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天職の見つけ方

〈ときに、「自分の『好き』を仕事にしよう」というような表現に出会うことがある。ただ、ぼくはその考えにあまり賛成しない。なぜなら、仕事とは「誰かをよろこばせるためにすること」なのであって、「自分をよろこばせるためにすること」は趣味なのではないかと思うからだ。そして、誰かをよろこばせること、誰かの力になろうとすることは、(おそらく自分をよろこばせること以上に)簡単なことではなく、簡単でないからこそ、自分の「ありったけ」や「とっておき」で取り組まなければならない。〉

こう記すのは、東京・西国分寺で喫茶店「クルミドコーヒー」を営む影山知明さん。2015年に刊行後、多くの読者に読まれ続ける著作『ゆっくり、いそげ』(副題「カフェから始まる人を手段化しない経済」)に続く、『続・ゆっくり、いそげ』からの引用です。

〈でも、そのよろこばせたい相手、力になりたいと思う相手が、自分にとって大事な存在であればあるほど、そのことへの動機はとても自然で前向きなものだ。そして自分に向けてのこと以上に、ウソがつけないものであるかもしれない。そうなったときほど、いっそう自分の中の秘めた力が引き出されるという人だって多いのではないだろうか。〉

二作目の副題は「植物が育つように、いのちの形をした経済・社会をつくる」。ある商店主から一作目を教えていただき、その後訪れたクルミドコーヒーで二作目に出会いました。私も折々に読み返す二冊。長い引用がお許しいただけることを念じながら続けます。

〈そしてこうした前向きな必死さが、自分の中の種の存在に気づかせてくれる。それはときに、「ああ、自分にはこんなこともできるんだ」て、自分にとっても意外な角度で。ぼくにとって、クルミドコーヒーをやってきた過程がまさにそうしたものだ。前著のあとがきにも書いたように、元々はカフェなんてやりたくなかった。接客業に向いているようなタイプでもなかった。〉

1973年生まれの影山さんは東京大学法学部卒業後、世界有数のコンサルティング企業「マッキンゼー&カンパニー」を経て独立。ベンチャーキャピタルとしてベンチャー企業に投資してきた人物。資本回収の効率を重視するビジネスの世界にいた彼が、2008年になぜクルミドコーヒーを開業したのでしょうか。

〈ただ、娘のため、もっと広く言えばこどもたちのため、一緒に働くことを選んでくれた仲間たちのため、よろこんでもらえたらいいなと自分にできることを考え、力を尽くしてくる過程で、カフェ店主としてのぼくの種は はむくむくと育ってきた。そのことのためであれば、自然とがんばれた。そして、一人一人を受け止め、力になってあげることや、場をつくることなど、「ああ、そういうこと、意外に自分得意かも」ということに、やりながら気づいてくることができた。〉

クルミドコーヒーを始めた理由、彼がそこで営んできた商いの目的と実践については、ぜひ彼の著作にあたり、店を訪ねて確認していただきたいと思います。一つだけ言うなら、店には多くのお客さんが集い、語らい、くつろぎ、交流している姿を見られます。

何かを学ぶ場であり、何かを生み出す場であり、何より心地よい場として繁盛していました。そこに店が本来持つ姿を見ることができます。ポストコロナには、そうした場がなおさら求められるでしょう。

〈そして今では、カフェ店主こそ自分の天職であると信じている。〉

まだお会いする機会がありませんが、注目する商人のお一人です。

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