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紙魚の仕事。

昼過ぎ、豪雨。
雷こそ鳴りはしなかったが、ちょっと怖いくらいの勢いだった。

今日は実家に顔でも出そうかと思っていたのだが、これで「挫けた」というか、別の「作業」にて午後の時間を過ごす。

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これまでも何度も書いたが、新聞を取っているのだけれどまったく(!)読んでいない。毎月無駄に(?)4千円くらいのお金を払っている(3千5百円だっけ?)。
「家」にいるときもなかなか読む時間がなくて、週末にまとめて読むような生活を送っていたのだが、今は明らかにそれ「以下」。毎朝、「部屋」を出るときに、(ひょっとすると「誰か」から郵便物が届くかもしれないから!)郵便ポストを空けておくために新聞を取り出し、上がりがまちの上に放り投げて出ていく習慣。そして、それが雪崩を起こし、下手なビーバーが築いたダムみたいになっていて、大きく一歩を跨がないと「部屋」に入れないって有り様。ホント、情けない…。(T_T)

で、今日はそれを数箇月分片付けた。

ところが不思議なもので、気付くべきものには(たぶん)気付くようで、例えば、鷲田清一氏の「折々のことば」で紹介されていた

「もう少しでわかりそう」という感覚は、「もう少しで思い出せそう」という感覚に似ている。

ってことばが素敵だなと思って見たら、今朝ネットで注文した永井玲衣さんの『水中の哲学者たち』からの紹介だった。

また、「be」(日曜版)の伊藤比呂美さんの特集もちゃんと見付けたし、熊本・橙書店の田尻久子さんのことばもちゃんと見付けた。

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ちなみに、午後、実家に帰る代わりにしていたのは紙魚(しみ)のような作業。

たしか前にも一度か二度か書いたことがあるが、昨年度、**新聞で連載をしていた福岡伸一氏の小説「ドリトル先生 ガラパゴスを救う」をざくざくと切り取っていたのだけれど、それをキレイにカッターで切り、日付を書き入れて、まとめた。これはもともと「息子」に会う「願掛け」のようなものだったんだけど、(今年度になって)おそらくもう会えないであろうことが分かり、GW頃に、年度末から9月ぐらいまで遡ったところで完全に手が止まっていた。「もう、捨てようか」と何度も思ったのだけれど、今日、ついに去年の4月1日まで遡ることができた。意味がある作業なのかどうかは分からないのだけれど…。(苦笑)

調べてみると、すでに単行本化されているようなので、それを「彼」宛に送る。明日には届くというので、ドキドキする…。そして、後刻、(読書など好きでもない「息子」なので読まないかもしれないが)この新聞の束も送ろうと思う。「初出だからきっと価値があると思うよ。エッセイも含め、全部揃ってるし♪」「福岡伸一さんが読者からの指摘で訂正をしてる箇所もあるから、そこが単行本化でどう変わったかとか、比べてみるとちょっと面白いかも。」「彼が言う『動的平衡』ってのはね、難しい話なんだけどさ、……」とか、いろいろと語り掛けたい。

ちなみに、実は情けない話で、私はこの「束」を読んでいない。だから、「息子」に送るのと合わせて、私自身も同じ本を購入する。合わせて、5、6冊ほど衝動買い。これも昨日の薬のおかげかなぁ?(井伏訳の『ドリトル先生』シリーズも買いそうになるが、それはまたの機会に。σ(^◇^;))

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ところで。
「鬱入り口」の薬の副作用(副反応?)は「肥満」って。なぜならそれは食欲を増進させるから。でも、私の場合、ちゃんとビールを控えることができれば心配はないかなと思う。
で、さっきスーパーで(!)ビールを1本だけ買ってきたんだけど、もうひとつ買おうと思っていた炭酸水(近年避けていたペットボトル!)を買い忘れた…。もう、水、飽きたよ。(>_<)

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夕方だ。
さびしいな。

ラジオ(NHK第1)を聞いていたけれど面白くないので、午後は中島みゆき「歌でしか云えない」を繰り返し。

1年2年は夢のうち まさかと笑って待てば
3年4年は洒落のうち 数えて待てば
5年かければ 人は貌だちも変わる
ましてや男 ましてや他人 今日もトーキョー迷子

鴎でもひとり 見習えばいいのに
木の葉でもひとりずつなのに

中島みゆき「トーキョー迷子」