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またwikipediaで、筑前黒田藩の歴代藩主を最初から最後まで読み込んでしまった。

またwikipediaで、筑前黒田藩の歴代藩主を最初から最後まで読み込んでしまった。その後、長州毛利藩も同様に読み込んでしまった。計2時間。アホか。


独立かつ在宅だと誰も声をかけてこないので、ついこんな時間の使い方をしてしまう。似たようなことを経験しているご同輩も多いことだろう。


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この時代は本当に若死にする。また、側室はたくさんいるのに、子供(男子)が生まれない。藩主が若くして跡継ぎを残さずに死ぬことが多い。
跡継ぎがいない場合、他藩から養子もらって家を継いでいくことになるが、そんな養子に家臣は忠誠を誓えるのだろうか。


戦国時代のように、一緒に戦って苦労するわけでもないのに、忠誠心が沸くのだろうか。血縁ならまだしも、縁もゆかりもないところで生まれて育った人を藩主として崇めることはできるのだろうか。
しかしwikipediaを見る限り、そんな落下傘的養子藩主に対しても、家臣は一定の忠誠を示し、藩を維持してきたようだ。


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深く沈思黙考ののち、なぜ縁のない養子藩主に忠誠を誓うのか、一つの回答に思い至った。
理由は簡単で、自分が忠誠を誓えば、自分の部下も自分に忠誠を誓ってくれるから。
自分の地位を守るために、まず自分が藩主に忠誠を誓う。
それが秩序というものである。


自分が上司に忠誠を誓えば、部下も自分に従ってくれる。自分が親孝行をすれば、子供も親孝行してくれる。現代社会に生きる我々も同様である。
そうやって恩送りをしていくのが安定的に発展して行ける組織なのだろう。


逆に、将来にわたる自分の地位の安定よりも、今頭を下げるのが我慢ならん!と思い始めると、秩序が崩壊していく。
会社は危機に陥り、家庭は砂漠化する。


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幕末、幕府の権威が衰えていく過程で、言葉遣いが変わっていったと聞く。
征夷大将軍のことを、「大樹(たいじゅ)」と呼んでいたのを、単に「将軍」と呼ぶようになった。
幕府のことを、「大公儀(おおこうぎ)」と呼んでいたのを、単に「幕府」と呼ぶようになった。


秩序が崩れることを革命という。明治維新という革命は大政奉還の瞬間ではなく、徐々に言葉遣いが変化していったこと自体を指すのかもしれない。
現代社会を治世とみるか乱世とみるかは、見方によるだろうが、乱世とみるほうが面白い気がする。

なお冒頭の写真は伊達政宗像である。

『人の生涯は、ときに小説に似ている。主題がある。』(竜馬がゆく) 私の人生の主題は、自分の能力を世に問い、評価してもらって社会に貢献することです。 本noteは自分の考えをより多くの人に知ってもらうために書いています。 少しでも皆様のご参考になれば幸いです。