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関西弁から見た私

関西弁は、やや語気が強く聞こえる。

東京にいる時にそう聞いていたが、実際話してみると確かにそうかも知れないなと思った。顔を見ていると大変表情が豊かなので人懐っこくも見えるのだが、電話越しに話したりしていると確かに強い語気に感じる。

では、逆に東京にずっと住んでいた私の言葉は現地の人にどう聞こえるのだろうか。関西からずっと出ていないというFさんにふと聞いてみた。

「私が話してるような東京の言葉って、冷たく感じたり距離を感じたりするもんですか?」

私はまだ全然関西弁になじめていないので、普通に東京の言葉で話している。

「んー、っとね。冷たくは、ない。でもやっぱイントネーションがなぁ……」

Fさんは、いくらか擬音を交えながら「なんていうかこう……」と、しばらく考えていた。

「『なんで』とか、もう発音がちゃうやんか」

「まぁ、そうですね」

「それはもう、冷たいってよりはむしろ、変っていうか。日本語が下手……っていうか……」

うんうん、と、私は頷いた。ひとまず、冷たいと思われていなかったことに安心した。それから、Fさんは「下手」といった部分のニュアンスを調整していた。「下手ってよりも……こう……」と、また言葉を探してから、ハッ、と私を見た。

「あーっとね、そう、外国人が覚えたての日本語で話してるような感じって言い方が近い」

どうやら外国のイントネーションで日本語を話してるように聞こえるようだ。私は映画の予告編に出てくる日本語で挨拶する外国の俳優を思い浮かべていた。

にほーんの、みなさん、こにーちは。

なんて具合に軽く挨拶をする。話している意味は通じるけど、発音が微妙に変。最近良く映画館にいく私はもうすっかり慣れたものだけれど、初めて聞く人にはちょっと慣れないかもしれない。でも、どんな風に聞こえるかという感覚はようやくつかめた。

Fさんにとって、私の発音は外国人が発音しているのに近く聞こえるということになる。へぇぇ、なるほどなぁ。

「じゃあ、アメリカにいたことにしといてください。かっこいいんで」

「帰国子女はかっこええな」

カッコイイと思うものの感覚は、似通っていた。全部が全部違うわけではないようだ。

ともあれ、私はもしかしたら今後、生徒からは日本語のうまい外国の先生と思われることもあるかもしれない。そのときは、とりあえずアメリカに居た時期があると言うことにした。

「あと、擬音とか、全然使わんよな」

「ガーッ、とか、グァァとかいうあれですか?」

確かに、使っていないかもしれない。そして、思い返してみると周りの人は結構、擬音を使う。

全く解らないので「もっと具体的に教えてください」と言うと「こういうやつ」という言葉とともに、空中に謎の絵を書くジェスチャーを始めたり、体で表現したりしてくれた。最終的には絵や図を描いて見せてくれた。

「わからんです」

「いやー、だから、こう、こういうな?」

ジェスチャーゲームは続く。私もとりあえずその動きを真似してみる。

「……あー!」

ひらめいた私はスマートフォンに文字を打ち込んで画像を表示する。

「あーーー! これやぁ!」

「これですかぁ!」

正解はカフェに置いてあるアクリル製のメニュースタンドだった。確かに、私もぱっと名前が出てこない。でも、ジェスチャーで伝えるのもまた、ハードな題材だった。パンの袋を止めるやつと同じくらい、名前が出てこない。

そうした事情もあり、意思の疎通は時折、スマートフォンを通して画像を見せたりしながら行う。さながら翻訳ソフトをつかって、言葉をやりとりしているかのようだ。多少発音が違っても伝わればいい、わかんなかったら、画像でも見せてみればいい。そんなアバウトな感覚で、私たちは会話している。

関西弁と東京の言葉でやりとりするのにも少しずつ慣れてきた。そんな中、時折私の言葉のアクセントが関西弁に寄ることがちらほら出てくるようになった。私もこれから、現地の言葉に馴染んでいくのかもしれない。

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