末永:そうですね。「それも面白いね」というところから参加者同士の対話がふくらんでいって、どんどん見方が広がるみたいなことにつながっていくといいなと思っています。

——楽しみにしています。それでは1月14日(土曜日)のワークショップ、どうぞよろしくお願いします! 


次回の末永さんのワークショップでは、「洛中洛外図屏風(右隻)」を見ながらみんなでいろんなキヅキを見つけていきます。「自分なりの見方」を「一旦破壊」して「自分だけの答え」を生み出す体験を皆さんも楽しんでください。
ワークショップのお申し込みはこちらからどうぞ!

ワークショップ参加を検討している方への末永さんからのメッセージもぜひご覧ください。

Illustration: haruka aramaki

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