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正直であることはトレードオフの関係ではない

昨日の池袋演芸場のトリ、柳家さん喬師。マクラで金沢帰りでの高座と知って、ただただスゴイと感心してしまう。池袋は噺家さんとのお客の距離が近いから、マイクもないし一体感が生まれやすいらしい。寝てるとか、お菓子食べてるとか、お客の反応がまあよく見えるだろうから。
ワタシは最前列で聴いているので最近よく思うのだけど、さん喬師はそれほど体が大きいわけでもない。そして、よくみるとお歳相応というか、それなりに71歳だと思う。それが、いつもワタシには意外で仕方がない。
落語を聴いていると、とても大きく精力的にみえるから。マクラから噺に入ったらこの人から発する空気に飲み込まれる。
その空気は、とてもあったかい。勝手にやさしさを感じちゃってる。

今日の演目は「抜け雀」。(最高!)
小田原の宿屋で、狩野派の絵師が宿代の替わりに雀の絵を描く。その雀が朝になると、エサを食べるために絵から抜け出て飛ぶようになった。たちまち評判になり、1,000両もの値がつくが宿屋の亭主は、売らなかった。
それは、絵師から「預かっておけ」と言われたから。ただそれだけの理由で、宿屋の亭主は儲けよう、手放そうとしない。

よく考えてみると、なぜなんだろうか?
そんなに価値があるものなら、宿代のカタなのだし売ってしまってもいいのに、そういう素振りもない。理由について、あまり語られていないのではないだろうか。
例えば、「ねずみ」という別の演目では、生きているようなねずみの彫り物が、話題となり宿屋が儲かるという構造がある。もちろん「抜け雀」でもそういう効果はあるが、ピックアップするポイントではない。

さん喬師の「ねずみ」を聴いて、疑問が解決した。
宿屋の亭主が、「バカ」なのだ。違う表現をすると「正直者」なのだ。
さん喬師の亭主は、滑稽なキャラで、かなり笑える。お金を払わないお客に墨をすらされ、鼻の良さだけは人間と言われ、最後にありがとうございました、とお辞儀。なおかつ、「預かっている」雀の絵は売ろうともしない。戻ってきた絵師に、なぜ売らないかを尋ねられ亭主が答えた。

「だって、預かっておけって言ったじゃないですか」

バカだけど、正直で素直な亭主のコトバに絵師は、感心する。

バカだけどまっすぐな亭主が生きている世界、生きていける世界がスキだし、絵師と同じようにワタシも感動した。
人間が大切にしているものが、ちゃんと大切にされているような世界があったらいいなと思わせてくれる。今の世の中にないわけではないし、ただただスキなのだ。
師匠の解釈には、いつも泣かされる。

磨き上げられた完成度の高い抜け雀は、まるで映画のようだ(違う表現がないものか)。すばらしい!


情報が、なかなかのスピード感で流れていくオフィスで、ひとり時間が止まっているように落語のnoteを綴る。それもまた可笑しくて笑えるようになった。

さあ、今日も落語を聴こうっと。



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