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クレマチス(花まくら より 016)

 クレマチス、という名前より、私はテッセン、という呼び方の方が好きだ。テッセン、とは鉄線と書く。クレマチスとテッセン、そしてカザグルマの三種は近縁で、花の時期と原産がそれぞれ異なるが、見た目はよく似ている。三種ともつる植物で、初夏から秋にかけて咲く。テッセンは白い花弁に、紫色の花芯、花の大きさは手のひらほど。花びらはアーモンド型をしていて、六枚である。原産は中国であり、日本での栽培の歴史も長い。クレマチスは花の色が濃い紫やピンク系、白、と様々あり園芸品種として人気がある。花弁の数は八枚、一重と八重があって、花の時期が長く、種類によっては十月まで咲く。カザグルマは日本の固有種で、白い花を咲かせる野草である。
 私がクレマチス、もといテッセンの花と出会ったのは、生家の裏庭だった。園芸好きの祖母が育ていたテッセンが花をつけ、私はその凛とした咲き姿に一目惚れしてしまった。紺色に近い深紫色の花弁、きりりと花開いた八枚の花弁は、ふちが微妙に波打っていて、堅苦しいばかりでない、たおやかさがある。つるは濃い緑で、しっかりと支柱に絡みついている。日本の古来の色の一つに、江戸紫、という青みがかった深い紫色があるが、祖母が育てていたテッセンが、まさにその色だった。ただの紫色とは違う、粋な色、テッセンは色っぽくて芯の通った女性、江戸っ子のお姐さんを思わせる花である。どんな女性か、もう少し詳しく掘り下げてみると、彼女はどことなく、あだっぽく、玄人筋の雰囲気である。さりとて、ギラギラとした夜の街の蝶、という風ではなく、性格は落ち着いていて、群れるタイプではない。ポツン、としたところのある、いつも一人でいることの多い女性である。寂しがり屋ではなく、一人でいるのを好む性格なのである。顔は、もちろん美人である。はっきりとした目鼻立ちの中にも、どことなく憂いのある表情で、人によっては思わせぶり、と言われてしまうような伏し目がちの顔である。口元に、目立つホクロがあるかもしれない。背はあまり高くないが、小股の切れ上がった足の長いすらりとした体躯である。時に煙草をたしなむ。女物の細いライターを長年、愛用している。職業は、何をしているか、外見からはちょっとわからない。昼の務めをしているような風貌ではないが、さりとて飲み屋に毎夜出勤して男性を接待している様子でも無い。誰かに囲われているか、過去に囲われていたかで、生計を立てるために、あくせくと働く必要は無い、まとまった資産があるようである。年は三十二歳である。なんとなく、三十二、という年齢である気がする。若くもなく、年が行き過ぎているというにはまだ若い方、一通りのあれこれは経験済みの、年増である。そして、時々着物を着ている。特に夏の夕暮れどきからは、ほぼ毎日、必ず浴衣を着て過ごしている。自身が所有するマンションのベランダで、置いた長椅子に腰掛け、暮れてゆく東京の街並みを眺める。かたわらには、幾年か前に京都を訪れた時に買った、切り絵細工のうちわが置いてある。そして青い切子のタンブラーに、ジンリッキーが入っている。ジンをソーダで割り、ライムを添えたカクテルで、ジントニックより甘くなく、さっぱりとしているところが気に入って、よく飲んでいる。甘いものは好きだが、甘い酒は好まない。マンションの場所は青山霊園にほど近く、マンションと言っても、港区にあるような新築の超高層タワーマンションではなく、築三十年ほどのこじんまりした、造りのしっかりした中古のマンションである。部屋は三階にある。浴衣は紺地に白く抜いた柄の入ったもので、柄はもちろん、テッセンである。
 そんな花のたたずまいに感銘を受けた私は、祖母にその花の名前をたずねた。祖母は、これはテッセン、と言うの、と教えてくれた。私の印象は、それで決まってしまった。クレマチス、という洋名は、私が白いのも紫色のもテッセンテッセンと呼んでいたら、祖母が、テッセンは白いのだけで、紫のはクレマチス、と後から教えてくれたのである。しかし、テッセン、とは実にいい名前ではないだろうかと思う。暑さを物ともせず、夏の空の下、汗ひとつかかず、こともなげに咲いている、紫色の伊達女、そのイメージにぴったりの名前が、テッセン、鉄線である。クレマチス、とは、キレが違う。
 テッセンの花と出会ったのは、中学生のころだったと思う。夏に咲くつる植物、と言えば朝顔であるが、小学校の観察学習のイメージがあって、子供が育てるもの、という印象が若干あった。朝顔の花は夏に欠かせない風物詩なのだが、そこはそれ、中学生のころのことだから、小さい子が育てるもの、という気持ちがあると、色眼鏡になってしまって、朝顔自体が、何か幼稚なもの、チャチなもの、という風に感じていた。朝顔だって、あらためて育ててみると、たくさん花をつけさせるのは難しいし、肥料をやりすぎれば葉っぱばっかりになってしまうし、と、奥の深い植物なのだが。中学生の私にとって、テッセンは朝顔からの卒業、夏に育てるつる植物として、一歩大人の存在、という風に見えたのだった。
 祖母は、二年に一度くらいの頻度で、テッセンの花を育てた。濃い紫色のと、白色のと、二色育てているのが多かった。祖母はテッセン、クレマチスのピンクはあまり好まないようだった。二年置きにテッセンを育てていたのは、テッセンの無い年に、私が、今年はテッセンは育てないの?と聞くからだと思う。私が聞くから、来年は育て、次の年は忘れ、私が言うから、次の年は育て、の繰り返しだったのではないだろうか。祖母自身は、とりわけテッセンが好き、ということでは無いようだった。
 年は流れ、私は自らの手でテッセンを育てる経験をしないまま、三十二歳を越えた。テッセンに持っていた女性のイメージが三十二歳だったから、それより年上になったわけである。京都に住んでいて、よく思うのは、鉢植えを置いている家が多いということである。片田舎に育った私の生まれ育った土地では、庭に地植えしたり、花壇を設けて植栽している家がよくあった。庭いじりをする家庭が当たり前にあった。しかし、京都のような都会では、地植えできるような庭を持つ家が少ない。古い町家が立ち並ぶ路地では、通りのギリギリまで家が迫っている。ごく正統派の大きな町家には、家の前と中と裏に庭があるというが、私の住んでいる京都の南の外れには、そういう商家に代表されるような立派な町家造りの家は建っていない。ごくごく狭い間口の、奥に長い京町家が、肩を寄せ合い、四棟、五棟と連なっている。そういうところで、緑を、と思うと必然的に、鉢植えを玄関先に置くことになる。それも、一鉢二鉢ではなく、玄関の出入り口以外の前面にずらりと鉢植えを並べている家が、ままある。我が家の隣家は、大きな植木鉢に、イチョウの木を植えていた。サツキや、南天と言った、常緑樹を植えている家もある。初めて見た時は、そんなものを鉢植えにして置くのか、と驚いたものである。その中にあって、ある家のテッセンの鉢植えが、私の目を引いた。ある年の夏、ある家の前に、テッセンが咲いているのを見つけた。久しぶりにテッセンを見て、私は嬉しかった。少女時代、憧れた年上の女性に、再会し、いまだその人の美貌が衰えていないのを目にした時のような気分である。いや、少女時代に憧れていた年上の女性によく似た人を、思いがけない場所で見つけた、という方が正確だろうか。それが他人の空似だったとしても、あのころ、憧れていた年上の女性より、今の自分の方が、年上になってしまった、と気付き、年月の経つ速さを思う、という感覚であろうか。
 テッセンの花を見かけた時、あぁ、そうだ、私、ああいう女性に憧れたこともあったな、と思った。日向より、日陰にある方が似合うような女性。玄人っぽい、あだっぽい、訳ありの浴衣美人。今じゃ私は二人の子持ち。テッセンとは全く、全然、違う女性に仕上がってしまった。なんでかなぁ、と思いつつ、まぁ、あぁならなくて良かったのよね、と現実的な目で冷たく思う。そしてかつて年上だった、今は年下の女性に思いを馳せる。
 今年も、近所のあのお宅の軒先で、テッセンが咲いている。かつて憧れた女性とすれ違う時、私はいつも、すこし切ない。


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