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ネオサイタマ2000:現実と響き合うニンジャスレイヤー

 都市には秘密がつき物だ。『羅生門』に出てくる平安京の老婆は死骸の髪を抜いているのを咎められたときに「この街の人間はみな似たような悪事に手を染めているのだ」と言って食い下がったし、『トータル・リコール』に出てくる火星もシュワなしでは大変なことになっていた。

 後者は邪悪な為政者が陰で事実を隠していた例だが、何者かの作為のありやなしやに大した違いはないと自分は思っている。マジェスティック12やシオン24人の長老の手を借りずとも、街は常にその膨大な情報量から来る秘密をはらんでいる。

 現実の街にしてみても同じことだ。例えば同じ街に暮らす住人の顔を、残らず知っているという者はそういない。そして街に知らない人間がいるということは、それだけ街に知らない側面があるということだ。普段私たちが目にしているのは、自分の住む街の一側面に過ぎない。

 ニンジャスレイヤーの舞台ネオサイタマはニンジャスレイヤーに次ぐ第2の主役だ。実在の埼玉とは似ても似つかない摩天楼都市であり、土地としては関東地方の湾岸部一帯を占めるメガロポリスでもある。

 なんでも作中の日本は20世紀の半ばまでは現実世界とほぼ同じような歴史を歩んできたそう。が、それにしては作中の地理に関する描写はネオサイタマの北に中国地方が広がり、独立を果たしたキョート共和国との間の距離は数100マイル……といった調子ではなはだ覚束ない。それで自信満々に「ここは日本国だ」と言い張ってくる辺り潰れたコンビニの空き店舗に居抜きでピラティスが入ってきたような違和感を覚えずにいられないのだが、ともあれこの記事では作中の日本が現実の日本列島と同じものを指しているとして話を進めたい。テーマはネオサイタマの持つ秘密だ。特にその歴史の中で、Y2Kというギミックが果たした役割を詳しく見ていくことにする。

第1部に見るネオサイタマ

 ニンジャスレイヤーは大まかに言ってフジキド・ケンジを主役にしたトリロジーとマスラダ・カイを主役に据えた続編「エイジ・オブ・マッポーカリプス」の二つに分かれている。区切りごとにネオサイタマの取り上げ方には大きく差があり、より強くフィーチャーしているのはトリロジーの方だ。

 ネオサイタマには秘密がある。それを解き明かすキーワードはヤクザ、ニンジャ、そしてY2Kだ。トリロジーは作中世界の謎を解き明かす探偵譚であり、ニンジャスレイヤーことフジキド・ケンジがネオサイタマを後にするまでを描いた物語でもある。

 中でも1部はフジキドとネオサイタマの紹介に多くを割いているが、その際には単に設定を並べ立てるのでなく、時にフジキドの視点から、時に各エピソードのゲストキャラクターたちの視点から、といったように変転する語り口が読者を飽きさせない。

 そのような手法は何もニンジャスレイヤーの専売特許というわけもないのだが、「人一人が把握するには大きすぎるもの」である街を描くにあたって非常に効果的だと思う。例えば短編『ゼロ・トレラント・サンスイ』にある、ニンジャスレイヤーという人物と、現実の世界と比べて一癖も二癖もあるネオサイタマの景観に同時に迫っていく場面など、緊張感がみなぎっていて思わず引き込まれる。

 そうした多様な視点を通して明かされるものはと言えば、一つにはネオサイタマが持つ犯罪都市としての一面がある。街はソウカイ・シンジケートのヤクザによって影から支配されており、さらにシンジケートの首領はニンジャであった。1部ではこの階層をなす支配構造が何度となく提示され、ネオサイタマでという街の過酷さと救いのない住民たちの暮らしが強く印象づけられる。

 もう一つは、フジキド・ケンジが強くネオサイタマと結び付いていることだ。ネオサイタマに建つマルノウチ・スゴイタカイビルは、ニンジャスレイヤー生誕の地である。わけあって彼はほとんどビルの上を離れることがないのだが、そんな彼とソウカイヤの因縁が語られるエピソード『メリー・クリスマス・ネオサイタマ』はネオサイタマの街並が俯瞰で詳細に語られるエピソードでもある。ここでもやはりフジキド・ケンジの過去と街の姿は同列に語られる。フジキドとネオサイタマは、言うなれば二つで一つなのだ。彼はまた都市に暮らす人々のネガであるナラク・ニンジャのソウルを内に秘めている。

 最終的にソウカイ・シンジケートはフジキドの殴る蹴るなどのカラテによって滅ぼされたが、依然として街は犯罪都市のままだ。加えてさらなる謎が残された。すなわち、コトダマ空間の謎である。

ネオサイタマの成り立ち

 生体LAN端子を用いてネットワークに接続した先に、現実とは別の世界が広がっていた。そこでは観測者の意のままに、ありとあらゆる事象を起こすことができる。観測者にとってただ一つ干渉することができないのが、空に浮かぶ金色の立方体だ。それは何やらニンジャと関係があるらしい。

 コトダマ空間とはそのようなところである。その正体は作中の謎の根幹を成しており、1部での登場以来トリロジーの終盤まで明かされることがなかった。付け加えれば、後にその存在がネオサイタマの有り様と深くかかわっていたことが判明する。

 そしてもう一つ、3部中盤に至って現れたキーワードがY2Kだ。これは現実に存在した予想であり、かつては2000年問題なんて言われたりもした。なんでも一時期開発されたシステムの大半が西暦を19xx年の下2桁だけでカウントしていたために、新年の到来とともに大規模なシステム障害が予期されたそう。危惧されていただけで大したことは起こらなかったというのがミソだ。

 当時はそういう先の見えない時代だったと言えよう。1999年のお盆過ぎくらいまではまだぎりぎりアンゴルモアな空気が流れていたし、バンドもナンバーガールとかで擦り切れた雰囲気があった。シュワは、その少し前から迷走を始め、クリスマスプレゼントのために奔走したり、妊娠したりしていた。

 作中におけるY2Kは歴史の転換点だ。ネットワークと異界たるコトダマ空間が繋がり、世界中でUNIXが大爆発を起こした。ネットワーク通信技術はロストされ、コトダマ空間の空に浮かんだキンカク・テンプルからニンジャ達が現実を侵し始めた。その他フジサンが噴火したとかポールシフトが起こったとか、話は大きくなる一方である。

 次いで起こったのが電子戦争だ。UNIXと技術者たちが消失したことにより、これまた世界を股にかけてIPの奪い合いが発生する。それまで先に書いた通り現実と変わらない歴史を経てきた日本国だが、この戦争によって国土が荒れ、空には磁気嵐が吹き荒れ、海には殺人マグロが泳ぎ、というか普通の動物は多分絶滅し、鎖国され、果てはネオサイタマが生まれた。ここまでブッ壊れてしまった原因として核兵器を挙げる向きもあるが、作中で言及がない上、自分で建てた推測ではないので、ここでは詳しく書かない。

 ついでにこれは余談だが、電子戦争という言葉こそ出てこないまでも、物語開始前に起きた戦争については1部の『ゼロ・トレラント・サンスイ』の時点で言及がなされていた。同エピソードに登場した従軍経験のあるニンジャ・ミニットマンは数ツイート先でハデに命を散らしており、以来自分はネオサイタマの過去について仄めかされるたびに「ミニットマン=サンならこの辺全部知ってるんだろうなあ」と思ったものである。この話は余談なのでここで終わりだ。

 さて、その頃密かに世界を手中に納めんとしていた作中最大の強敵・鷲の一族の当主アガメムノンはY2Kのもらい事故で天から落ち、生死の境でニンジャとなった。彼はその後長く雌伏の時を過ごし、3部で再び頭角を表す。世界をY2K以前に戻し、権力の座に返り咲こうと画策を始めたのだ。アガメムノンは悪党だが、ここまでネオサイタマの歴史を振り返った後ではその気持ちがわからないでもない。

 3部はアガメムノンとニンジャスレイヤー(あとエシオ)の戦いを軸に、次第に世界設定を明かしていかような構成をとっている。興味深いのは上記のような真実が明らかになるにつれ、次第にネオサイタマに対する肯定的な視点の描写が増えていくことだ。1部にもチラホラ街の良心のような人物が出てきたが、3部では街の混沌としたパワーをコトダマ空間やニンジャの魔術的な設定とオーバーラップさせ、ダイナミックに描こうとする姿勢が見られる。ここでは例としてニンジャ・シャドウウィーヴが初めて自らの目でネオサイタマを見た場面を引用しておく。

 視点が移り変わった理由としては、執筆した時期の違いが挙げられると思う。作者いわく1部から2部にかけては70年代~90年代、3部では00年代の空気感を前面に打ち出しているそうだが、Y2KもIPv4の枯渇問題も、もっと言えば恐怖の大王ですら(騒がれたのは日本だけらしいけど)前世紀のリアルだった。未来は不安だらけだったのだ。

 ところが実際に訪れた21世紀は、それ以前とあまり変わりがなかった。技術の進歩は目覚ましいものがあるが、生活への影響は創作に出てくるよりもずっと微妙なニュアンスを持っていた。これは何もニンジャスレイヤーに限ったことでなく、近年のSF作品の近未来描写は大人しくなりつつある。と思う。シュワルツェネッガーはカリフォルニアの州知事になった。

 であれば、敢えて時代ごとの空気を強調しているニンジャスレイヤーが、3部に至りネオサイタマに良くも悪くも混沌とした街、という曖昧なニュアンスで描いたのも当然のことであろう。ある意味『現実にY2Kが起こらなかったこと』が、作品に影響をもたらしていると言える。そう考えると世界をY2K以前に戻し、フラットな管理社会を産み出そうとするアガメムノンの理想は、なんと無闇に絶望的なことか。

 かくしてフジキドの心境も大きく動く。彼は病的にニンジャを追い求める狩人から、混沌としている自分自身を肯定できるような動機を持ってニンジャと戦う存在へと変化を遂げていくことになる。彼と街のシンクロニシティは、トリロジーの最終エピソード『ニンジャスレイヤー・ネヴァーダイズ』で頂点を極める。

 そしてニンジャスレイヤーは街から姿を消し、ネオサイタマは続く『エイジ・オブ・マッポーカリプス』へ向けてさらなる変貌を遂げる。そこでは謎の万能物質エメツの発見により、作中世界が飛躍的な技術発展を成し遂げたことが語られるが、それに伴ってネオサイタマに漂っていた閉塞的な近未来都市の感は多少薄れている。ネオサイタマと現実世界は3部において束の間交錯し、そして再び袂を別ったと言えよう。

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