まち、は、つくれ、ない

まちづくりという言葉はあまり好きではない

まち、は、どちらかといえば現象である
存在、ではない

そこに生活する人々の現象であり、生活の手垢の沈澱である。
まちにプラスαの付加価値を安易に求めるのは危い。それはブランド化というプラス思考であり上昇思考だ。(それ自体が悪いわけではない)が、まちの本質としての生活の澱は、そこに含まれない。
それはまちの奥行きを奪うことにもなる。
ハリボテとブランド化されたまちが出来上がりかねない。
見つめるべきは生活の手垢であると思う。

そこに住む人が、住まざるを得ない人が、好き嫌いに関わらず、生活をし、その痕跡や傷跡やゴミや汚物や汚れや埃。または人との関わり。佇まいそのものの雰囲気。
それが澱となりまちに深みを与えていく。

歴史的建築や文化価値ではなく(大切でないわけではない)、生活の痕跡を見つめたい。
それは人間を見つめることにもなりうるのではないか。

プラスαの付加価値をつけての「ブランド化」だけでなく足元を見つめたい。

まちの澱を探す日々は楽しくもある。

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