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東京から富山に移った今『あのこは貴族』はどう映る?

デパート内部にある高級志向のカフェは、私をのぞいてご婦人ばかりだった。どうしても、ちょっといいスイーツと共に紅茶を飲みながら読みたい本があった。

山内マリコさん作の『あのこは貴族』。電車に揺られながら「第一章 東京(とりわけその中心の、とある階層)」を読んで、文章を追う勢いは加速するばかりだった。これは天井が高くソファがひろく紅茶がおいしい、上品なお店でめくるべき本だ、そう直観してまさにその通りだった。


※ここからはネタバレもあります。ご注意ください!(ちなみに映画は未観賞です、すみません......。)

異なる階層の二人が出会う

東京生まれ東京育ちの生粋のお嬢様、榛原華子。彼女の育ちの良さは、東京の風景をタクシーのなかから眺める描写や、コーヒーより紅茶を選ぶセンスの良さによって描かれている。結婚こそが女の幸せだと信じ、やがて弁護士の青木幸一郎と婚約する。

一方、地方出身で上京してきた時岡美紀は、慶応義塾大学の内部生ーー東京生まれ東京育ちの良家の象徴だーーに憧れながらも、学費が払えずドロップアウトする。そして都内の高級ラウンジで働くさなか、イケメン内部生の青木幸一郎と再会する。

一人の男性 青木幸一郎を介して、二人の女性が邂逅するのが第三章だ。
といっても、幸一郎をめぐって華子と美紀が争うのでもなければ、ふたりで力を合わせて幸一郎に復讐しようとするのでもない。ただただすれ違ったそのひとときを活かして、それぞれの道を行くだけだ。その描写が見事であることはいうまでもないし、“女同士の義理”がテーマになっている。



以上のことは
すでに多くの女性の共感を呼んでいるようです。
ということですので、私はほかに気になったことを述べていきたいと思います。

東京と地方“あるある”

私は「東京の華子」でも「地方の美紀」でもない、微妙な視点で物語を読んでいました。というのも、出身が神奈川県だからでしょうか。

もちろん良家のお坊ちゃま・お嬢ちゃまでない点では、『あのこは貴族』でテンプレート化している「東京の人」ではありません。けれども、京急線と山手線を乗り継げばすぐそこにTOKYOがあるという認識なので、憧れの東京を追い求めて上京する「地方の民」と意識を共にしていたわけでもないと思います。

ただ、神奈川出身だけれども大学は東京で、その後富山にやってきた私からすれば、東京の誇りとその無自覚さも「うん、わかる」、地方の自虐と無垢さも「あー、わかる」と感じました。痒い所に手が届く言葉たちによってこの本は紡がれているのですよね。

そして最後の方で、上京組である時岡美紀は察します。“東京生まれ東京育ちの良いところの子”は、“地方の価値観にしがみつき、それ以外の生き方を知らない実家の家族たち”と変わらないのだと。そこが東京であれ地方であれ、閉じられた狭い世界で生きているのだと。

そうした縛りがない分、私は自由なのかもしれない、と。

地方と都会の合いの子のような町で生まれ育ってーー山と海が近く、買い物といえばイオンでした。一方で東京といえば中学生一人でもどうにか行ける買い物場所でもありましたーー、その後いくつか転々と移動してきた私は、よくもわるくもどこにも拠り所がなく、物語の主軸においては時岡美紀にやや共感していたようです。

しかし、どうでしょう。富山に限らずですがほかの地方都市でも、静まり返ったシャッター商店街を見てきて、それに寂しさを覚えず、ただ日常として享受している今。私の日常は閉じられた世界にあるのかもしれません。こう自覚的になれる時点ではまだ美紀同様に“外の人”なのでしょうが、“内の人”になったら、もう何も思わなくなるのでしょう。


未だ逃れられない男性の姿

もう一つ、書き添えておきたいことがあります。これは華子と美紀という女性二人が自ら生き方を模索し一歩踏み出す物語にみえます。主旨はそれで間違いないはずです。

だから余計に、そこから一歩も動けずにいまだ階級社会のトップとしてがんじがらめになっている青木幸一郎の姿が私には際立ってみえました。

「向いてないよ、嫌々だよ。いや、嫌じゃないけど、仕方ないんだ。俺はあの家に男として生まれた以上、あの家を守って、次につないでいくのが役目だから。逃げられないんだ」(p.303)

最初『あのこは貴族』というタイトルを見て、“貴族”とは榛原華子のことなのだなと思っていました。たしかにそうかもしれません、きっとそうなのでしょう。だって主人公ですし。


しかし最後まで読んでしまうと、いや、“貴族”であり続ける重荷をおっているのは、二人の女性に去られ、今や地位を守り抜くのに必死な幸一郎(この覚えやすい名前さえも、選挙で有利になるように運命を背負わされて名づけられたのかもしれません)のことのようだな、と。うすぼんやり思うのでした。

休んでかれ。