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『本日のはじめて』:金継ぎ

日々、自分のノートにとりとめもない日記のようなもの(原則、仕事のことは絶対書かない)を気ままにつけているのだが、そこに『本日のはじめて』というコーナーを設けている。

どんな小さなことでもいいから、絶対にその日に人生はじめてやったことを記すのだ。

例えば
・マフィン屋のマフィンを食べてみた
・もりやすバンバンビガロの大道芸をみた
・2日目のカレー鍋をリゾットにした
・海鳥が魚と格闘しているところを目撃した
・たべっ子どうぶつの箱を正面ではなく側面から開けてみた
という感じである。

ご覧の通り、いちいちSNSなどで発信することでも人に自慢するようなことでもないことばかりだ。だから自分だけのノートに書く。
(ただしバンバンビガロはすごかった)

しかし、案外あるものだ。「はじめて」が。
金太郎飴のようにどこを切っても変わり映えのしない日々と思っていた毎日は、意外とそうでもなかったのだ。
他人にとっての「当たり前」かもしれないことでも、私にとっては正真正銘の「はじめて」なのである。

31年生きたくらいで何でも知ってるようなことは絶対に言えないな。と思う。



そんな、9割8分8厘がどうでもいい『本日のはじめて』であるが、
先日、珍しく本格的な、なんとなく人に言ってもよさげな「はじめて」を書くことができた。

それが金継ぎである。

淡路島の大好きな窯元で手に入れた大切な大切なお皿の端っこを割ってしまった。
バカな私は不注意で…と、絶望の中、ゴミ箱に捨てようと思ったその時、ちょっと待てよ、と。

数年前から、ちょくちょく縁が割れたコップを見ては、金継ぎしてみたいなぁと言っていたことを思い出した。
漆で手がかぶれるらしいだの時間がかかるらしいだのと言い訳して何年も避けていた金継ぎ。
これを機に一度やってみようと思った。

今は初心者向けに簡単なスターターキットが売られているとのことで、早速やってみることにした。

割れた部分は接着剤で接合し、欠けた部分は粘土のようなパテをこねて埋め、その上を色付けしていく。

無事にそれなりに仕上がり、割ってしまったお皿も、お皿としての機能を取り戻したのだ。
むしろ前よりも風情がある姿で生まれ変わったではないか。
こんな自分にだってできたのだ。

しかし、しっかり接合はできているものの、ちょっと水漏れしてしまいそうな気配がある。
詰めが甘い。
まぁそれは初心者のご愛嬌ということで、これからはシュウマイなどを載せる用にしようと思う。
柿の葉寿司とか桜餅など、ポッテリして綺麗な色のものも載せたい。

前回の記事でも同じようなことを違う角度から書いた気もするが、
金継ぎをやりながら、多少傷を負っても欠けてしまっても割れてしまっても、こうやって、上手く補修しながらやっていくしかないのだな、と月並みながら思った。
むしろその傷は自分らしさにもなり、以前より強固な器にもなりうる、と。
欠落感を抱えながらも生きていくしかないのだ、と。

おそらく、金継ぎ初心者のほぼ全員が、そうして自らの人生や再生の物語と照らし合わせたような感想を抱くのであろう。

ベタである。恥ずかしくなるほどベタである。
でも、仕方ない。本当にそう感じたのだ。

自分の心で。
私ははじめて。

一度はゴミ箱に捨てられそうになったこのお皿に、春になったら柿の葉寿司や桜餅を載せるのだ。

そして、そのことをまた書くのだ。
『本日のはじめて』に。

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