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まえむきにやろうよ。

ニュースレターを始めた。

大してニュースにもならない生活を送っている私だが、情報に触れる機会は多々ある。それに一応仕事もしている。一つの業界の一つの事業に属する一人の社員という末端も末端ではあるが、言い方を変えれば「現場職」であり「現場から中継でお届けします」という情報は持っている。ただ大抵、守秘義務の対象になるのでnoteはもちろん、ニュースレターに書くこともできない。

しかしだ。なんだかんだで、社会人四年目である。自分のみを振り返ったり、今の仕事のやり方を反省して誰かの役に立つことができるのではないか。そんな、ぼんやりとした野望を抱いている。noteでは、毒にも薬にもならない文章を書くことにやっきになる一方で「役に立つと思うので、これだけ覚えていってください」と声を大にして伝えたいことが無くもない。一つか二つくらいはある。しかし、いざ書こうとすると何を書いて良いものやらさっぱり分からなくなった。

よく分からなくなったときは原点に立ち返るのが大切だと、何かの本に書いてあった気がする。

経緯はこうだ。先週theLetterというニュースレターのサイトがあることを友人に教えてもらった。まだサービスリリース前で、メールアドレスを登録するとウェイティングリストに入れてもらえるらしい。

ニュースレターとは何か。調べてみたがよくわからない。メールマガジンのようなものらしいが、しかしブログにも近い、そして、役立つ情報とか興味のある話を収集していくのだそうだ。一個もわからない。しかし、分からないなりに分かったこともある。ここではどうにも、役に立つ情報が求められているらしいということだ。

何かしらのことを成し遂げた人が「どのようにして成功を手にしたのか」といった話をする姿が想像できた。何よりそれは、私が学生時代取り組んだことでもあるからだ。

当時の感覚を思い出しながら、私はニュースレターを作り始めた。プラモデルを作るように、パーツをはめていく。

"中学三年間不登校から社会復帰。大学で特待生を勝ち得て書籍出版に携わり、現在は発達障害を持つお子さんがワクワクする授業づくりに勤しむ。主に個人の体験談や相談内容、ときめく授業づくりについて発信していきます。"

懐かしい。エントリーシートを作っているとき、こんな気分だった。嘘は言っていないけど、どことなく胡散臭い。

また、見たときに「興味は湧くけれど話を聞いてみないことにはなんとも言えない」そんな気になる文章を目指した。

そうそう。昔、そんなことをやっていた。人の気を引くために、注目を集めるために何ができるか考えて頑張って失敗していた。就職活動というプレッシャーの中で吐きそうになっていたことを思い出す。今はそんなプレッシャーがないので、カジュアルな場所でスーツを着ているような気恥ずかしさがあった。

「元不登校先生の個性を活かす雑な生き方」と、ひとまずタイトルを作り、それを友人に送る。もう、少なくともこの友人には経過から結末まで見せてやろうと思った。なにより、そうしていないと私は恥ずかしくて転げ回りたかった。書いた文章のスクリーンショットと共に「殺してくれ」と添えた。

すると、タイトルへの改善点を普段より少しだけ柔らかい文体で指摘してきた。

「何前向きに検討してんだよ」

と話が進むことに若干の躊躇を残す私に、友人は言った。

「まえむきにやろうよ」

やかましいわ。

こうして微妙な改定を加え「元不登校の先生が教える。個性を活かす雑な生き方」ができた。たまらなく、恥ずかしい。私はこれからこの命題を紐解いていかなくてはいけないのだと、突きつけられた気分だ。

自分が社会においてどのように役に立つのかを考え、悩み、泣きそうになっていた就職活動の時期から四年。舌の根もそろそろ乾いた頃か、ほとぼりの冷めた頃なのか、私はまた「こういうのできます!」と声を大にして叫びたくなったらしい。

未熟で、痛々しささえ感じる。しかし、それでも書かなくてはならない。

そして今日の昼、新しい購読者が増えた。それは、友人だった。

お前かよ。とも思ったが、読んでくれる人がいるというのは心強い。noteとは違った風貌の文章になる。見かけが変わるのだ。

新しいチャレンジとか、新たなステージとかいうのとは違う。どちらかというと、その場所に合わせた服を着るような感覚だ。ニュースレターという場所は「欲しい」と思う情報を発信することが求められる。

スーツを着て登壇するようなものかもしれない。規模としては小さな教室で、半分くらいの人が訝しげにこちらに視線を送る中で口を開く。どちらかというとアウェーで、緊張する。そんな場所だ。

スーツを着ない社会人になってから四年。私は自分がどんな仕事をして、どんな風に生きて、何を大切にしてきたのかを語る。そして「これはきっと役に立つので、どうぞお一つお持ちください」と添えたり「少しやってみせますので、見ていてください」と演じたりする。

正直、誰も見ていないうちにサッとやってサッと袖に逃げてしまいたい。自分のしてきたことを見つめ直すのは、自分のしてきたことが思ったより大したことないのだと示すことにもなる。自分とは二十六年付き合ってきたのに、過大だったり過小だったりきちんと自分の大きさを見てやれたことなど無いように思える。そんな中で、人前で自分のかけてきた時間を晒すのだ。

そしてそれは、誰の何の役にも立たないかも知れない。しかし、積み重ねてきた事実の中には「何してそうなったんだ……?」と首を傾げたくなるものもある。

「これには事情がありまして……」

眉の端を下げて、よそ行きの顔で顛末を説明したい話がある。noteとはまた別の私だ。

例えばそう。同僚に語りたいけれど、いきなり喋ると煙たがられるような話だ。そういうものをきちんとパッケージに包んで、少しだけ外に届ける。

手紙というより、チラシ配りだ。ただ、配って歩くほどの量はない。

一通目のニュースレターは昨日の夜、寝ぼけながら配信した。顔から火が出る。胃がキリキリする。

しかしこの感覚も、学生以来なかなか感じていなかった久しぶりの感覚だ。話すことは決めている。ただ、どこで終わるか最後まで聞いてもらえるか、それだけの腕前が私にあるか。

久しぶりの腕試しである。ただ、一通り話したらサッと舞台袖に捌ける準備だけして臨みたい。

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