見出し画像

どんぐりとプリン


ジョゼフに借りた自転車は、キコキコうるさかった。

歩いてる人を抜かすたびに変な目で見られる。

こんなことなら走ればよかった。


急げ。





ジョゼフとルームシェアをし始めたのは、僕が21のとき、ジョゼフは大学1回生だった。それから2年半、僕たちはこの木造二階建てアパートの一階で貧乏くらしをともにしている。

1DKで家賃は7万円。東京にしてはなかなか安い物件を掘り出してきたと自負している。

3万5000円ずつ払っているのだが、僕もジョゼフもギリギリでとても余裕がある暮らしではない。

僕らが出会ったのはバイト先のラーメン屋。

ジョゼフはイングランドから日本語を学びたいとこっちの大学に留学してきた。小説家を目指す僕となぜか意気投合したのは、2人ともラグビー好きだったからだ。まだたどたどしい日本語のジョゼフとバイト終わりいつも缶ビールを飲みながら、歩いて帰るのがおきまりになっていた。

「こんなことなら一緒に住んじゃうか」

冗談ぽく行ったつもりだったが

「イイネ」

ジョゼフは二つ返事でのってきた。

ジョゼフといるとどうしても自己嫌悪に陥ってしまう。

見ず知らずの土地に勉強しにきて、空いてる時間はバイトし、生活費以外は祖国の家族に仕送りしている。

僕はと言えば、親に行かせてもらった大学を中退し、バイトのかたわら小説もどきを書く日々。浮いた金はパチンコや競馬に消える。令和では絶滅危惧種なクズだ。

こんな僕でもジョゼフはバカにしない。

僕のどうしようもない作品をいつも楽しそうに読んでくれる。

「コウジはおもしろい」

そう言い、高い鼻に顔のパーツがしわくちゃして集まる。そんな彼の笑顔が好きだった。

ジョゼフはよく妹の話もしてくれた。ハンドメイドでアクセサリーを作ってるそうなのだが、道端に落ちてるどんぐりをおしゃれなブレスレットに変える魔法使いなんだそうだ。


きっと彼が好きになった日本はこんなクズがのさばる国じゃないはずなのに。

たまに僕が好きな、上に生クリームがのったプリンを買って帰ってきてくれる。

「コウジ、プリン」

そう言って机に置いてくれたプリンは自分が買ったプリンよりもおいしく感じた。


ジョゼフに一度だけ怒られたことがある。

僕がギャンブルで大負けし、消費者金融から金を初めて借りた話をしたら

「コウジ、たよってよぼくを」

ジョゼフは珍しく悲しそうな顔だった。そして財布に入っていた3万6000円を僕に貸してくれた。

毎月3000円ずつ返すよ。その約束を守れたのはたった4ヶ月だけだった。


金はなかったけど、笑顔はいっぱいあった。

夢しかないけど、それでおなかいっぱいだった。



きっといつまでもこのバカな暮らしが永遠に続くと思ってた。僕らは、いや少なくとも僕はそう信じて疑わなかった。


9月29日。夕方、ジョゼフは青白い顔で帰ってきた。今まで見たことない顔で僕は固まってしまった。

彼のお父さんの病気が再発したらしい。

僕はジョゼフのお父さんが病気であることすら知らなかった。

命に別状はないものの、いっしょにいたいから、明日朝の飛行機で祖国に帰るとジョゼフは荷造りを始めた。もう外は涼しいのにジョゼフの額には大粒の汗が光っていた。


なんで。そんな突然。

ジョゼフがいなくなる。


しばらく立ち尽くしていた僕は、外に飛び出した。

「ジョゼフ、自転車借りるよ」

自転車に飛び乗ると公園を目指し、全力で漕いだ。


ジョゼフは僕に色々教えてくれた。

僕は何もできてない。

ジョゼフに何もしてあげられなかった。

ジョゼフは僕にいっぱいのものを与えてくれたのに。

あんなにいっしょにいたのに

ジョゼフのこと何も知らなかった。


ジョゼフに借りた自転車は、キコキコうるさかった。

こんなことなら走ればよかった。急げ。


公園についた僕は自転車を飛び降り、落ち葉の絨毯に這いつくばった。


どんぐりはなかなか見つからない。

なんでないんだよ。

僕が出来ることはこんなことしかないんだよ。

どんぐりはなかなか見つからない。

ジョゼフに渡すんだよ。

知らないうちに僕は号泣していた。落ち葉にぽとぽとと着地したのは雨ではなく、僕の汚い涙だった。


公園を後にした僕はコンビニのATMで全財産を下ろす。12000円。全然足りない。

ATMの横に置いてある封筒にいれる。

ポケットに入ってたくしゃくしゃの千円札を、両手でしわを伸ばし、それもついでに突っ込んで、

最後にどんぐりを4つ入れた。


家に帰ると、ジョゼフは荷造りを終えていた。玄関の横には小さなキャリーケースが1つだけ、ぽつんと置かれている。

僕が13000円とどんぐりが4つ入った封筒を渡すと「コウジ、ありがとう」とくしゃっと笑った。

僕は膝から崩れ落ち泣いた。鼻水か涙かわからないくらい泣いた。ジョゼフはずっと背中をさすってくれた。


ほんとに泣きたいのはジョゼフの方なのに。

ほんとに悲しいのはジョゼフの方なのに。



カーテンの間から差し込む朝日が、右目にかかって僕は目を覚ました。

時計の針はもうすぐ9時を指そうとしている。


ジョゼフはもう飛行機の中かな。

カーテンの隙間から見えるはずのない飛行機を探した。


顔を洗おうと布団から起き上がって、目を擦りながら水場に向かう。

食卓の机には、生クリームがのったプリンがぽつんと置いてあった。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?