見出し画像

生きてゐること

 この三月に、フリマアプリで『夏の墓』を入手することができた。1964年12月25日初版の吉原幸子の2冊目の詩集。出品者の断り書きにあるように「経年劣化が強い」のは当たり前だ。それより表紙を開いた時、目次の一部が切り取られている事に愕然とした。不良品を掴まされたとか、そういう類の感情とは別物である。 
 詩集冒頭部分、『放火』『馬に』『月に』『嫉む』『瞬間』『散歩一』が切除され、目次は『散歩二』から始まっている。作品自体は全て健在だが、『散歩一』『散歩二』に限って、タイトルがボールペンの黒で囲まれていた。最初の持ち主にとって、こうせずにはいられない何かがあったのかと想像する。
 そもそも吉原幸子という詩人は、ファンにとっては特別な存在なのだ。詩の中で共に泣き、共に死んでくれる人だと、思っている。読む事によって死ねるから、現実ではギリギリ死ななくてすむ。私自身、20代半ばに、本当に死のうと思った事があった。その時、たまたま手にした吉原幸子詩集の『街』(「昼顔」所収)という詩の最後のフレーズ、「さうして かなしみにも陽があたる」と出会って、死にたい病から覚醒したのだった。
 切除した事で目次の冒頭に据えられた『散歩二』は、「生きてゐることを/殆ど 忘れた」で始まり、「やっと思ひ出す/生きてゐることを」で終わる。この詩集の最初の持ち主も、吉原幸子の詩から、生きる力を与えらえたと信じている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?