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コエンザイムQ10の思い出

最近、健康面で不安材料を抱えているので、柄にもなくサプリなどを飲んでいるのだけど、薬局でふと手に取ったコエンザイムQ10を見て色々なことを思い出した。

母の実家は高知で化粧品店を営んでいる。今は祖父母ともに亡くなっており、叔父が継いでいる。

無口で無愛想だった幼少時代の僕は祖父母と余り折り合いが良くなかった。何を考えているのかよく分からない、とっつきづらいという印象だったのだろう。そう思われていることを僕の方もなんとなく察していて、15くらいの頃を最後に盆に帰省しなくなった。いつしか疎遠になっていた。

最後に祖父と会ってから10年以上経過していただろうか。祖父が急逝したという知らせを受けた。もちろん僕は東京にいた。仕事もしていた。通夜に参列するとなれば、休みを取らなければならない。何しろ場所は高知四万十。当時貧乏だった僕には早割が適用されない飛行機という選択肢はなかった。でも陸路だと片道8時間はかかる。日帰りは不可能だ。おまけに祖父母と疎遠になっていたから敷居が高い。どうしようか、、、と一瞬迷ったけれど、この機会を逃したらもう僕は二度とあの場所に足を運べなくなるような気がした。

そうして久しぶりに訪れた高知。通夜の雰囲気はとても和やかだった。祖母も叔父たちもにこやかに僕を迎えてくれた。祖父は享年80歳だったかな。大往生というほどではないかもしれないけど、十分天寿は全うしたのだろう。嘆き悲しむような雰囲気はなくて、思い思いに祖父の思い出を語り合うような雰囲気だった。とりわけ祖母は、東京から駆けつけた孫が唯一僕だけだったこともあり、ことのほか喜んでいるように見えた。人間的にもだいぶ丸くなってたからね(笑)

翌朝、リビングで煙草をプカプカ吸っていたら「そんなに吸うもんじゃないよ」「身体は大丈夫なのかい」と祖母が心配そうに話しかけてきた。そして棚から何かを取り出して僕に手渡してくれたものが、おそらく店で商品として扱っていたものであろう「コエンザイムQ10」だった。それはいかにも高価なものに見えた。薬局で売っている安手のサプリとは装いが違っていた。

実際、コエンザイムQ10を飲んだら、睡眠やお通じが劇的に改善された。そこらのインチキくさいサプリとは違って、効果を即座に体感できた。

「あのケチなおばあちゃんがそんな高価なものくれたの!?よっぽど嬉しかったんだろうね」とは母の言葉。僕が東京に戻ってからもしばらく祖母は僕のことを嬉しそうに話していたそうだ。もっと早く、祖父が生きているうちに顔を出してあげればよかったな。

その後、100歳まで生きるんじゃないかというくらい元気だった祖母が、まるで祖父の後を追うようにして一年後に衰弱してこの世を去った。ケチで口うるさくて頭の固い祖母だったけれど、最期は長年連れ添ったパートナーへの愛情に殉じたのだろうか、なんてロマンチックなことを考えてしまう。晩年、子供に世話をさせることなく死んでいった祖父と祖母、それはそれで美しく潔い最期だったのかもしれない。

コエンザイムQ10は、あのときの高知の風景を思い起こさせる。

(写真は去年、四国で撮ったもの)

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