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逃げたがる私の防波堤


私はいつも逃げたがる。楽がすきで、怠惰がすきで、安定がすきで、つかれることがきらいで、せかせかと行き急ぐような態度はほんとうは、きらい。だけど、そんなぬるま湯の風呂にいつまでも半身浴しているような生き方では、私の感情や欲や心やそういった、主に目に見えないものが充足しないようになってしまった。違う生き方を試してみなければ、ずっと成長しないままだとある日知ったのだ。成長は、変化だ。

それでも、私はまだまだ逃げたがる。

挑戦をしようと意気込んだはいいものの、直前になって怖くなったり、複数人で集まってご飯を食べる予定を立てたりしても、「当日、私がいるせいで盛り下がったらどうしよう」と考えてしまってドタキャンしたくなったり、実際にしたり、そう、人としてやってはいけないようなことをこれまでたくさんしてきて、だからこそ「逃げる自分」はきらいだし、向き合って、受け入れて、自分の頭で考えられる人間でありたいと思うのだ。

逃げたがる私のための防波堤が必要だ。

「逃げる」という行為が、そのまま悪に直結するとは私は思わない。心を守るためのいちばんの薬だし、なんなら特効薬だし、つかれた人は「つかれた!」と一言叫んで、颯爽と逃げてベッドの中で眠るべきなのだ。

私が「逃げる自分」を好きになれないのは、綺麗に逃げられないからだ。逃げることさえ下手な自分に嫌気がさすからだ。そして、直後に必ずモヤモヤするからだ。このモヤモヤを味わいたくないから、逃げずに、ぐっと踏みとどまって、前を見て、認識して受け入れて、そして、自分なりの解決策を探す。ぐるぐる探す。そうすることで手に入れられる未来が、見えてくる景色が、どんなものかを知りたいという、ただその一心によって。

開けてくる景色をただひたすらに想像して、それが、逃げることへの防波堤になると信じながら。


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