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さらば令和元年

「僕の前に道はない。僕の後ろに道は出来る」。彫刻家で、詩人の高村光太郎はそう言いました。

私たちの人生が、時刻表どおりに管理されるレールを外れるとそこに待っているのは、カオスです。私たちはついカオスを恐れるけれども、それは広大な草原、霧立つ険しい山々、暗く深い森と本質的に同じものです。

その時、どうすれば私たちは、自然と対立したり、支配したりするものではなくて、その一部としてそこに在ることができるだろうか。

すぐれた彫刻家は、岩石や大木を見た時に、「どんなものを掘ってやろうか」ではなく、「そこから何が現れたがっているか」に耳を澄ませるそうです。本当に価値のあるものは内発する。私もそう思っています。幸いなことには、私たちは石や木と違って、声を上げられる。声を聴き合うことができる。

こんなにも地上がビルやネオンで明るければ、星々が見えないじゃないか。こんなにも日々が忙しかったら、立ち止まって暗闇を見つめる暇がないじゃないか。そんな社会の中で、私たちは、一人ひとりの意思と尊厳という小さな光を見つめ、連なって見えてくる天の川を頼りに、道なき道を拓いていく。

光から影を見るのではなく、影の中にある光を見よう。

雲の彼方を見つめる足は、地に根付いてこそより確かなものとなる。私たちが表面的にバラバラなのは、根っこでつながっているからではなかったか。離れるときに切ないほど寂しいのは、私たちが確かにつながっているからではなかったか。だからこそ、私たちは共に、早く遠くへから、ゆっくり近くへ、いけないか。

それでも恋はしていない。愛しているから。

いつだって言葉未満の想いと一緒にいるからこそ、言葉と共に生きる人生なのだと言うことを心に刻んだ一年でした。

何とか生きた。共に生きた。統合と超克の道のりであったし、来年もその先をいくと思う。

それでも、いくら進んでも、戻っても、辿り着く先は、地元の居酒屋で、ぬるい熱燗が喉を通り過ぎるその感覚なのかもしれない。

大晦日に年に一度来るという関西からのお客をなぜか店主と共にもてなしながら、私のとっくりから立ち上る湯気と、誰かの煙草の紫煙の境目が分からなくなったところで、ゆっくりと人生の時間が過ぎていく。そんな人生は、悪くないと思う。

ほんとうにお世話なりました。ご縁あってこその人生です。そんな話をしつづけようじゃないか。

来年もどうぞよろしくお願いします。では乾杯

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