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世界も警察も注目するチリのフェミニスト・コレクティブ Lastesis[インタビュー]

修論のテーマであるフェミニスト・アート・アクティビズムのために8月中旬、チリのLastesisとインタビューを行った。

ラステシスとは?

Lastesis(ラステシス)はチリのバルパライソ出身の4人組で結成されたフェミニスト・コレクティブである。メンバーはダフネ、シビラ、パウラ、レア。ビジュアルアート、演劇、デザイン、音楽などそれぞれの専門分野を活かしながらアートを通して表現活動を行っている。2019年に路上で発表し、SNSで拡散されたパフォーマンス「Un violador en tu camino」(意訳:あなたの道ゆく加害者、またはレイピスト)で国際的に知られることになるが、活動自体は2018年からしていた。

「ラステシス」の「テシス」は直訳すると「テーゼ/定立/命題」という単語を意味する。彼女たちはフェミニズムについて論じる学者たちのテーゼがもっと身近になるようにアートを通して表現することを目的としたコレクティブである。

コレクティブ結成からUn violador en tu camino 誕生とその後
ラステシスは2018年に、友達4人で結成された。シルヴィア・フェデリーチの「キャリバン魔女」を題材にしたパフォーマンスで活動は始まった。その後リタ・セガートを元に、体系的な暴力をテーマにしたパフォーマンス作品「Un violador en tu camino」 を構想し始める。そんな中、2019年10月に全国的に始まった抗議活動(デモ)では、市民に対しての警察や国家の組織的な弾圧と暴力が大きく報道された。特に、警察から市民に向かって投げられた催涙弾などによって抗議する市民は目を失うことが多発した。また、逮捕された女性市民などに対しての警察の性暴力も繰り返されていたことが明らかになった。

ちょうどその頃、ラステシスは地元のアートイベントからパフォーマンスで参加してほしいと招待されていたので、構想中だったUn violador en tu caminoを急遽イベントのために、警察からの女性への性暴力に焦点を合わせ準備し、11月20日にバルパライソの路上で初めて披露する。それがネットで速やかに拡散され、国内で話題を呼び、首都サンティアゴでもやってくれと誘われた。わずか5日後の「女性に対する暴力撤廃の国際デー」である11月25日に合わせてサンティアゴでパフォーマンスを行った。そこからさらに拡散され、ラテンアメリカを中心に世界中で様々な団体やフェミニストグループによって各地域で再現された。この現象は彼女たちも予想だにしていなかった展開で、短期間で知名度が一気に上がったことに未だ困惑していると話す。また、一躍有名となったラステシスはメディアに引っ張り凧になると同時に、女性が声をあげることに必ずと言っていいほど伴うネットを通した脅迫や誹謗中傷にも悩まされた。

2020年春にPussy Riot(*)とコラボした映像作品が「警察への暴力を扇動する」とし、チリの警察庁がラステシスに対して訴訟を起こした。しかし世界中から彼女たちへ激励の声と支援が届いたおかげで、弁護士も付き、なんとか挑んでいる。
(*Pussy Riot:プッシー・ライオットはロシアで結成されたフェミニスト・コレクティブ。国家権力に対しての抗議活動で注目を浴びる。)

警察からの訴訟に加え世界中からトークやインタビューへの招待である意味多方面から注目を集めて多忙を極めている彼女たちだが、とてもありがたいことに、私のインタビューへも快く応じてくれた。

今回は、私と同い年の彼女たちにアートや政治、現状、作品について話しをうかがった。ラステシスは本当に忙しく、この日だけでも私とのインタビューの後に別のインタビューが入っていた。今回のインタビューは1時間未満と短いものだったので、補足する形で、彼女たちが出演したトークやメディアで発信された内容も交えての記事になっている。

インタビュー

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左上:パウラ(コメタ) 左下:シビラ(左)、ダフネ(右) 右下:レア

Kiwama(以下、K):本日はお忙しい中ご対応いただき誠にありがとうございます。早速ですが、4人はどこで知り合ったのですか?

シビラ:みんなバルパライソ出身です。アートを勉強した私とダフネで何か一緒に始めようと話を初めました。そこから友達だったコメタ(パウラ)を誘って、私と高校生からの友達だったレアも誘って。コメタはデザインと歴史の専門で、レアは縫製や服飾、ファッションの専門です。

K:フェミニズムの理論を活字とは別の形でもっと一般論の中で普及させるために活動を始めたとおっしゃっていましたが、なぜそう思ったのですか?フェミニズムの理論が欠けていることで感じた問題点などはなんですか?

パウラ:私たちの世界は今問題に直面しています。それは、既存の社会的、経済的、政治的システムが危機的状況にあることです。フェミニズムの視点や理論はその既存の仕組みに対して問題提起をしています

例えば人工中絶の法整備、未成年や女性への性暴力、ジェンダーアイデンティティーについて。様々な社会問題の背景はもうフェミニストがすでに論じていることなんですよね。だからこれら課題と向き合うために参考にできる理論はもうフェミニズムの理論として存在してるんです。だからこういう理論が広く普及するために活動する必要を感じています。

K:Un violador en tu caminoですが、メディアでは「himno feminista(イムノ・フェミニスタ)」(himno=賛歌)と謳われていますが、みなさんがこの呼び方をしたわけではないとおっしゃっていましたね。4人ではどんな風に呼んでいますか?

シビラ:パフォーマンス、またはインターベンション(介入)ですかね。何より、歌詞や歌だけではなく、体ありきのものですから。身体を使って、集団で行うことに意義があると思います。

ダフネ:公共空間で行うことも大事ですね。何か、政治的に象徴的な建物の前で行ったり。

[あるポッドキャストにゲスト出演した際、Un violador en tu caminoは完成まで約10ヶ月の制作期間があったと話している。]

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バルパライソでのパフォーマンス(2019年)
撮影:Camila R. Hidalgo 写真提供:ラステシス

K:みなさんにとってアクティビズムはなんですか?また、ラステシスのコミュニティーは誰ですか?どんな公共に向けて働きかけていますか?

レア:私たちのコミュニティーはまず、フェミニスト 、そして「ディシデンシア」です。

[ディシデンシア(disidencia):相違、不一致、不同意、異議。ラステシスはこの言葉をマイノリティーや、家父長制が強要する「二元化された性別やジェンダー観」に当てはまらない人や身体性を表現するために使っている。

私たちは、政治的な活動をしていますが、それは政治制度の外側で行っています。でも政治的であることには変わりありません。政治的だからこそ他の人たちもこのコレクティブと共感できるのだと思います。だからアクティビズムだと思っています。

K:以前配信されたトークで、SNSで起こったことを日々の生活に移す方法の一つは、私たちは一人ではなく、たくさんのフェミニストが後ろについていることを感じられる大きな社会的な繋がりを形成することだとお話していました。アクティビズムとSNSの関係について他にお考えのことはありますか?運動とSNSの活用の関係についてどうお考えですか?

レア:SNSはパンデミックという状況の中、活動を続ける方法になっています。街中や路上と変わらず要求を訴え続け、権利を主張する方法です。大事なのはやめないこと。それはいつもお互いに言っていることです。どんなことがあってもやめないこと。今は外にいることができませんが、この状況が変わったらーーどうなるかは誰も分かりませんがーーまた外に出るなり、他の方法でも、声を上げる続けるつもりです。

シビラ:SNSがなければ私たちの作品はここまで広がることはありませんでした。私たちはそもそもバルパライソ限定のとてもローカルなアクションのつもりでやりました。何度も再現するだなんて予想外でした
今ほどネットを利用すべき時代はないと思います。情報へのアクセス面でも。ネットは「監視」という非常に危惧すべき面ももちろんありますが、それでも有効利用できる部分は上手く使いこなせばいいと思います。

K:別の配信されたトークで「問題がグローバルなら、解決策もグローバルでなければいけない」と発言していました。グローバルな政治ってとっつきにくいし、問題がグローバルであるとは言え、個々の社会的文脈もありますね。ラステシスはどのようにしてグローバルな問題に挑もうと思いますか?

シビラ:そうですね、問題はグローバルでもそれぞれで状況は異なります。だからこそインターセクショナル(*)な視点が欠かせないのだと思います。交差する抑圧の要因を考慮しながらどうやって問題に向かい合っていくか。全ての暴力と抑圧をなくすためにどうやって一緒に戦っていけるか、都度、考えなければいけません。
でも具体的に組織化の話になると複雑ですよね。フェミニズムの中にもいろんな姿勢がありますから。だからこれまでの活動の中で私たちが一番しっくり来るのはミクロの政治から動くことです。輪を広げて、同じ姿勢や場所から活動している人と繋がること。例えばインターセクショナルなトランスフェミニズムとか。そうやってミクロな所から構築していく。

そう、暴力と抑圧を根絶するにはグローバルな解決策は必要だし、それは真剣に言うと家父長制が終わることでしか得られない。それはまるでユートピアのように聞こえるけど、それでも私たちは信じています。ミクロから始めて、それがいつかマクロな政治を動かすことを願っています。

(*インターセクショナル:『とてもざっくり言うと、このコンセプトは、それまでのフェミニズムの「女性」というカテゴリーが「白人で中流階級」の女性を前提としてきたことに対する問題提起であり、様々な差別や抑圧は「交差」(intersect)しているという考え方です。アメリカの法学者・社会運動家であるKimberlé Crenshaw教授が1989年に出した論文で使ったものです。』ちゃぶ台返し女子アクションのブログより引用。詳しくはちゃぶ女のnote記事をぜひ読んでください。)

K:公共空間の利用についてお話を聞かせてください。Un violador en tu caminoは様々な場所で行われましたね。道路の真ん中や広場。場所を選ぶ時の意味や基準はなんですか?また個人的に印象的だった場所などは?

ダフネ:二つの基準がありました。まず一つは、戦略的な場所。例えば通行人も車の交通も多い場所。一番最初のパフォーマンスのコンセプトはバリケードのように交通を止めることでした。本当のバリケードは炎などで止めますが、アートをその炎代わりに、と言うコンセプトでした。だからバルパライソ市内で一番交通量の多い道を選んでそこでパフォーマンスをしました

もう一つの基準は、象徴性のある場所です。サンティアゴでは最高裁判所の前など、制度的暴力を象徴する場所でパフォーマンスをしました。

個人的には、警察庁の前で行ったパフォーマンスが一番印象的でした。その時期、チリは大規模なでもの真っ只中で、市民は非常に暴力的な鎮圧に遭っていました。抗議をしていた人が参加してくれたり、鎮圧だけではなく(警察からの)性暴力に対しての非難もありました。女性だけではなく、「ディシデンシア*」の人たちも。(*ディシデンシア:インタビュー前半参照)

だから警察庁の前で、警察に向かって、「加害者はお前だ」ってはっきり言うことはとても意義のある行動だったと思います。

レア:私も、ダフネと同じ意見です。また、警察の前でこのパフォーマンスをすることはとても怖いことでもあったので、印象的でした。やっぱり緊張しましたし、怖かったです。

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Nos roban todo, menos la rabia, 2020
(全て奪われても怒りだけは奪われない)
ラステシスのYoutubeに投稿されている動画のスクリーンショット

K:作品の美学的な、美術的な面について少しお話いただけますか?どういう方法を元に制作していますか?

レア:私たちは「コラージュ」を手法としています。それぞれの感性や情報を持ち合わせて作品を作ります。衣装からどうやって抗議をするか、何から何まで全て、私たちの美学が反映されています。全部を「ラステシス」という共通言語に統一しています。

別のトークでも彼女たちは「コラージュ」の手法について触れている。コロナ禍で行動範囲が限定されて、お互いにも会えず今は、特に映像や音楽、デジタルメディアを用いた作品が活動の軸となっている。それにもコラージュはとても有効な制作方法だと語っている。例えば、Nos roban todo, menos la rabia(全て奪われても怒りだけは奪われない)という映像作品は、20人の女性に、コロナ禍の外出禁止中に、暴力を振るう家族と家にいなければいけない恐怖を映像で表現してもらった。唯一「台所」という設定だけ指定し、あとは女性たちが自由に撮影し、映像を提供した。映像に流れる歌詞はラステシスが考えたもの。またラステシスはこのコラージュの手法を、様々なアート表現、例えば音楽、映像、パフォーマンス、グラフィックなどを平等に扱い、階層をなくす方法であると考えている

別のインタビューでレアは、ラステシスの赤いオーバーオールについてこのように説明している:コンセプトは「労働者」。バルパライソは昔から産業の街だった。第一次世界大戦の際、男性の不在で女性たちはオーバーオールを着て、街中の広場などにちょっとした花壇や園庭を作っては世話をしていたという。当時の女性たちはこうして自ら新しい仕事を開拓した。それにちなんで、自分たちをアートを職業とした「労働者」と見立ててオーバーオールを衣装にした。「私たちはアートを『仕事』にするためにこれまでやってきた」と話している。また、産業的なモチーフだけではなく、ポップな記号やモチーフも取り入れていることから自分たちのスタイルを「ポップ・インデゥストリアル」(産業ポップ)と呼んでいる。

K:例えば、人工中絶の権利のための運動(aborto libre)のシンボルである緑のバンダナをつけてパフォーマンスに参加する人が多いですが、これはラステシスが指定したものですか?服装の指定とかあったのですか?

ダフネ:私たちが参加者を募集する時は、遊びに出かける時の格好をしてくださいとしか指定していません。なぜ遊びの時の格好かというと、女性が性暴力、性犯罪被害にあうと必ず着ていた服が問題になるからです。「そんな格好するからだ」と被害者が非難されることにへの反対を表すためにそう指定をしました。また、参加者には黒い目隠しも装着してもらっています。これは参加者の身分を隠し、安全を確保するためです。バルパライソは小さな街ですし、このパフォーマンスに参加したと特定されたり、追われたり、逮捕されたりしないために。

しかしこの黒い目隠しはその後また別の意味もつくようになります。10月に始まった大規模抗議(デモ)で目を失った人たちを表すことになりました。警察によって失明した市民を表しています。(*)

緑のバンダナは象徴的なアイテムです。私たちが関係しているというより、ラテンアメリカのフェミニズムと、人工中絶の権利のための歴史的な運動を象徴するものです。私たちの身体の権利のための戦いの象徴。だからみんな自発的にそれを身につけて参加したんだと思います。

(*抗議では市民と警察が衝突し、警察が発射した催涙弾の衝撃で目を失ったり失明する市民がたくさんいた。チリの人権関連の調査をする機関は、警察によって目や視力を失った被害者は405人であるという調査報告を今年一月に発表した。実際のレポートはこちら

K:皆さんは、物理的な公共空間と、ネットやSNSというある意味「新しい時代の公共空間」で存在が知られることになりました。この二つの「公共空間」で露出が増えたことについてお話いただけますか?(ネットやSNSという空間が実際どれだけ「公共性」を保てているかは議論の余地がありますが、ここでは一旦「公共」と捉えましょう。)

シビラ:こんなにいろんな空間で露出されるとは思っていなかったので、本当に不思議な気分です。別に有名になったりすることなど全く求めていませんでした。特にデジタル空間で名前や顔が拡散されるのは変な気分です。良くも悪くも私たちのインスタから勝手に画像を転用したり、あと、イラストとかもありますね。私たちのビジュアルをフェミニズム運動のシンボルにしたり、基準にしたり。でもそんなこと求めていません。だけど起ってしまったので受け入れなければいけないことでもあります。

だから、とても困ることがある一方で、発言できるプラットフォームができたことは感謝しています。私たちが発信すれば、今は聞いてくれる人がいます。それには責任が伴います。作品、トークの配信、ミームやgif、どんな形であれ、フェミニストの要求や主張を可視化して議論の場に持ち込む責任があると感じています。女性やマイノリティーは歴史的にも、「私的空間」や家庭内に押し込められてきました。それは声を封じ込めるためでもありました。だから、こうして発信できる空間やプラットフォームを手に入れた今、それを大いに利用していきたいと思っています。もちろん、たくさんの誹謗中傷やネット上の攻撃や暴力にも晒されますが。

Facebookで配信された別のトークで彼女たちは知名度が上がってからの過剰な露出がもたらす日常への影響をこう語っている:「たくさんの脅迫や誹謗中傷が届きます。幸い、私たちは4人組なので、お互いに支え合うことで精神的に乗り越えてきました。また、プレッシャーは悪いことばかりではなく、急に増えたインタビューやメディア出演依頼から感じます。私たちは自分たちのメッセージをできるだけ正確に発信するためにもできるだけ対応はしていますが、疲労を感じることもたくさんあります。そういう時、自分たちを見失わないために念頭に置くのが、自分たちの信念や期待に忠実でいることを大事にすることです。もちろん、活動自体は多くの人のためだと思ってしていますが、それは他人の期待に応えるというわけではありません。

レア:よく、どうやってパフォーマンスを考えたのか、なぜやったのかと質問されます。まるでそれを作るためのレシピや方式を探っているような。そういうのもあってちょっと表面的な質問が多い時もあります。
私たちはただ、その時やらなければいけないと思った政治的な行動を取ったまでです。それが必要だと思っていたから。

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K:別のトークでおっしゃっていたことですが、今年2月にみなさんがアルゼンチンに行ったようですね。理由はアルゼンチン議会で検討中の人口中絶の法整備に対してのフェミニストたちを応援するため。そこでとてもスケールの大きいまとまった運動を目の当たりにしてとても感心したとおっしゃっていました。また、チリでは新自由主義(ネオリベラリズム)や民営化が強く、このようなことは難しいと。それについてもう少し詳しく教えていただけますか?連携や運動を難しくするチリ特有の状況はどんなものでしょう?

パウラ:チリは政治から何まで、全てがとても制度化された国です。例えば「政治」に参加したい場合、必ず政党に所属していなければなりません。つまり、政党に所属していなかったり、関係を持たない人口は政治空間の中で代表されないわけですよね。だからコミュニティーとか、近所同士とか、コレクティブとして何か行動をとっても、「よかったね」というレベルでしか評価されないことがあります。それが政治を動かせる取組として期待されないんですよね。だからアルゼンチンで目にした運動はとても興味深いものでした。いろんな世代の女性が集まって、その中には過去の「5月運動*」のおばあちゃんたちがいたりして。議会を前にして、女性たちが団結しているだけではなく、組織化されている姿をとても力強く見せることができた働きでした。歴史的な場面にいたと感じました。とても入念に計画され、はっきりとした目的をもった運動の組織化でした。

(*ラス・マドレス・デ・プラサ・デ・マヨ(五月広場の母親たち):アルゼンチンの独裁制時代、何人もの国民(主に男性)が突如行方不明になる事件が相次いだ。その数は3万人までのぼった。これらは恐らく独裁政府が起こした事件である。その事実を表現し、抗議するため、母親たちは毎週広場に集まり、行方不明の家族の写真などを持って社会に訴えた。)

シビラ:加えると、コメタ(パウラ)が触れた政治制度での「代表性の欠如」は中央集権制がもたらした結果でもあります。それはアウグスト・ピノチェト(チリの過去の独裁者)政権が原因とも言えます。チリはとても細長く、独特な形をしている国です。中央集権制は、チリの地方同士のコミュニケーションを途絶えさせることになりました。例えば、チリ大学は国中に存在があり、そこでは学生運動や労働組合が強い影響力を持っていた組織でした。しかし独裁政権は大学を弱くしたり潰した結果、国内の大学間のコミュニケーションが閉ざされました。脱中央集権制はいまだに私たちが戦っている問題でもあります。そういう意味でも、デジタル・プラットフォームにはとても助けられています。分散された各地の連携を生み、首都とだけではなく、いろんな地方同士でコミュニケーションが取れる方法です

K:そういう社会的背景を聞くと、ネットやデジタル・プラットフォームの役割や利用法を改めて考えられますね。それでは一方で「繋がりやすさ」によって困ったことなんてありましたか?

レア:例えば、今はこうしていろんな所から連絡がきたり、依頼が来るんですけど、インタビューを英語でされる時もあるんですよね。それはすごく失礼だと感じます。一つ目に、そもそもラテンアメリカ人の女性4人とのインタビューですし、二つ目に、英語に堪能ではないメンバーに対して失礼です。私たちがアメリカに行って何か始めたとしても、向こうの人たちは絶対スペイン語なんて理解しようとしないとだろうけど、なぜチリから世界に伝わった革命なのに、もっとスペイン語を理解しようとしないのか。でもそれは昔からヨーロッパと北米が「基準」とされてきたからですよね。いつもヨーロッパと北米を見習わなければならない。みんな、あそこみたいになろうと頑張らなければならない。偉大な思想、哲学、文献は全てそこから来ると言われる。でももうそんなのうんざりです。もし世界的に広がった革命がスペイン語で始まったなら、なんでもっとそれに寄り添わないのでしょうか。なんの前触れなく英語でインタビューされると、私たちは、ラテンアメリカは、所詮、未だに「研究の対象」としてしか見られてないんだなと感じます。自分の中ですごく葛藤があります。私の個人的な意見ですが、本当に4人のラテンアメリカ人の活動に興味があるのなら、少しぐらいスペイン語を理解できるようになってほしいです。

K:そうですよね。フェミニズムはどんどん世界レベルでつながったり影響し合っているはずなのに、なぜ「インターナショナル」な舞台に参加するためには「英語」ができることが当たり前なのでしょうか。これからも、こうして西洋圏以外で起こっている革命がどんどん可視化されるに連れ、そういう「当たり前」も少しづつ問われることを願います。
ラステシスは今、ネット上の誹謗中傷や脅迫だけではなく、チリ警察と言う組織からも、「訴訟」という形で圧力をかけられています。それについて、お話しできる範囲でお聞きしたいのですが、これはどのように終わる可能性があるのでしょうか?また、警察は何が目的だと思っていますか?

以前トークで、彼女たちは訴訟が上がっている事自体、メディアの報道で初めて知ったと話している。訴訟の理由を、彼女たちが今年発表したプッシー・ライオットとのコラボ作品だると警察は主張している。また、詳細を知るために必要な書類などに関して、彼女たちの弁護団よりもメディアの方がそれを手に入れやすい状況であるらしい。そして訴訟のための調査は、原告側でもあるチリ警察が行っているというふざけた状況である

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MANIFESTO AGAINST POLICE VIOLENCE / RIOT x LASTESIS
Youtube に投稿された映像のスクリーンショット

ダフネ:二つの告訴があります。一つ目は暴力を扇動しているという事。二つ目は権力を侮り軽蔑している。私たちは今、警察による訴訟の実態を警察自身が調査し終わるのを待っている状況です。

シビラ:一番良いパターンは、裁判所があまりのくだらなさに訴訟ごと却下する事です。そうでなければ、出廷要請が届いて、証言しなければなりません。そして判決が言い下されます。それはもしかしたら、罰金かもしれないし、出国禁止令かもしれない。4人とも前科がないので懲役の可能性は低いですが、この前、ある学校の先生が乗車料未払いで改札を通った罪で5ヶ月の懲役が言い渡されました。だから、「テロ対策法」を元にことが進んだりしたら、なんでもあり得ます、この国は。

ダフネ:それに、法的な処置云々より、これは全部象徴的なことだと思っています。要は、見せしめです。抗議に参加したり、声を上げる女性や公共空間を利用するアーティスト全てに向けての見せしめのための訴訟騒ぎ。だから私たちだけに突きつけられる問題ではないのです。みんなの現実だと思っています。従属関係や沈黙を破る人全てに向けられた訴訟です。

「象徴的な見せしめ」は人類学者リタ・セガートが pedagogía de la crueldad(残酷性の教授法)というコンセプトとして論じている。一部はこちらの過去note記事に書いています:【リタ・セガート】家父長制:端から中心へ (2/3)残酷な世界の作り方

K:別のインタビューで、今後の課題は表現の自主規制との戦いとおっしゃっていましたが、この件を通して表現規制や検閲についてどうお考えですか?

パウラ:政府は、政策や政治を批判する人物や集団がいることを非常に懸念しています。だから、ダフネが言う通り、見せしめのための処罰を与えたり、公共空間を使わないために怖がらせようとします。私たちや、Delight Lab(*)と言うコレクティブに対して行っているように。そうやって「規制」を働かせます。でも建前上、「規制」ではないのです。訴訟の理由はあくまで、先ほどダフネが言っていた理由です。でも実行したいことは表現規制ですよね。そう言う意味では、私たちは、例えば過去にあったような全体主義国家の検閲に遭っていませんけど、それでもやっぱり私たちや他のコレクティブが発表する作品を規制する結果になっています

(*Delight Lab:マルチメディアで活動するアーティスト二人組。国がロックダウンに入って外出禁止令が出てから、プロジェクターを使って建物の外壁に「尊厳」「新しい国のために」「民主主義の何をわかっているつもりだ?」などのフレーズを投影した。)

K:他に、パンデミック中に余計露わになった国家の暴力的な統制などありますか?

レア:チリの警察は虐待と暴力の長い歴史があります。パンデミックになって、街中には武器を持った軍人が道を歩いています。これは全ての市民、国民に対して向けられたとても軍事的で暴力的なシンボルです。過去の独裁制を知らない小さい子供はこのような軍事文化に慣れていませんので、とても怖がります。だから、訴訟だけではありません。今や、国民全員がこの「戦争の言語」に慣れなければなりません。それはとても暴力的な統制法です。

シビラ:複雑な状況です。ただ、唯一言えることは、沈黙はしない。私たちがこのままおとなしく活動を辞めることはありません。絶対に。

【終】    

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