表裏一体

すべてのものには表と裏がある。

肯定と否定。メリットとデメリット。賛成と反対。ファンとアンチ。

あって然るべきものだし、ないと逆に不自然にも思える。

どんな人物であろうとも、全員から好かれる人というのは存在しない。これは言い切れると思う。

好き嫌いは人それぞれ。しかし、嫌いなものに攻撃する必要はない。そこには何も生まれない。

嫌いなのであれば自分が嫌悪感を抱いていればいい。自分の中に留めておけばいい。それを公にする、あるいはその相手にぶつけることによって、ストレスの捌け口にしてはならない。

僕はそう思う。

しかし、それが出来るようになってしまった世の中にも問題はある。

SNSはすごく普及し、誰もが簡単に自分の意見を発信することができる。すべての人が主人公になれる世界がそこにはある。

でも簡単が故に、その自分の発言に責任感を伴えてない人も多いはずだ。

そういう世界になったのであれば、それに相応する法が必要だ。

世界が進化しているなら、それを律する法律も進化していかなければならない。


ネットでの誹謗中傷というのは得体の知れない最も怖い犯罪だ。

たとえば誰かがナイフで人を刺したなら、どんな人がどんなナイフでどこをどれぐらいの深さで刺したのか、それはどの程度の傷なのか、命に関わる傷なのか、物理的に確認することができる。

しかし、ネットでの誹謗中傷というナイフは、誰が刺したのかのか匿名でわからない。そしてどのくらいの傷なのか、傷の深さや、命に関わるのかは、刺された被害者にしかわからない。

被害者によってはかすり傷なのかもしれないし、致命傷なのかもしれない。

そして、加害者は人を傷つけた自覚が持ちにくい。

だから怖い。


芸能人なんだからそのくらいの覚悟をもってなきゃいけないという人もいる。

僕は芸能人とは言えるレベルではないから、一概には言えないが、芸能人になる人は精神を特別に鍛えてるわけではないはずだ。

芸能人になるのだから誹謗中傷には耐えなさい。そんなことを教えられたことはない。

みんな同じ人間だ。

だったら見なきゃいい。そういう意見もあるが、ネットを全く見ない芸能人の方でも、そういう中傷は嫌でも耳に入ってくるという話も聞いたことがある。

見なきゃいい、は誹謗中傷を完全に肯定している。めちゃくちゃな責任転嫁だ。

直接届くように送っておいて、受け取らなければいい?

カミソリの入った封筒を送って、それを開けなければいいじゃんと言ってるようなもの。


すべてのことには表と裏がある。

だからこの僕の意見にももちろん違う意見がある。

僕は致命傷になる誹謗中傷を受けたことはない。まだそういうジャッジをする世間の目にも晒されてはいない。

そんな奴が偉そうに言える立場ではないが、僕が好きな憧れた芸能界がそういう世界ならめちゃくちゃ悲しい。

そういう世界なら目指したくはない。







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