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恋人と結婚します。

付き合って八年目になる恋人がいる。

高校一年生の三月の終わりに付き合いはじめた。一度別れたこともあったが、遠距離恋愛となった今では毎晩十二時頃に電話をつなぎ「大好きだよ」「愛してるよ」などと言い合っている。こうなる前は、共通の趣味もなかったため通話だけつないでいてお互いに好きなことをしていた。私はテスト勉強をしたり本を読んだりゲームをしたりしていて、恋人もよくわからないが何かしらのことをしていたように思う。今でも、私はゲームをしているし、恋人は私の知らない楽しいことをして過ごしている。そして思い出したように「大好き」とか「愛してる」とか言っては「私も」と言って、それぞれがまた自分の好きなことに戻っていく。互いに恥じらいがなくなっただけで、やっていることは付き合った当初とあまり変わりがない。

そんな私たちだが、このたび結婚することになった。10連休に沸いたゴールデンウイークに、恋人のご両親にあいさつを済ませ、現在は結婚指輪をオーダーしている。入籍はまだ少し先だが、引っ越しの準備も少しずつ始めた。しかし、結婚をする実感はあまりない。それに、結婚生活がうまく行く自信も、正直なところあまりなかった。それに私はずっと「結婚はしない」と言ってきた。

結婚なんてできないし、向いていない。そんな話を何度も恋人にした。私はだれかと一緒に一つのことをするのが苦手だ。今の仕事も、チームプレイの部分と個人プレイの部分がある程度明確に線引きされた職種についている。方針を決めた後は、個人の力量に左右されることが多い。

一方、結婚した後に待っている同居生活は完全なチームプレイである。一人暮らしと実家暮らし、形は違うがそれぞれのやり方やタイミングがあり、それに配慮しながら目的をこなしていかなくてはいけない。私はそれに合わせていく自信はなかった。皿は食後、シンクに積んでおいて、次の食事の前に洗う。風呂も入る前に洗う。私の掃除や片付けは、料理をしたり風呂に入ったりするという目的があったうえで「邪魔なものを処理する」という動作でしかない。「常にきれいな状態を保っておく」という目標を設定した場合、私と同居するのはかなり困難である。母とはよくそれで喧嘩した。常時整理整頓されている状態は、私の生活圏にはない。必要なものは、必要なときに、いくつかの置き場所候補から探して見つける。踏まれて困るものだけ、立てかけたり、机の上に置いたりする。あくまでそのくらいだ。

これに関して恋人の返答は「あぁ、私も食器はご飯を食べる前に洗うことあるよ」であった。

あと、直接自分の損害にならないことに対して「一度言われたことを言われなくてもやる」のは無理である。具体的には、電気は基本つけっぱなしだ。電気を消すのは「光が漏れ出てくるから寝るとき邪魔」という場合がほとんどであり、平日の昼間などはつけっぱなしにすることが多かった。これも母とはめちゃくちゃ喧嘩した。つけっぱなしの分の電気代を支払えばいいのかというとそういう話でもないようだ。結局「きちんとする」というときに該当する動作は苦手である。

最近は服をクローゼットにしまうことも諦めた。コインランドリーから持ち帰ってきた袋の中におおよそ、上着、下着、ズボン、などと分けられている。着終わった洋服は脱いだ後に洗濯物用の袋に移し替えて、溜まったらコインランドリーに持って行くシステムだ。これらは、私は全く不快には感じないが「絶対無理」という人も間違いなくいる。部屋の状態がきちんとすることはめったにない。一番部屋がきれいな状態は、引っ越した後か、コインランドリーで服を洗っている間だと思う。物が少なければ、それだけ綺麗に見える。この惨状を何とかするには、物を捨てるしかない。

何より私は、一人にしてほしい時間がある。最近の夜は、12時過ぎまで友人とゲームをしている。それまではエッセイを書く時間にほとんど充てていた。本を読んだり、動画を見たり、ひとりでいる時間や、自分の好きなことをしている時間が好きだ。

でも、それは一人暮らしだからできていることで、ゲームをしているときの私はうるさいし、文章を書いているときの私は近寄られることさえ嫌なことがある。こんな人間が他人と同居するなどとても考えられない。何かを改善したり、我慢したりする気もない。

恋人が、二か月に一度、関西に来て私の家に来るたびに、一つ一つ相談をした。食器から、掃除から、前回は友達と通話をしている様子を見てもらった。

もしかしたら、今後もこんな感じで夜中に友達とゲームをするかもしれない。すると恋人は、自分のスマホで動画を見はじめ、ダラダラごろごろくつろぎ始めた。

「うるさくない?」

「まぁうるさくなったら、だんぼっちとか、防音ルームでも作ろうよ」

友達との通話は相談になり、日をまたいでも話が続いた。通話を終えると二時を過ぎていたが、それでも恋人は「……思ったより嫉妬しなかったな」と言って眠った。

何がそこまで、彼女を動かすのだろうか。

「不安じゃないの、一緒に暮らすの」

「全然。何にも不安じゃない」

どうして、平気だと思えるのだろうか。何度無理だと言っても、恋人は諦めなかった。彼女が何かを諦めることはなく、また、私に何かを我慢させることもなかった。私は私の好きなことややりたいことに向き合い、恋人も好きなことややりたいことに向き合っている。

強固な決意は、何者にも止めることはできない。

昔、本でそんな言葉を読んだ。まさに彼女を表した言葉だと思う。私は彼女に束縛されたことは一度もないが、彼女は私がどこに行こうとも追いかけてきた。

ただ隣にいたいだけ。

彼女に聞いても、いつもそれしか言わない。私は、本を読んでエッセイを書いて、たまに遠くに行ってしまいたくなって、本当に遠くに行ってしまう。恋人は「ただ、好きな人の隣にいたい」それだけで、遠くまで動けてしまう。好きな人は、ときどき私ではなくて、恋人の好きなキャラクターであったり、イベントであったりする。好きなものの近くにいるためなら、恋人はとてつもないエネルギーを出すことができるようだ。

「自分が、自由だと感じられる場所にいたい」

そう考える私。

「自分が好きな人の隣にいたい」

そう言って、私の近くにやってくる恋人。

恋人は、ただそれだけのために、覚悟を決めて、努力をして、私のところまで飛んでこられる人だ。私だけではない、好きな人のところには「近くに行きたい」と思うだけで、躊躇なく飛んで行けるのだと思う。目的地さえあれば、一人でどこまでも行ける。それが、私の恋人だ。

私たちは、多分、お互い一人でも平気だ。このまま、関東と関西に住んでいても、大して問題はないだろう。今の関係に不満はない。遠くにいても、毎日電話をかけられる。私はそれで充分だ。

私たちにとって結婚は、恋愛の次のステップとかそういうものでも多分ない。

恋人にとっては、どんな時でも私の隣にいる権利の獲得である。

私にとっては「なんかよくわからないがとんでもねぇ環境の変化」である。

今度は、一か月の無視とか、そういうものでは済まないかもしれない。ただいつも、今の関係に満足できなくなるのは恋人のほうだ。私たちは、ずっと友達でもよかったはずなのに、恋人になった。そして、このままずっと恋人でもいいはずなのに結婚する。

できることなら「愛してる」とか「大好き」というのが、電話越しから直接言うようになるくらいの変化だけで、終わらせてほしい。ただ、これまでの経験上、どんなに無理だと思っていても、恋人が心から望んだものは大体叶ってしまう。

私は、恋人に「好き」ということさえ、恥ずかしかったはずなのだ。

「愛してるよ」

「うん、私も」

これもきっと、恋人と、私自身が望んだからこんな形に落ち着いているのだと思う。

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