「静止画の間の闇」に光をあてる。エンパイア・オブ・ライト感想。※ネタバレあり

「映画とは静止画の連続で、静止画の間は暗闇だ。しかし人間の視神経は欠陥があり、秒間24フレームで静止画を流すと暗闇が見えなくなる。」

劇中の映写技師のセリフである。劇中で気に入ったセリフで、ここには色々な意味が込められている。

劇中の主役、ヒラリーとスティーヴンは人々を光の世界へいざなう映画館で働きながらも、自身はこの「静止画の間の暗闇」にとらわれてしまっている。

あるいは、「暗闇」から目をそらす人々の事も指すかもしれない。
明らかな人種差別に対応しない警察、劇場の支配人からあきらかに搾取されている主人公を見て見ぬふりをする他の従業員。

あるいは、人生そのものかもしれない。まばゆい光の連続でもその間には必ず闇が存在する。人生も同じ、良い時も悪い時もある。
孤独だったヒラリーはスティーヴンによって救われる。彼は劇場屋上で怪我をした鳥を助けるような、「暗闇」を見て見ぬふりをしない人物だったからだ。

劇場の中と外、劇場内でのスクリーンと外、対比の描き方がよくできていると感じた。
ヒラリーは劇場内では主任として仕事をこなし、居場所を得る一方で、外で社交ダンス部ではまったく馴染めない。
劇場内と外を走るレイシストの行進、彼らは中で働くスティーヴンを見つけると劇場の扉を破壊して中に押し入ってくる。
そして光を与えるはずの劇場内でさえも、ヒラリーにとってはそうではない。

プレミアの日、輝かしいスクリーンの外でヒラリーはついに支配人を告発する。他の従業員も真実をはなす。
ヒラリーは過去の生い立ちにより精神病を患っていた。感情の制御ができず過去に休職していたこともあった。
ヒラリーはスティーヴンが配属してすぐ、足の悪い老人の姿を揶揄したことを、厳しく叱責する。
ハンデを抱えながらも懸命に生きるヒラリーのすがたはスティーヴンに勇気を与えていた。
ヒラリーもまた、スティーヴンにとっての光になっていたのだ。抱えた「暗闇」は誰かにとっては光たりえた。

光と影、白と黒。自分の中の闇は決して見なくていいものでも、無くてもいいものではなく。人生のかけがえのない一部なのだと
この映画は気づかせてくれる。

ラスト、文字通り映画を観ることで自身を肯定できたヒラリーの姿に映画が好きな我々観客をも勇気づけられる。
映画が好きで良かった。

主役から脇まで役者の演技も素晴らしかった。
オリビア・コールマンはファーザーの時も思ったが、すさまじすぎる。
同僚のトム・ブルック、トビー・ジョーンズの映写技師も良かったな。

ロジャー・ディーキンスの撮影ももはや言うまでもなく、
トレント・レズナー、アッティカ・ロスの音楽は今回はちょっと分かりやすく鳴りすぎている感じはしたが、沸々と湧き上がる思いが表現されていてよかった。

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