オバケの一日目
2024年秋、病院のベッドで1人の女性が95年の生涯を閉じようとしていた。
名前はイツ。
最後の2ヶ月間は本人の意識はあるものの周りの呼びかけに応じる事が出来ず、とてももどかしい日々だったのかもしれない。
ただ思い残すものは何もなくとても幸せな人生だった。
耳を澄ませば鈴虫か、もしくは人工呼吸器なのか、遠くの方から微かに何かが聞こえてくる。
目は開かずとも景色が流れ、太陽は色や形を変えながら西から東へ流れて行った。
ふと、目を開けると40才を越えているはずの孫のノブちゃんが幼い頃の姿で立っていた。
私は不思議な懐かしさのまま、あの頃と同じ様に問いかけた。
「ノブちゃんどうしたの?元気かい?」
ノブちゃんもあの頃と同じ様にこう答えた。
「元気だよ!イツばあちゃんは元気?」
「私は、元気ではないだろうね。ただ、とても清々しい気分だわ。」
あの頃の様に手を繋いで歩いてみた。
きれいな蓮の花が咲く池の周りをしばらく歩いているとノブちゃんが言った。
「僕は多分イツばあちゃんより少し早くここに来たよ。」
きっとこれは私の夢の中なのだろうと思い「そうなの。」と微笑み返した。
ふと、横を見ると若い女性が立っていた。
良く見ると4年前に亡くなった娘のサイの若い頃に似ている。
ノブちゃんにとっては叔母にあたる。
私は思わず目に涙を浮かべた。
最後に会ったのはサイのお通夜の前日、ノブちゃんの運転する車で会いに行った。
お別れをしたくなかった。
イツ
「サイか?こんな所でどうしたの?」
その女性はこう答えた。
「私に名前はありません。ここの案内人をしています。ただ、呼び方はサイで構いません。」
イツ
「見た目が若い頃の娘にそっくりで、本当にサイではないの?」
サイ
「サイではないです。ここではあなたの会いたい人が私に投影されます。その人が成仏している事が条件ですが。」
それを聞いて、まだ理解が追い付かないがサイは無事に成仏出来たのだと胸を撫でおろすと同時に目元に溜まっていた涙が溢れた。
久しぶりの頬を涙が伝う感覚が「これは本当に夢なのか?」という疑問を生んだ。
イツ
「そうか。サイが成仏出来たのならよかった。ところで、ここはどこなの?」
サイ
「すぐには理解出来ないと思いますが、ここは地球の電離層です。簡単に言うと生と死の境目です。」
イツ
「電離層?雲の上?私は死んだのかい?」
サイ
「まぁ、雲の上と言えば雲の上です。死に関して明言は出来ませんが、イツさんは生死の境の霊体という状態です。」
イツ
「なんだかわかんねぇな。」
次の瞬間、私はハッとした。
少し離れた所で砂山を作っているノブちゃんを指さしながら問いかけた。
「あそこにいる子供は私の孫なんだけど、サイと同じ様に私が会いたい人が投影されているの?」
サイ
「いいえ。先ほども申しましたが、会いたい人は成仏している事が条件です。」
イツ
「え?じゃあ、あの子、ノブちゃんはなぜここにいるの?」
サイ
「多少は異なりますがイツさんと同じ状態です。よく目を凝らして見てみてください。尻尾の様なものが地球と繋がっているので限りなく生に近い状態です。逆にイツさんには尻尾がないので死に近いという事になります。」
イツ
「本当だ。私が死に近いのは分かるけど、ノブちゃんはなんで?何があったの?」
サイ
「ノブちゃんはイツさんのお見舞いに向かう途中で事故に遭った様です。」
私は膝を着き再び涙を流した。
しばらくそうしているとノブちゃんが心配して近付いて来るのが分かった。
ノブちゃんは黙ったまま私の背中をさすってくれた。
サイ
「ノブちゃんはまだ現世というか地球に戻れる可能性がありますが、それには強い生きる意志が必要です。この霊体の状態で自分の死を受け入れてしまった場合、何か未練があればオバケになり、何も未練が無ければ成仏します。」
イツ
「強い生きる意志?オバケとは何?」
サイ
「オバケは自分の死を受け入れたが何か未練を残している状態の事です。オバケはここと同じ電離層にいます。幽体とは違い様々な世界線や時空を行き来して自分の未練と向き合う旅が出来ます。そこで未練が無くなればその時点で成仏出来ます。」
イツ
「良く心霊写真に写ったりするやつ?」
サイ
「そうですね。地球の心霊現象のほとんどがこのオバケの仕業です。」
イツ
「じゃあ、成仏とは?」
サイ
「成仏は、簡単にいうと、おおいぬ座の恒星シリウスにて光となります。こちらは説明が難しいですが、実際成仏したら分かると思います。ただ成仏した場合、ノブちゃんはもう元の地球の肉体に戻る事は出来ません。」
イツ
「じゃあ、ノブちゃんが自分の死を受け入れる前に強い生きる意志を見つける事が出来ればノブちゃんは元に戻れるの?」
サイ
「まぁ、そういう事になります。ちなみに、イツさんには時間があまりありません。もうすぐ地球のイツさんは息を引き取ります。」
イツ
「私は特に未練がないけれど、その場合は即成仏?」
サイ
「そうですね。イツさんは即成仏で私が恒星シリウスまで案内します。」
イツ
「そうなるとノブちゃんはここでひとりぼっち?」
サイ
「そうですね。私が見届けますがどうなるかは本人次第ですね。」
イツ
「私はノブちゃんを元に戻すまでここを離れる訳にはいかないよ。」
サイ
「気持ちは分かりますが、もうすぐ息を引き取られます。少し地球の様子を見に行ってみますか?ちょうど病室に娘のヨリさんもいらっしゃる様です。」
イツ
「とりあえず、見に行ってみるか。ノブちゃんも連れて?」
サイ
「ノブちゃんを連れて行くと自分が死に直面している事に気付いてしまうかもしれないのでここで待っていてもらいます。」
イツ
「ひとりぼっちはかわいそうだよ。」
サイ
「では、ちょうどお2人に会いたがっている霊体がおりますので連れて来ます。」
そういうと、サイはお互いを散歩紐で結んだ白い犬を2匹と小鳥を1羽連れて来た。
ノブ
「あ!タロとタラだ!あと、ピーコもいる!」
イツ
「本当だね。ここに居たんだね。」
それは昔家で飼っていた動物達だった。
サイ
「動物は人間と比べ死を受け入れる事が出来ずに霊体のままいる事が多いです。こうして会えるのは人間と比べ純粋なので飼い主がこの電離層を通る際に気付いて会いに来てくれます。そのまま飼い主とともに成仏する事もあります。では、イツさん地球へ行きましょうか。」
イツ
「そうなんだね。じゃあ、ノブちゃんちょっと遊びながら待っててね。」
ノブ
「はーい!いってらっしゃーい!」
2024年10月12日
茨城県常陸太田市のとある病院の1室に到着した。
ベッドで寝ている自分自身を見下ろしている。
何となく想像していた通りの眺めだったので特に驚きもしなかった。
イツ
「ヨリがお見舞いに来てくれているのに私は目を開ける事も出来ないのか。」
サイ
「仕方ないですよ。ヨリさんが来てくれた事でどこか安心した様で、恐らくあと数分で息を引き取ります。」
イツ
「だめだよ!今死を受け入れたら成仏してしまう!」
サイ
「本来はご遺族含め誰もが成仏を望むものですけどね。」
イツ
「今はまだだめだよ!お願いだからもう少し考える時間が欲しい!」
サイ
「・・・一日だけであれば延命出来ます。ただ娘のヨリさんの体力を少しいただく事になります。」
イツ
「よし!ヨリ、少しだけ元気をもらうね!」
ヨリ
「これからノブちゃんのお見舞いにも行くのに・・・何だかものすごく疲れたな。来週はイツばあちゃんのお見舞いお休みしようかな。」
病室で自分を見下ろしながら考えた。
あんなに管がたくさん繋がれていたのか。
寝返りうたなくて体は痛くないのかな。
最後に口を通し食べた食事は何だったか。
最後の会話は何だったのか。
周りのおかげで今日まで生きてこれたんだな。
そういえば、正面のベッドのばあさんはどうしてるのかな。
全く別の事ばかり考えてしまい全然ノブちゃんを元に戻す方法が思いつかないままあっという間に夜が明けてしまった。
サイ
「あと、5時間ほどで亡くなります。もう延命は出来ないですし、イツさんは死を受け入れているので霊体でいる事も出来ません。ただイツさんの成仏を少し先送りする事は可能です。ノブちゃんを地球に戻す事が未練になるはずなのでイツさんはオバケになれます。」
イツ
「・・・なるほど。よく分からないけれど、そうすればノブちゃんの生きる意志を見つけて元の地球に戻る姿を見届けられるね。最初からそうすれば良かったのか。ヨリの元気をもらってしまい悪かったね。」
サイ
「いや、一日延命した事には意味があると思うのでこれはこれで良かったと思います。」
2024年10月13日 午前11時
イツ
「もうすぐ亡くなるけど、病室には先生と看護婦さんしかいないね。こういう時って家族が見守ったりするものじゃないの?」
サイ
「昨日ヨリさんの体力をいただき過ぎたのかもしれないですね。それと、ノブちゃんも別の病院に入院しているから、皆はそちらに行っているのかもしれないですね。実は死の瞬間にご家族が立ち会える事は稀でほとんどがご家族不在のままイツさんと同じ様な最後を迎えます。家族に見届けて欲しいという思いの反面、悲しんで欲しくないという思いもあるのかもしれませんね。」
イツ
「確かにそうか。皆には今までたくさん会えたしね。」
サイ
「カウントダウンでもしましょうか?」
イツ
「ははは。そういうユーモアがあるところもサイそっくりだね。」
脈が落ちていくのが分かる。
だんだんと呼吸も浅くなり、とてもゆっくりと時間が流れる。
たくさん料理を作った手の平から血の気が引いていくのが分かる。
自然と涙が流れた。
霊体から流れた涙が一滴、自分の肉体に落ちた。
肉体の自分は少し目を開き、霊体の私を見て安堵の表情を浮かべた。
私は大きく頷き、涙を拭い、微笑み返した。
ふと、隣を見るとサイも涙を流していた。
サイ
「すみません。仕事中なのにもらい泣きしてしまいました。」
それを見て、私は、もしサイが生きていたらこんな風に涙を流してくれたのかなと見れるはずのない景色を想像した。
イツ
「私はもうオバケ?」
サイ
「成仏していないという事はオバケという事になりますね。せっかくなのでお葬式まで見ていきますか?」
イツ
「いや、ノブちゃんが待ってるから電離層へ戻ろう。」
サイ
「じゃあ、せめて地球を少し眺めてから戻りましょうか。」
ヨリは病院に向けて車を走らせていた。
茶の間のテーブルには葬儀の資料が散らかっていた。
イツの夫のシオは介護施設の窓から秋晴れの空を見上げていた。
選挙のポスターが風でなびいていた。
ヨリの旦那のヒコは親族に電話で訃報を知らせていた。
入院前に始まった海の向こうの戦争はまだ続いていた。
ノブの弟のフミちゃんは友達と旅行中だった。
冷蔵庫にはお好み焼きの材料が揃っていた。
ノブちゃんは集中治療室で眠っていた。
世界は、何も変わらず回っていた。
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