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映画「天才作家の妻」を観た後に - もうひとりの「天才作家の妻」

先だって観たグレン・クローズ映画「天才作家の妻 - 40年目の真実」を、地味だとか謎解きがないとか書いた。

ついさっき、朝日新聞の「好書好日」というサイトで、小説「あちらにいる鬼」を上梓した作家、井上荒野のインタビューを読んでいたら驚くべきことが。

この本は「父である作家・井上光晴の妻、つまり著者の母親と、光晴と長年にわたり男女の仲だった作家・瀬戸内寂聴を彷彿させる二人の女性の視点から、彼らの長きにわたる関係と心模様の変化を深く掘り下げている」と記事の説明にある。ふむふむ、と思いながら読んでいると・・・

質問者:他に事実だとしたら驚きだなと思ったのは、笙子さん(注:笙子は著者の母つまり光晴の妻がモデルの登場人物)が実は小説を書いていた、ということです。

井上荒野:昔、母が私に言ったんですよ。「私も書いていたのよ」って。実際、父の作品のなかに、これとこれは母が書いたものではないかなと思い当たるものがいくつかあるんです。(略)父には分からないような、女の感覚で書かれているなって思う内容なんです。(略)今は講談社文芸文庫に収録されていますが、「眼の皮膚」「象のいないサーカス」「遊園地にて」の三篇は、私は母が書いたものだと思うんですよね。私よりも全然うまいんですよ。父の短篇のなかで、私が好きだなと思うものが母が書いたものなんです。

質問者:みはるさん(注:みはるのモデルが瀬戸内寂聴)と笙子さんは、「小説を書き続けた人」と「書き続けなかった人」という対比もありますよね。

井上荒野:そうなんです。母が父の名前で小説を書いたとすると、なんで自分の名前で書かなかったのかなって思いますよね。父が死んだときに母は63歳だったので、それからでも書けただろうと思います。それでも書かなかったのはなぜなんだろうって、すごく考えました。これは愛についての小説なんですけれども、私も書きながら小説を書くってどういうことなんだろうってすごく考えました。

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「天才作家の妻」を観ながら、日本でも男性の名前で出版した女性作家はいたらしいし・・・と思っていたが、この話はすごい。母の書いたものを父の名前で出していたことを語る井上荒野の語り口は淡々として、そこに凄みを感じた。

井上光晴と瀬戸内寂聴の関係、結局、家庭を壊さなかった光晴、出家した瀬戸内寂聴、すぐれた短編を書いて夫に渡していた妻、成長して自身も立派な作家となった娘がそのことを小説に書くのも、これらすべてのことが、「天才作家の妻」よりよほどドラマチックで映画的だ。

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