伝える、伝わる、その瞬間。【note企画】

書くことが好きだ。そして、考えることが好きだ。

紙いっぱいに、頭の中にあるものをバリバリ書き出す。ただただ、書き出す。ひたすら書く行為はアイデアを求める時にだけ使うと思っていた。しかし、私にとっては生産性どころか何を生み出しているのかもよくわからない。ただただ、とにかく気分が良い。真っ白い紙に、カラフルなペンで思っていることや適当な線をめちゃくちゃに書くのだ。

とはいえ、昔からこんなに情緒不安定な芸術家のようなことをしているわけではない。ただ、予兆はあった。

10歳くらいの頃、家電量販店でまだ当時最先端だったカーナビをさわるのが好きだった。画面の端に移動する度に画面が真っ白になる。そして、若干のタイムラグがあってから、そこに道が引かれていく。ピッピッと端まで行くと、真っ白な画面、1秒ほどして、そこに血管が通るように道が引かれるその光景に私は自分が道を引いているのだと思っていた。

それから時を同じくして、ノートパソコンに触れた。Windows95とかだったと思う。父のパソコンを借りて、文章を打ち込みまくった。初めてそれなりにうまく作れた文章は、ポケモンカードの遊び方説明書だったと思う。フロッピーディスクにデータを保存して、父に印刷を頼んでいた。これが確か小学4年生か5年生くらいのときだ。

引きこもっているときも、ブログやチャットをしていた。私はいつも考えて考えて、それを言葉にしていた。だからきっと、私は文章を書いて、言葉にするのが好きだ。

伝わらないこともある。私はしゃべるのは苦手だ。一方的に言いたいことを言うことはできる。なので、スピーチは意外とできる。でも、言葉では伝わらないこともある。どんなに言葉を紡いでも、相手から信頼を得られていなければ、何一つ届かない。言葉だけでは届かない部分は間違いなくある。

それでも、言葉にしようとするのは、嬉しかったことがあったからだ。何年前かも忘れてしまった図工の授業で、漢字をアートにしてみよう。という授業があった。自由に漢字を選んで、自由に絵にする。私は稲作の稲という字をアートにした。日が射し、風が吹き、雨が降り、稲穂が実る。日の部分を太陽にして、ッの部分を風っぽい線を引いたり、雨っぽい水玉を書いたりした。左側の「禾(のぎへん)」の部分は、そのまま稲穂を描いた。その時は言葉にできるくらい、明確なイメージがあった。

作品を完成させて先生に見せると、先生は「ああ、わかるわかる」と言った。

「わかりますか?」という私に先生は

「えっと、これは、日が射して、風が吹いたり雨が降るのを乗り越えて稲穂が実るってことでしょ?」

ズン、と、胃に落ちてくるような感覚を忘れられない。それが私が初めて、伝わった。と思った瞬間だった。友達とゲームやアニメの話をしているのとは違う。同じものを見て確認しあうような作業ではなく、私しか知らない私だけの中にあるものを表現して、それを他人が受け取ってくれた。自分の中にはっきり描いていたことを、なぞるように言葉にしてくれた。心の中にあったものが伝わった。それが嬉しかった。

それ以降は、根拠もなく信じている。心の中に描いたものを、形にして伝えることは絶対にできる。だから、私は書いて、考える。何を生み出すわけでもなく、ひたすらに線を書き、道を延ばし続ける。その一瞬一瞬が大好きだ。

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このエッセイはnote企画
「このタグを見たら大好きなものを答えてみる」に触発されて書かれたノートです。
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キッチンタイマー

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