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ギロチナイゼーション 1582 パート2

 男は空間から隔絶された部屋の中で、牢獄の様子をじっと窺っていた。白亜の部屋には時の流れもなければ距離もなく、ただ意思だけ、男の意思だけが横溢していた。ゆえに部屋は時空間の制限を受けず、主の望む方へ舵を切ることができた。部屋は男をギヨタンの幽閉された牢へと運んだ。彼がそこへ向かったのは煮えたぎるような憎悪のためだった。

「聞けギヨタンよ」男の無貌の顔に開いた口は、それ以上開きもしなければ閉じもしない。ただ発した声だけがあらゆる時代のあらゆる部屋を滅茶苦茶に反響して、最後には虜囚の元に届くのだ。彼の姿はさながら顔を削ぎ取られた石像だった。「首を切られたとて、お前は死ぬことはできんぞ」そしてその声は地の底から響くかのようだ。

「なんだその脅しは」ギヨタンは寝転んだまま、男の言葉をせせら笑った。視界には薄汚れた灰白色の天井が広がる。格子窓の外では正午の太陽が雲の影に隠れていた。寝そべって見上げる角度は、ちょうど断頭台にかけられた時のそれと同じだ。「怖がらせるならもっとマシな事を言ったらどうだ」

 その時雲が行き過ぎ、ギヨタンの顔を秋の高い日の光が痛烈に打った。(時を同じくして、白亜の部屋と監獄との接続が切れた。)――首を切られるのならこんな晴れた日が良い。王妃が処刑されると聞いて以来幾日も眠ることがなかった彼は、ゆっくりとまどろみの中に落ち込んでいった。

承前

 それから数日が過ぎた。ギヨタンはいつ唐突に終わるとも知れない虜囚の暮らしをまんじりともせず過ごした。わずかばかりのパンを何度かに分けて食い、格子を伝う雨水を舐めて喉を潤した。看守の中には貴族たちに同情的な者もあり、いくらか便宜を図ってくれてもいたが、国全体が困窮しているのでは監獄に回ってくる食料などタカが知れていた。

 ただ悪いことばかりではない。死刑囚として過ごすのは新鮮だった。これでも議員を勤めていた頃には、もっぱら彼は受刑者の扱いに頭を悩ませていたのである。革命下のことで平時の待遇には遠く及ばないにせよ、ここでなら囚人についてより深く考えを巡らすことができる。その知識はいずれ制度を見直す際に役立つはずだ。もっとも全ては王政が復権し、秩序が回復すればの話だが。彼は権力に素朴に付き従う以外の生き方は知らない。

「なあ、おい」ある日のことだった。隣の房の男がギヨタンに声をかけた。「近いうちに私たちも処刑されるだろうな」「ああ」ギヨタンは気のない返事をした。どうせ根拠のない戯言だ。不安に駆られて口にしたに過ぎない。「私はシモン。ド・ブルトンヌだ。ブルトンヌを知っているか?」「知らんよ」ギヨタンは正直に答えた。ここでは家名にこだわり続けるのは身に毒だ。「そうか。あんたの名は?」ギヨタンは俯いていた顔を上げた。「ジョセフ・ギヨタンだ」

「ああ……そうか。そりゃ驚いた」シモンと名乗った男はもごもごと決まり悪げに言った。「もっと早くに聞いておくんだった」「いや、いいんだ」男が自分の名前を知らずにいたことに、ギヨタンもまた内心は驚いていた。では王妃が処刑された日から、たびたび名前を呼んで呼びかけてきた人物は何者だ? 「あんたの言う通りだな」シモンはギヨタンの動揺に気付かずに話し続ける。「その……断頭台についてだ。死ぬときに苦しまずに済むと思うと楽だ。首を切っても生きてられるというのは……でたらめだ」

 ギヨタンはその言葉を聞いて思い出す。どこからともなく牢獄の中に響き渡った声を。――首を切られたとて、お前は死ぬことはできぬ。「ああ、そうだ。でたらめだ」やや間を置いて、ギヨタンはうっそりと返事をした。だがそうして話す間もずっと、白亜の部屋の主はギヨタンを見張っていた。接続は確立された。それは以前とは比べ物にならないほど強固だった。部屋の主は一段と執念深く、底知れぬ敵意を持ってギヨタンを追い詰めるだろう。

――

 京都は本能寺の北北東に信長の宿所である二条城がある。この日その二条城を居所としたのは信長の子信忠。光秀の謀反と父の討ち死に、何もかも承知の上で立て籠る腹であった。そしてそれももはや長くは持つまい。光秀の手勢が大挙して外堀を囲い、徐々にその包囲を狭めていた。未だ城門は破られていないが、塀を乗り越えた足軽の姿も幾人かあり、城を囲む屋根屋根からは矢や鉄砲が雨あられと降り注いでいる。戦も大詰めと言ったところだ。

 さて、ここに城内の防衛に務める数名の武士たちがいる。彼らは庭先に出てこれより先の武器の配分や、持ち場について手早く話し合いを進めていた。周囲はまばらに生えた立木に囲まれ、狙い撃ちされる心配は少ない。「信忠様はどうされた」「三度打って出られたが、その後は側近のみを連れて殿中に入られたとか」「ついに腹をお切りになさるのか」口には出さずとも彼らの言葉の端々に無念の思いが滲む。この時代の負け戦につきものの、遣る瀬無い一場面であった。

「なあ」武士の一人が呆けたような声を上げた。その瞳はあらぬ方を見つめている。「どうした」「あれはなんだ」武士が指さした先、庭を囲む石垣の間際に人影があった。正午過ぎの高く上った日に照らされた、背の高い男の姿。立木の細い影の中で、棒立ちに立ち尽くしていた。

 石を投げれば届きそうな距離である。怪しげな人影が侍であれば、逃げられる前にここにいる武士たちで斬りかかるところだ。が、そうでなく、人影は南蛮人の服装をしていた。頭に被っているのは兜のはずだが、それにしては見慣れない形のものだ。頭の後ろから顔までを隙間なく覆い、装飾は少なく――まるで首の上に髑髏が乗っているようだった。

「俺が行こう」一団から一人の武士が歩み出て言った。そして大股で木陰の人影に向かって行ったはいいが、そこまで行かないうちに歩みを止めた。人影が忽然と消えてしまったからだ。視線を切らずにじっと見据えていたはずが、ふと見れば一瞬前まで壁を背に立っていたその姿が、影も形も見当たらなかった。前へ出た武士は茫然と仲間たちのいるところを振り返る。「どこへ行った。あいつは」彼らにも見当がつかないようだった。それもただ一人を除いては。

「本気で言ってるのか?」始めに人影を見つけた武士だった。引きつった表情で前へ出た武士を指差す。「すぐ隣にいるじゃないか」彼には見えていた。こちらへ向けて悠然と歩いてくる南蛮服の男が。南蛮人――ギロチンは男が自分を指差していることに気付くと、真っすぐ男を見据えた。周囲の視線から自分の姿を覆い隠してしまう『遮蔽』には一つ但し書きとも言うべき例外があり、『いずれ刑死を遂げる者』には彼の姿は変わらず見えたままなのだった。

「隣にいるって……何がだ」「曲者がだ!」侍が声を荒げ、皆が一斉にその指差す方を見た。その先ではギロチンが徐々に足を速めながら男の元に近づいて来ていたが、他には誰一人その姿を見ることはできない。なぜなら他の者は腹も切らねば晒し首にもならず、いずれもこの場で雪崩れ込んできた明智軍と斬り合いになり討ち死にする定めだからだ。次に彼らは怪訝な表情を浮かべて、指を差した者を見た。その哀れな武士は青ざめ、絶望に目を見開き、この上なく錯乱して見えた。

 それから指を差していた武士はばったりと倒れた。侍たちはわっとその場を散った。塀の外から撃たれたかと思ったからだ。めいめいが石垣や立木の陰に身を寄せた。そのまましばらく待ってみたものの、次の弾が飛んで来る気配がないので、じき身を起こした。そして誰が言い出すでもなく倒れた男の側に集まった。そこにはまだ息があるかもしれないという期待がなくもなかったが、見ると侍の死体の首から上は失せていた。

――

 ギロチンは板張りの廊下を足早に歩いていた。彼は人目を盗んですでに城内への侵入を果たしている。ギロチンが前を行き過ぎた壁や廊下は、まるで草木としての生命を取り戻したかのように一人でに変形を始め、蔦のような触手を伸ばして彼の両腕にまとわりついた。触手はギロチンの歩みに合わせて自然と根元から千切れたが、その先端部分は蛇のように相食みあい姿を変え、やがて肩に担いで持ち運び可能なサイズの断頭台を形作った。信忠の切腹はもはや秒読み。彼はその前に何としても首を刎ねると決めていた。

続く

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