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平成のオタクに捧げる鎮魂歌

 個人史の中のオタクの話。2000年から2010年ごろにかけて、学生だった自分の周囲に次第にオタクが増えていった実感があるので、当時の有り様を書き留めておくのも面白かろうと思って書く。都市部のオタクの自分語りだと思って読んでもらえれば。

 自分は平成生まれで、小学校に入った頃にはすでに家にWindows98の入ったPCがあった。家族共用のPCだったので、自分は時たまゲームの攻略サイトを覗いたり、PCのゲームソフト(画像のエアホッケーとか)で遊んでいた。同世代の中では比較的早くPCに触れていたと思う。

 当時の自分にその有り難みがわかっていたかと言えば全然そんなことはなくて、というかPCの性能自体も今に比べればひどいもので、クリックのたび甲高い「コッ」という音声が鳴ったかと思えば画面はまるで遷移せず、コッコッコッコッ繰り返すうちに段々その音が「お前の指示なんか誰が聞くかよ…」という舌打ちに聞こえてきたりもし、そうなると余計に腹が立って連打してるうちに気がつくと完全にフリーズしており今度はCtrl+Alt+Deleteを連打する時間が始まるという代物だった。20世紀にシンギュラリティのことを語るやつがいたとしたらとんでもないホラ吹きだったと思う。
 当時オタクという言葉は知らない。世間にはすでにオタク文化もあればそれに対するバッシングも吹き荒れていたころだと思うが、少なくとも小学校低学年の身ではそんなものとは無縁だった。というか大人の勝手な思惑のせいでガキんちょがアニメやゲームを楽しむのに引け目を感じるような世の中はあってはならないはずで、幸い僕のころはそうではなかったのである。僕は人並にコンシューマゲームや漫画・アニメ・特撮ヒーローを嗜む子供だった。

個人サイトとFLASH保管庫(2000年前後)

 進級するにつれ今やどこのインターネット老人会でも語り草になっているFLASH保管庫、そして個人サイトが僕にとってもマイブームとなった。FLASH保管庫の存在を僕に教えてくれたのは学校のクラスメイトだと思う。この辺りは記憶があやふやだが、どうも余裕のある家庭ではこの頃から徐々にPCを購入するようになったらしい。当時Windowsの最新バージョンは2000だったはずだ。
 確か友人たちが一番初めに紹介してくれたのは宇宙刑事ギャバンのFLASHではなかったか。ご存じない方のために説明しておくと、それは特撮ヒーローのOP映像の上を画像によるコラージュ、合成音声による野次、「俺は誰だぜ」等極めて抽象的な語句のサンプリング音声などなどが飛び交う1分ほどの動画で、当時はその落ち着きのなさ、すっとんきょうさがめっぽうおかしく思えたのだった。
 似たようなFLASHは大量にあり、僕の狭い交友関係の中でそれらは大流行りしていたのだが、一方で個人サイトの話題を共有できたのはクラスメイトのL君一人だった。僕と同じように家に家族共有のPCがある彼は、面白げなテキストサイトを探してきては僕に紹介してくれる人物だった。ゲームはスーファミのマリオカート愛好家だったあたりアンバランスな奴である。
 近年のSNSは当時の個人サイトの掲示板チャットと非常によく似た体を示していると思うが、それは僕がクラスタリングされた狭い界隈に引っ込んでろくに外部と交流を持たないせいかもしれない。僕が入り浸っていたサイトは中学生(年上のお兄さんである)が運営していて、他愛のない話題を掲示板に書き込んでは延々駄弁っていた。自分以外の住人はもう少し年上だったように思うものの、本当のところはどうだったのかわからない。当時TVで流れていたちょっとエッチなCM(女のあえぎ声風の音声が入っていた)を住人たちがわざわざスレッドを立てて居づらそうに語っていたあたり、そう年が離れていたわけではないと思うのだが。
 個人サイトの文化はともかく、FLASHの方はほとんど2chの文化と隣接していたから、僕たちは自然とそちらに意識を向けるようになった。当時2chの印象と言えばアングラ犯罪の温床であり、どこぞの小学校に爆弾を仕掛けるだとかいう脅し文句が書き込まれては、関係のない僕たちの学校にまで注意喚起するプリントが回るのだった。そんなことが小学校在学中に2、3度あったと思う。さらにはクラスメイトの誰彼の中学生の知り合いが、一度興味本位でスレッドを立てたところ住人たちにボコボコに叩かれたという噂話まで僕の耳には届いていた。そういうわけだから僕の中に2chを敬遠する心理が生まれたのも無理なからぬことで、僕はFLASHを楽しみながら、その一方でなるべく2ch色の濃いものを敬遠するようにしていた。画像は当時の2chのトップ絵だ。

オタク街へ出る(2004年)

 話をオタクに戻そう。この頃になると僕はネットを通じてオタクなる言葉を知り、2chをその総本山と見なしていた。入り浸っていた個人サイトの住人とオタクは別で、オタクと自分とは縁遠い存在だと自分に言い聞かせていた覚えがある。
 先に書いたことと矛盾するようだが、やがて僕は自ら禁を破って2chの書き込みに目を通すようになった。目当てはAA長編板に書き込まれたAA(アスキーアート。モナーとかギコ猫とか)を用いたショートストーリーで、すでにネタ動画的なFLASHにも飽き、ストーリーのついたアニメ的なものを好んで見るようになっていた僕がそこに行き着くのは自然な流れだった。けれどやはり自分が『アングラ』『犯罪の温床』にアクセスしているという後ろめたさは感じたままでいて、以来2ch界隈に対してずっと共犯者じみた意識が消えないままでいる。
 18禁コンテンツに関しては特に敬遠するところが大きかった。家に友達を呼んで、中の一人がネタFLASHを流したとき、動画の中でほんの一瞬18禁漫画の一コマが画面に表示された。僕はその時動画を再生したのとは別の友達の言った「だから嫌だったんだよ」という一言を未だに忘れられないままだ。ネット上のエロコンテンツの受け取り方も様々であって、よく言われる河原に落ちてたエロ本をこっそり家に持ち帰るような恥じらいを子供たちの誰もが忘れてしまったとは言えない。

 オタクを取り巻く世間の目について触れよう。2004年に電車男が書籍化された。当時僕がいかに作品とそれについての一連の盛り上がりを嫌ったか、良ければ想像してもらいたい。
 そこではアクセスするのも躊躇われるはずのサイトが美談の舞台として持てはやされていた。僕はあまりに潔癖だったかもしれないが、それにしてもあのメディアの持ち上げっぷりには今思い出しても胸糞の悪いものがある。例えるならそれは日本の環境に適応できないせいでじきに凶悪なカビに冒されて死ぬ運命の珍しいサルを客寄せのために動物園で晒し者にしているようなもので、つまりは本来場違いなものを勝手な思惑で持て囃しているのが見るも明らかなのだった。その後起きた恋のマイヤヒに関連する事件については今さら取り上げたくもないくらいだ。
 こうしてオタクなる集団の存在が児童の耳にも届き始めたわけだが、それがクラスの隅っこで自由帳にイラストを書いて過ごしている学生の地位向上に繋がるかと言えばさっぱりだった。
 当時僕は小学生高学年かそこら。夕方のアニメや特撮ヒーローの対象年齢からは少し外れ、また実際の視聴からも遠ざかりつつあった。だが仮にまだそれらに入り浸っていたとしても、その歳でオタクのレッテルを貼られるような筋合いはなかったはずだ。そんな折メディアがいたずらに馬鹿にしてよいものとしてオタクの存在を広めたことで、物静かな生徒を馬鹿にする風潮が教室にも着実に広まっていった。そのあたりのことを思うと、一連の騒動はやはり後味の悪いものを残したと言えよう。

オタク広まる(2007年前後)

 中学に進学すると全く別の方面から僕の元にオタク文化が接近してくることになる。オタクを自認するクラスメイトの存在だ。
 一体同じ時代を生きていていながら、前述の屈折した心理に辿り着いた僕と彼らとの間にどうしてここまで差がついたのか。後から思い返すにつけ当時の世相が暗かったのか広い宇宙で僕だけが暗かったのか自信がなくなってくるのだが、ともあれオタク趣味を認める人間が僕のそばにもちらほらと現れた。彼らは萌え(いにしえのルーン文字だ)アニメを見て、ニコニコ動画に登録し、ボーカロイドを聞いた。
 で、そんな遠い海の向こうから来たようなオタクたち相手に僕がどういう接し方をしたかと言えば、普通に仲良くさせてもらっていた。当時の僕はと言えば、最先端型落ち機器であるところのiPod miniを人から譲ってもらうわ(下記画像参照。クールなホイール操作は後年アップル社にも再現不能のオーパーツと化した)、また家のPCもWindows・"マイティ"・XPを積むわで、それなりに調子の良いデジタルライフを送っていたのだった。

 iPodではロックバンドもよく聞いたが、それ以上に深夜ラジオを短く編集したPodcastを聞いた。自分の話が続いて恐縮だが、これを機に僕の元には深夜ラジオブームが訪れる。聞いていたのはもっぱら知る人ぞ知るTBSラジオのJUNKで、当時は毎夜のごとく深夜3、4時まで起き続けてはラジオ番組に耳を傾ける生活が続いた。
 さて、これが前述のオタクとどのように関わってくるのかと言えば以下の通りだ。一晩中ラジオを聴き続け、寝不足の弱った頭で登校した僕は未だに昨晩の興奮が収まらない。この際誰が相手でも構わないので、ラジオパーソナリティ風の持って回った喋りで適当にでっち上げたホラ話なりネタなりを披露したい気分だ。そこへ同じく深夜アニメを視聴して寝不足のO君が登校してくるが、彼は彼で興奮が収まらず、この際誰でもいいのでアニメのネタで盛り上がりたい気持である。教室でこの二人は奇跡的に出会うことになるが、もちろん話の噛み合うわけもなく、互いに話したいことを話したいだけ話して別れるのが毎度のことなのだった。今現在僕に人間関係を形作る能力が欠けているとするならば、それは多分自分が言いたいことを一方的にしゃべりまくっていたこの時期に損なわれたものと思われる。そして引き換えに手に入れたのは当時のオタクたちのインサイダー情報だった。
 O君が僕に与えてくれた情報の量たるや凄まじいものがあり、例えば当時からすでに一昔前の作品ではあったが、新世紀エヴァンゲリオンのあらましはだいたいO君から聞いた。僕にとってあの作品はアニメではない。口伝だ。僕の中では碇シンジも綾波レイも等しくO君と声帯を共有している。口伝である以上はいつか下の世代に同じ内容を語り継がねばならないが、残念なことに大部分はもう忘れた。僕を最後に失伝したと言える。

 中学の最後の年になると、クラスに小規模なアニメオタクのグループが現れた。電車男の出版からかれこれ数年が経とうという頃だ。というか正確に言えばそれまで僕の観測範囲に入ってこなかっただけで、前々から存在はしていたんだろうが、逆に言えばこれは特段注視していなくとも自然と目につくようになったということではないだろうか。
 僕はしれっとこのグループに潜り込んでいたが、話すネタはと言えばだいたいO君から聞いた口伝だった。なぜにわかの分際でそんな真似を、と思われるかもしれないが、この頃になるとクラスの大人しい連中はだいたいアニメを見るかゲームをするかで、深夜ラジオを聞き未だにオモコロ等のテキストサイト界隈に張り付いていた僕には他に共通の話題がないのだった。で、実際にO君から聞いた(それはもう膨大な)知識だけでやっていけないこともなく、この辺りからグループでのコミュニケーションツールとしてのアニメの在り方がぼんやりと見えてきそうに思えたものである。

未来へ(2010年ごろ)

 高校へ進学する頃にはアニメオタク、ゲームオタクはより身近なものになった。ゲームのし過ぎで頭痛を起こして1日立ち上がれなかったのを自慢げに話してくるS君など、中にはタガの外れたようなのもいたが、おおむね皆オタク的な分野に手を出しつつも学生生活を屈託なく楽しんでいる様子だった。以前のような大人しい連中ばかりでなく、体育会系の学生までもがアニメの話で盛り上がり、僕だけが相変わらず人づてに聞いた知識で話を合わせて隅の方でヘラヘラしていた。
 以前より学内で目につくようになったものにライトノベルがある。クラスメイトのN君などは授業中にライトノベルをとっかえひっかえ読み耽り、ある時化学のテストで3点をとって教師に呼び出しを食らっていたが、その件についてはもはや学生オタクの流行がどうとかいう次元ではないだろう。ライトノベルに対して常に本気でいたN君の逸話については書いていくと長くなるのでここには書かない。
 あれから時が経ち、今になって僕が思い出すのはS君やN君などタガの外れた人たちの方だ。僕は夏休み明けに我流の剣法を編み出すために山ごもりをしてきたと言い放ったときのN君の真剣な表情を忘れやしないが、ああいう良い顔をした連中は今頃どこで何をしているのか。(付け加えると、当時の僕はN君の話す武勇伝を一々真に受けるという過酷な試練を自らに課していた。N君は僕が考えられないほど低めに設定したリアリティラインを、実話の体で何か話すたびに巧みに潜り抜けて来たので、お陰で僕も今では大分現実と妄言の区別がつかなくなった感がある)彼らはきっとオタクが一般的な存在になった今でもやはりどこか世間とズレた生き方を続けていて、窮屈な思いをしているのではないかと思う。僕はこの記事をもって、そうしたはみ出し者、そしてまたオタクバッシングの煽りを受けたオタクたち、僕自身の過ぎ去った時代の悲喜こもごもに対する鎮魂としたいのである。

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