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パンジー(花まくら より 017)

 私の祖母は、毎年、毎シーズン、年がら年中と言っていいほど、パンジーを育てている。中にはビオラ、と呼ばれる小型の品種も混ざっていが、ここではまとめてパンジー、と書くことにする。私から見ると、祖母はパンジーが大好きなように見えるのだが、祖母からするとそうではなく、やっぱり春はパンジー、夏はパンジー、秋はパンジー、冬はパンジーと、なんとなくパンジーを植えてしまう、のだそうである。別に特別好きなわけでもないんだけどさ、と祖母は言う。祖母が育てているパンジーは、オーソドックスな黄色の花が主である。黄色の花で、縁が赤茶色をしているものである。それから、上下に分かれた花びらの、大きい上の方が赤茶色で、下の小さい方が黄色のもの。小型の青いもの。そんなところだろうか。園芸店で興を競うような、変わり咲きの花は育てていない。なんでだろうなぁ、と思って、よく見ていたら、祖母は数年来、パンジーの苗を買っていない、ということに気づいた。パンジーという花は、一回のシーズンで次々に花を咲かせるから、咲き終えてしおれた花は、花殻として摘み取ってやらなくてはいけない。花殻の摘み取りを怠ると、種が育ち始め、苗の勢いが弱まって、次の花が咲かなくなってしまう。祖母は早朝、まめまめとパンジーの前にしゃがんでは、花殻取りをするのを日課にしていた。時々、私も手伝っていた。ある時、私が、花殻を摘もうとしたら、祖母が飛んできて、それは取らないで置いといて、と言われた。なぜ?と聞くと、それは種を取る用だから、と言う。祖母は、パンジーの花の盛りが終わる頃、花から種を取って、次のシーズンの苗にしていたのであった。花の苗というのは、買ってきて植えるものだとばかり思っていた私は、祖母のことを、とてもマメだなぁ、と思った。祖母に言わせると、毎年毎年買ってたら、お金が無くなっちゃう、ということらしいが、真の園芸好きは種から育てるのかぁ、と私は感心した。そして、どうりでいつも、同じ花を育てているわけだと納得したのであった。
 祖母の園芸好きは、どこから来たものなのか、小さい頃からのことなのか、そう言えば聞いたことはない。私が知る限り、もう私が赤ちゃんの頃から、写真の中で家の植栽にパンジーが植えられていた。物心ついたころから、祖母は花壇や植木、裏庭の山野草などの手入れをしていた。ちょっと目を離すと、すぐ外で庭仕事している、と祖父がよくぼやいていた。どっちが言うことが本当かわからないが、九十歳になる祖父は、八十三歳の祖母がボケていると思っていて、目を離すと近所を徘徊する、と言っている。だが、祖母に言わせると、祖父は束縛がきつく、散歩もおちおちできない、肥満気味の祖父の方こそ、少し体を動かした方がいいのに、一緒に散歩に行こうと誘っても、断られる、と言う。私は、なんとなく、祖母の言い分の方に分があるような気がしているのだが、本当のところは、どうなのかわからない。二人とも今の所、健全で、大きな病気はない。歩ける。多少の物忘れや、会話の行き違いは無くも無いが、ボケてもいない、と私は思う。
 これについて、私は祖父母が七十代のころから、こだわって続けていることがある。テレビで、ボケは耳からくる、と聞いたのがきっかけだった。人間は、耳が聞こえにくくなると、てきめんにボケ始めるものらしい。そのことを知った私は確かにそうかもしれない、と思って、祖父母のための耳かき師をやることにした。最初のうちは、竹製の耳かきでごく普通に耳かきするだけだったのだが、だんだんとそれでは物足りなくなって、懐中電灯を口にくわえてみたり、光る耳かきを買ってみたり、色々やってみた。で、結局いきついた先は、ヘッドライト、耳鏡、極細のピンセット、竹製耳かき、耳掃除機、という布陣である。さらに、これにヘアバンドとマスクがつく。
 今、私は京都に住んでいるから、愛知県の祖父母の家を訪れるのは一年に一、二度、そしてたまに伯母が京都に日帰り旅行として祖父母を連れてきてくれるから、三度、年に三回顔を合わせる時には、数ヶ月おきの定期点検と称して、耳かきをする。特に祖母は耳かきが苦手で、耳の中が過敏で、痛がってしまい、自分ではようやらないから、誰かがしてあげないといけない。放っておくと、耳の中で音がするんだけど、と言い出す始末である。
 祖父母に会うとなると、私は耳かきセットを荷物の中に必ず入れる。大きな袋に、一式まとめておいて、忘れないように、まず第一に鞄に詰める。これを忘れると、なんのために会いに行ったのか、ということになるからである。
 そして、祖父母の家に着くと、さっそく耳かきである。日が落ちてからやると、祖母が、こんな暗がりでやらなくても…日が高いうちに…とゴネるので、耳かきは必ず日中に行う。私はハチマキがわりにヘアバンドでキッチリ前髪を上げ、作業中に髪の毛が落ちて邪魔にならないようにする。そして吐息が入らないようにマスクをし、ヘッドライトを装着する。このヘッドライトが耳かき師のキモである。ヘッドライトがあるとないとでは、全く作業の内容が変わってくる。確実に耳垢を目視できる環境づくりが、大事なのである。祖母をソファに座らせ、私は膝立ちになって横に構える。そしてまずは、耳鏡を耳に挿す。耳鏡というのは金属製の器具で、片側がラッパ型になった五センチほどの管である。中が鏡面になっており、ヘッドライトの光をよく反射して、耳の奥まではっきりと照らしてくれる。耳鼻科で使われる、専門器具である。この耳鏡で、耳垢を目視で確認する。そして、場合によってはこの耳鏡の管よりも細い極細のピンセットで、耳垢を摘出する。祖母が痛い痛いとわめくのだが、ここは我慢してもらう。五分くらいかけて、片耳が終了する。祖母はもう疲労困憊であるが、スッキリした、と言ってくれるので、良かったと思う。耳掃除の流れは、耳鏡、ピンセット、竹耳かき、それから耳掃除機、の順だろうか。耳掃除機は耳用の小型の掃除機で、耳道にこびりついた大きなゴミを掻き出すことはできないが、竹の耳かきで生じた、微細なゴミを吸い取ってくれる。いわば、仕上げ要員である。
 この耳掃除、始めた時は散々だった。やってあげる、という私の申し出を、いつも迷惑そうにして、痛いからイヤ、と祖母は逃げ回っていた。祖父の方がまだ大人しく、たまに腰を据えて座ってくれていたが、それでも時々だった。やっとここ数年になって、耳が遠くもならず、健勝でいられるのは、定期的な耳掃除の効果もあるかも、という考えにいたってくれたらしく、最近は私が耳掃除の道具を出すと、はいはい、と座ってくれるようになった。
 この前、耳掃除をしてあげた時、祖父も、これは私が言ったことをそのまま私に受け売りしているのか、なんなのか、
「ボケは耳から始まるっちゅうてな、耳掃除は馬鹿にできんぞ」
 と言っていた。実際、祖父母が八十、九十をすぎて聴力が衰えていないのは、耳掃除の効果が幾分かはあってのことだと、自画自賛ながら思う。
 祖母も、痛いながらも、やれば大量の耳垢が出るから、やらないで済ませることは出来ない、と観念している様子で、イヤだなぁというのは目に見えてアリアリなのだが、毎度おなじみの耳かき師の登場を、感謝してくれている様子であり、ありがたいことである。
 祖父母が高齢ながら、自立して暮らせていることの秘訣は、耳かき以外に色々あるだろうが、こと祖母に限って言えば、園芸は大きな要素であると思う。立ったり座ったり、やれ水やり、やれ植え替え、害虫駆除、肥料だ、次は何を植えよう、と、日々の暮らしの中で、途切れることなく、考えること、することが回ってくる。手を動かしながら、体を動かしながら、頭も、同時に回っている。
 パンジーの花は、そのサイクルの中で、芽吹き、咲き、種をつけ、芽吹き、と延々と回っている。継ぎ目のないその繰り返しの輪を、祖母が回し続ける限り、祖母もまた、枯れずに健康でいられるだろう。パンジーの花は、祖母の健康のバロメーターだ。


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