ろう学校での幻想的な体験、たぶん15歳

高校一年、15歳の秋だったと思う。 

僕は吹奏楽部に所属していて、 それは3ヶ月近くに及ぶ「青森県内演奏ツアー」の真っ最中だった。

 この弾丸ツアーには、プロ顔負けのスケジュールが毎日ぎっしりと詰まっていた。 津軽半島の北端、龍飛岬の近くに行ったかと思えば、次の日には下北半島のどこかで演奏しているような具合だ。

一日2ステージなんて日もあったような気がする。 一年間の演奏回数は80回近くに及んだ。教育的というよりは殺人的だ。嘘だと思うかもしれないが、毎年の演奏回数を考えると、僕らはまだましな方だった。

しかしこの弾丸ツアー第一の功労者は僕ら生徒ではなく、僕らを運ぶスクールバスの運転手さんだったと言っても過言ではないだろう。バスの総移動距離は、1000kmを優に越えていただろうから。

 僕にとって会場に向かうバスの中は、誰にも邪魔されず音楽に集中し、身を委ねることができる空間だった。 2時間もかかる学校への旅では、マーラーのシンフォニーを最後まで通して聞くこともできたし、ドビュッシーのピアノ曲集をCD1枚まるまる聞くことだってできた。 ウォークマンの再生ボタンを押すと、旅愁にまみれた僕の心の中に、音楽が容易に沁み込んでくる。 音楽の目的地は、バスの目的地と重なり合って僕の好奇心を前進させる。 バスから見える蠱惑的な田園風景は、耳の中の音楽世界を映し出す鏡として、充分すぎるほど美しかった。

 その日の目的地は市内にあるろう学校で、 バスでの長旅にすっかり親しんでいた僕は、その場所がバスで行くにはあまりに近すぎるのでほとんど魅力を感じていなかった。 さらに今考えると驚くことに、僕はその日の演奏会場であるろう学校について、ほとんど関心を持っていなかった。 それまでの人生で聴覚障害の人を意識していなかったこともあるし、 なにより僕らは、同じような演奏を何十回と繰り返していたので、一つ一つの演奏に対する価値はマヒして、淡々と労働をこなすような、そんな気持ちで会場に行っていたのだと思う。 

僕らはその学校の体育館で、いつも通りのリハーサルをし、いつも通りの本番をした。 観客は一般の学校よりもだいぶ少なく、鑑賞の態度も良かった。 リラックスして演奏ができて、まずまずの出来。ふう、これで先生に怒られずに済むぞ。 帰ったら飯食って、また練習して、帰りはジャスコのゲーセンいくか。

 僕たちの演奏のあと、ろう学校の生徒さんがお礼に合唱をしてくれることになった。 こういう演奏のあとで感謝されることはそれまでなかったし (吹奏楽を嬉しがる学生なんて、吹奏楽部にいる優等生タイプの女の子か、陰キャの男子くらいなもんだ。決してデカイ声を出す陽キャ男子やギャルではない)、 ましてやその場で歌を返してもらうのは初めてだったので、僕らは少し面食らった。  

合唱が始まる。ピアノの前奏の後、彼らはピッタリ揃ったタイミングで歌い出した。 しかし、その音程はほとんど合っていなかった。彼らは音程の代わりに、ピッタリ統一されたイントネーションを使って旋律を表現していたが、僕や周りの部活仲間は、そういう歌を聞いた経験がなかった。まず、その響きに困惑して、立ち尽くした。 

そして彼らの演奏における最大の特徴は、手話だった。彼らは歌詞の内容に合わせて、遠くの私たちにも伝わるように大振りな手話を付けて歌ってくれる。 「あなたにも わたしにも 笑顔がある」「心と心で いま 分かち合える」 僕たちへの感謝を伝える合唱と手話に、暖かい、でもとても強い力がこもっていた。  音量とか音圧とかでは言い表せないような、もの凄いエネルギーが僕らの方にまっすぐ向かってきていて、頭と心が同時にゆさぶられた。

気がつくと僕は涙を流していた。

こんなにも、心が動かされるのはなぜだろう?彼らは僕に何を伝えようとしているんだろう?この空間の美しさは一体何なのだろう? ひたすら疑問がわいた。そして、僕は自分の音楽に対する態度を恥じた。

3分ほどの美しい音楽が終わり、幸せな沈黙のあと、ふと周りを見渡すと、部活の全員がボロボロの顔で泣いているのが見えた。視界に入った人間のすべてが泣いている。それは人生で最初の体験だった。僕らは言葉をかわさなくても、その涙の理由を解っていた。

 ろう学校の生徒たちの、口と手による表現の中には、日頃自分たちが感じているのとは違う表現の形があった。 それは決して、プロフェッショナルな表現ではない。一般的とは言えないのかもしれない。正確なコミュニケーションにはなっていないのかもしれない。

 しかし、僕はあのときの音楽体験を忘れることができない。 今、仕事で先天性の聴力障害を持つ人とお話するとき、彼らのストレートな感情表現に驚かされることがある。 僕はそんな時、嬉しさとともに羨ましさを感じる。 自分もこんなふうに、素直に感情を表現できたらなあ… 

そう思えるのも、期せずして訪れた、15歳の秋の原体験のおかげなのかもしれない。