kitowski

1975年名古屋生まれ。都内在住。2児あり。コミュニケーション周りの会社員。踊り子。舞…

kitowski

1975年名古屋生まれ。都内在住。2児あり。コミュニケーション周りの会社員。踊り子。舞台好き。長い文章を書くリハビリをしたいが、なかなか立ち上がれず。

最近の記事

「賤の苧環」のこと。

放置していたnoteですが、今度踊ることになった『賤の苧環』のことをちょっと書きますね。 オダマキ ぜにのいもかん、ではなく、「しずのおだまき」と読みます。苧環は小田巻とも書き、しず(倭文)という布を織る麻の糸をくるくる巻いた糸巻きのことで、「繰り返し」などを導く序詞として用いられた言葉です。 長唄 『賤の苧環』は、源義経の愛妾であった白拍子・静御前(以下、静)が、鎌倉殿こと源頼朝の命令で舞を披露した時のエピソードを舞踊化したものです。 白拍子(しらびょうし)とは、平

    • 八月二十三日(前編)

      8月23日は、母方の祖母の命日だ。今年でちょうど30年になる。 祖母は明治35年生まれ。乳母日傘で育ち、女学校では庭球部にいたという意外にアクティブな過去も持ち、本当は上の学校に進みたかったらしいけれどそれは叶わずに、国文学の先生をしていた祖父と結婚し、6人の子供を持った。 最初の息子はレイテ島で戦死。二人目の息子も幼い頃に疫痢で亡くしている。そして終戦の前年、 祖父の赴任地である北九州戸畑で、43歳にして、末っ子である私の母を生んだ。 祖母にまつわる最初の記憶は、幼

      • ホラー寝かし付けの話(1)

        抜け感ある子守唄「ねんねころいち」「ねえ、ねんねころいち、うたって」と娘が言い始めたら、寝かし付けも最終コーナーを回ったようなものだ。「ねんねころいち」は、三重で育った昭和一桁生まれの父が、赤ん坊の時から祖母に歌ってもらっていた子守唄で、関西から近畿あたりに広く伝わるもののようだ。私も幼い頃、祖母や母に歌ってもらっていたらしいのだけど、他の「ねんねんころりよ」とか「ゆりかごのうた」「ねむれよいこよ」などはよく覚えているのに、なぜかこれだけはすっぽりと記憶から抜け落ちていた。娘

        • 娘の初体験、己の中にヘイトの根っこを見る

          12月頃、娘4歳が少し深刻な顔をして、あるクラスメイトが嫌なことをしてくると打ち明けてきた。トイレの列に並んでいると靴を蹴ってきたり、肩を押してきたりすると言う。慎重派の娘、アメリカに来てすぐの登園初日はずっと眉をひそめ、押し黙って周りを観察していた。クラスメイトや先生たちを「えいごのひとたち」と一括りにしていた段階から、だんだん「あーちゃんのフレンズがね」と話してくれるようになり、お友達一人ひとりの名前を呼ぶようになり、特に仲良しな子も何人かできた。お迎えに行くと、みんなが

        「賤の苧環」のこと。