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熱量とともに過ぎ去った二人のお出かけサービスのStory

友人であるワタリと一緒につくっていたdocoikというサービスがある。サーバー代を払い続ける限りサービスが止まることはないが、GitHubに残っている37個のIssueは、2018年6月22日を最後に更新されていない。プロジェクトとしては、もう過去のものだ。

このプロジェクトを解散するまでの話をワタリが書いていた。ワタリにとってはこれが初めてのゼロからのサービスづくりで、思い入れは強かったのだと思う。

自分にとっては何度目になるかわからないサービスづくりで、彼ほど強い思い入れはない。だけれども、仕事のためでもなく、自分のためでもなく、会ったことのないユーザーのためでもなく、特定の誰かのためにちゃんと作ったサービスは初めてだったので、その点では自分にとっても思い入れがある。

サービスを作るのは、売り上げのためだけの事業を作るのとはちょっと違う。僕らが向き合ったのはそこだし、向き合いきれなかったのはその部分だ。僕らの迷いや葛藤が誰かの何かに繋がっていけば良いなと思って、ワタリへのアンサーのような形でnoteを書くことにした。

はじまりは2月の恵比寿のマクドから

ワタリは元同僚だ。といっても、自分はワタリと数ヶ月しか一緒に働いていない。自分がすぐにその会社を辞めてしまったからだ。

会社を辞めてからの数年は、薄く長い付き合いが続いていた。自分には会社を辞めた負い目があったし、ワタリはワタリで居場所を提供できなかったもどかしさなどがあったのだと思う。

そんなワタリから「サービスについての相談がしたい」というメッセージが来たのは、2018年2月の真ん中頃だっただろうか。ワタリが勤めていた会社のサービスの相談だと思い、その会社が提供しているサービスの現状分析を簡単に行なってから、恵比寿で待ち合わせをした。飲まずに話せる場所が少なくて、僕らの年齢に似合わないマクドで話をした。

席につくなり、このスライドを見せられた。通勤の合間とかにセコセコ作ったらしい。ついでにスプレッドシートで作ったプロトタイプも見せられた。「こいつ暇なの?バカなの?」と、その時は思った。

とはいえ本業がプロダクトマネージャの自分は、サービスの話が大好きだし、どうやったらワタリの妄想が形になるかをポテトを食べながら考えていた。まあ、「今のままじゃ、どうやっても形にならないな」と。

その時は一緒にやるつもりはなくて、壁打ちしながら良い方向にサポートしていければ良いなくらいの気持ちだった。サービスは好きだし。

恵比寿駅で別れたあと、docoikについて自分でも少し考えたり、「この点をもっと深掘りした方が良い」といったアドバイスをワタリにしたりしながら、なんかちょっと面白いかもなと思い始めている自分がいた。

当時の自分はフリーランスにも飽きて来ていたし、一人で運営していたサービスにもちょっと疲れていたりして、ぼんやりとチーム戦がしたいなと思っていた。

そういえばワタリとまともに働いたことはなかったな、と改めて思ったりしたり、彼の妄想を形にできるのは自分くらいなんだろうなという気がふつふつと沸いてきたりして、なんとなく手伝うことにした。

この時は、ワタリのサイドプロジェクトだった。

おでかけ自体が楽しかった3月と、もっと先にいくことを考え始めた4月

3月は、ひたすら「こどもとおでかけ」について考えていた。独身男性の中で日本でトップ100に入るくらいには、お出かけについて詳しいと思える程度には。

「子供」なのか「こども」なのかとか、「Docoik」なのか「docoik」なのかとか。そのひとつ一つに自分たちで意味づけをしていった。

GitHubへの初めてのcommitは3月上旬だったので、そこから作り始めたのだと思う。CSSもロクに当てていない適当なプロトタイプを自分が作り、それをもってワタリが周りのパパママにヒアリングして回っていた。

モノを作るフェーズは、何回やっても楽しい。リリースして反応があるのかないのかは毎回ドキドキだが、ヒアリングを重ねて作っているdocoikにおいては、一定の反応があることはなんとなくわかっていた。

ワタリはプログラミングはできないが、それでも自分のできることを精一杯やっていた。ユーザーヒアリングもそうだし、お出かけ先のデータ登録といった苦行を愚痴も言わずにこなしていた。そのおかげで短い期間で深い検討ができ、短期間で良いサービスを作り上げられた。

お出かけのピークである、GWを前に僕らはdocoikを公開した。チームで何かを作るって楽しいなと、久々に思った。

目的地が変わってきた5月と、どこを目指せば良いのかわからなくなった6月

docoikの公開後、自分たちが思っていた以上に反応があって、手応えもあった。サービスを作って良かったなと思った。

事業化の話が本格化しだしたのはこのころだ。当初僕らは、事業化ということを一切考えていなかった。もちろん、妄想ベースでいつかdocoikだけで食っていけたら良いよねといった話はしていたが、それよりも自分たちが解決したい課題を解決することを優先していた。

とはいえありがたいことに、事業化を真剣に検討してみてはどうかという声を多方面からいただいた。

その流れで投資家の方とお会いしたり、VCの方とお会いしたりして、徐々に僕らの中でも事業化の方向に舵を切りつつあった。幸いなことに、お金も幾らかは集まった。

そのあとは、だんだんと方向性がよくわからなくなっていった。ワタリの妄想を形にするというフェーズから、投資してくれた方にどうやってリターンを返すかということばかりを考えるようになった。

事業化に向けたプランはいくつかあったし、筋の良いものもいくつかあった。事業領域的に長期間潜る必然があることは理解していたし、それを前提とした戦略も必死になって考えていた。

だけれども、僕らは最後にGoといえなかった。

7月の恵比寿のワインは、ほろ苦くて冷めたかった

僕らのサービスは、恵比寿で始まって、恵比寿で終わった。始まりと終わりが同じなのは、半分ジョークみたいなものだ。

ビジネス的な理由はワタリが書いていた通りだ。自分から付け加えることは特にない。

でもそれ以外にもうひとつ理由があって、それは僕らの熱量の違いだった。

4人家族で過ごすワタリと、独身貴族を謳歌する自分。そして当時のワタリは会社員で日々忙しく過ごしていて、自分はフリーランスで時間なんていくらでも作れた。

ワタリが始めたサービスだったにも関わらず、物理的に注ぎこめる時間や熱量の差が、僕らの間には間違いなく存在した。

5月や6月は、通常よりも早いペースで開発を進める自分に合わせて、ワタリは睡眠を削ってdocoikの時間を捻出していた。当たり前だけど、そんなものは長く続くはずがない。

その一方で、睡眠不足や環境の変化からくるワタリのクオリティの低下が許せない自分もいた。当時の資料を見ると、なかなかにきつい言葉を発していた。多分、自分も疲れてきていたのだと思う。

ワタリは真面目だし、頭もよければビジネス的なセンスもあるし、何よりもやりきる力がある。だからこそ、その差が、その熱量の差から生まれる何かを受け入れられなかったのだと思う。

ユーザーの熱量もそうだけど、作り手の熱量も大切だ。どちらが高すぎても、どちらが低すぎても、良いサービスは作り続けられない。それは一人でサービスを作る中で嫌というほど学んだ。

自分が知らなかったのは、作り手同士の注ぎこめる熱量の差も、サービスを作る上での大切な要素だったということだ。

一人で作るモノづくりとは違った楽しさもあったのだけれども、薄々と気づいていたこのズレは、最後まで埋めることができなかった。

サービスを閉じるとき、そこに熱量はあるか

サービスを閉じるなんていうことは、よくあることだ。成功するサービスなんてほんの一握りしかないのだから、それ以外のサービスはいつかは閉じられる。でも、僕らにとっては特別なことだった。

一つ一つのサービスには色々なストーリーがあって、お金を稼ぐよりも大事なことがあって、色々ないざこざがあったり、色々な誓いがあったりする。

コードに落としてしまえば無機質なゼロイチの世界でしかないが、色々な会話や気付きやお互いの感情のぶつかり合いの中から生まれるそれらは、そのチームそのものだと思う。

僕らのプロジェクトは解散したけれども、サービスを閉じる決断はできなかった。だから、月々千円ちょっとのサーバー代を献上し続けている。

多分、これが僕らの本質だ。

すっぱりやめる方が潔いが、それを僕らは選べなかった。最後の最後まで諦めることができなかった。

諦めの悪さと、何かが起こるかもしれないという期待と、何かを起こせるかもしれないというちょっとした自信。僕らのコアはこの三つだった。

強くなってリベンジ。それができる日がくるまで、熱量ととも僕らはサービスを作り続けるんだと思う。

まいにちのご飯代として、よろしくお願いします。