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無理のない最高速度で。

自転車で通勤している。

「徒歩でも通える距離なので」と、頑なに自転車を買わなかった。しかし、先日"映画大好きポンポさん"という映画をどうしても公開直後に見なくてはならないという衝動に駆られた。ところが、上映されている映画館はまだ少ない時期で、徒歩では遠いがバスで行っても最寄りの駅から10分近く歩くことがわかった。

「自転車、買おう」

人とは些細なきっかけで考え方を変える。私にとって自転車は、映画を見るための移動手段が主たる目的だ。出勤に使えるとか、買い物に行けるというのはあくまで副産物でしかない。

今はその副産物として、通勤に使っている。

「チャリで来るようになってから楽になったんちゃうん?」

「そうですねぇ。遅刻しそうな時、全力で5分だったのが無理しなくても5分で出勤できるようになりましたね」

実際、雨さえ降っていなければ便利なものだ。たまに恋人も買い物に使っている。

仕事を終えて、同僚と帰ることになった。

「二人乗りできるチャリ買ってや」

「法に触れますので」

「せやなー」

などと言いながら、私は自転車の鍵を外す。最寄り駅まで歩きの同僚と自転車を押す私。

「……乗ります? 私、走るので」

「マジ? 元気やん。一回やってみよう」

私は自転車を同僚に渡すと大きく伸びをして屈伸をした。アニメでめちゃめちゃ足が速い人が、走る前にやる動作ってだいたいこんな感じだったと思う。

「普通に漕ぐで?」

「どうぞ」

同僚がペダルを漕いで進むのを見てから私は走り始めた。速度は出ないが、持久走には自信がある。少し遠慮した速度だったので、私は少しペースを上げて「このくらい出してもらっていいですよ」と風を感じるくらいの速度にペースを上げた。

「マジで?」

「この速度で走ると、約五分です」

「なんか納得したわ」

「無理ない速度を維持するのが大事なので、いまこうして話せる程度のここが、適切な速度なわけです」

私は息が上がらない速度を維持して同僚と並走した。無理のないペースで、トントントンと進む。決まったペースで足音が響く。例えば全力疾走ならもっと速度が出せるけれど、それでは5分持たない。

最寄り駅に着き、自転車を返してもらって別れた。

「楽だったわー」と同僚は言った。

「私も、いい運動になりました」

残りの帰り道は私が自転車に乗って進む。出ている速度はあまり変わらないはずだが、自転車は楽だ。私はペダルを漕いだ。走っている時より少し早く進んでいる気がするが、並走している人が居ないので実際のところはわからない。

でも、長く同じ速度で走るのは好きだった。持久走は好きだったし、シャトルランは学年で一番長くやった。競争は得意ではないが、自分の出せる丁度いい速度を探すのは好きだ。

祖父が言っていた。

「頑張ればできることも大事だけど、頑張らずにできることも知っておきなさい」

それは借金の話で、かつて自営業をしていた祖父なりのお金の授業だったのかもしれない。頑張って返済するのではなく、頑張らずに返せる額だけ借りなさい。

そんな話を小学生の私にしていた祖父のおかげが、私は自分のやり方に色々と改良を重ねた。頑張らずにできることをまず積み上げて、頑張ればできることはそれを補助するアプリを使う。ToDoリストなどはまさにその一角だし、家計管理アプリも「頑張ればつけられる帳簿」を頑張らずにこなさせてくれる。

全力で走るのではなく、出来る速度の中で無理せずゴールまで走りきれるペースを維持するのなら私は得意だ。幼少期、さんざんマラソンを走らされた。

5キロとか10キロとか。最初の2キロと最後の2キロの体感の違いなどを加味しながら、無理なくしかし早くゴールにたどり着けるペースを維持する。特に、周りに流されないようにするのがミソだ。

しかし、青春時代自転車に乗っている人の横を走って帰る経験はあまりない。小学生の時一度やったくらいだろうか。それから数十年を経て、自転車の横を走って並走した。

「ここが、無理のない一番長く走れる、一番速い速度なんです」

と、大して検証もしたことのない意見を述べた。しかし、その無理のない最高速度の掴み方は、祖父も含めた色々な人達から教えてもらったように思う。

明日も自転車で出勤する予定だ。無理のない最高速度で、走っていこうと思う。

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