見出し画像

我が手の中にあるけれど。

メガネやスマホをよく無くす。

無くすというよりは、おおよその目星はついているがそこを探していないというだけである。また、その目星の先にない場合は、たいへん困ったことになる。

捜し物に使う時間は無駄だといわれることもあるが、形のないものを探すことも時々ある。例えばお宝、もしくは自分自身。自分探しの旅などは「意外と身近にあった」というオチが定番である。世界中を飛び待った結果、一緒について来てくれた人と結ばれた話もある。

お宝は地図が要るが、心は地図さえない。探るときは手探りだが、様々な物語は「求めていたものはすぐ近くにあるものだ」と伝えたがっている。あなたの求めているものは、すでにあなたの手の中にある、と。幸せも、才能も、心も、本当は目の前にあったのに気が付かなかっただけだ、と。

顧みれば、確かに私は多くのものを手にしている。例えば一つ、恋人が隣りにいるという状態は、私にとって幸せなことである。私の信念や、こだわりや大切なことを尊重してくれる人が隣りにいるというのは幸せなことだ。

それから、文章を書くことができる。私の文章は、読んだ人から感謝されることもある。また時には本に載り、賞をもらい、身近なところでは事務仕事や報告書を書く際にもあまり苦労しない。

こうして、自分の手持ちのカードを並べていくと、確かに随分多くのものを持っているようだ。先人たちが物語において何度も触れていた「もうすでに近くにある」とか「大切なものは目には見えない」というメッセージは概ね間違ってはいないのだろう。

私が問題とするのはそこではない。

「それはいつ、どうやって、この手に握られたのか」という問題である。

大切なものを見落としていた。というとき、果たして大切なものはいつからその手に握られていたのだろうか。

例えば、私が恋人と出会ったのは、高校生の時である。そして、彼女からの告白によって我々は恋人となった。それから、一度別れたが復縁して、現在結婚している。

例えば、私が文章を書き始めたきっかけは「やる夫が小説家になるようです」という掲示板のスレッドだ。技術的な部分を補足してくれる本も、そこから出会いブログを始めた。そこからサイトを転々として今に至る。

しかし、こうして考えていてもなんだか、本当に肝心な部分にたどり着けていないような気がする。恋人とのエピソードや、文章を書いて起きたことのエピソードを書いても、私の文字は大切なものの輪郭を一周りして戻ってきただけのように思える。

地上絵のように、少し高いところから見ると形が見えるのかもしれない。そして私にとっての「大切なもの」の輪郭が誰かに伝わり、おおよその形も伝わり「あぁ、これがこの人にとって大切なものなんだ」と伝わるかもしれない。もしくは、その輪郭を見て「この人は大切なものを理解してこんなふうに表現するんだ」と感じるかもしれない。

しかし、輪郭は所詮、輪郭である。地面のすべてを使って大きな鳥を描いても、描いた人物が鳥に触れたわけではない。あくまで触れたのは、砂粒であり触れたのは輪郭である。もっと肝心で大切な核といえる部分からは随分遠い場所では無いだろうか。卵の殻を手で撫でても、中身が茹でられているのか生なのか判別が難しいように、中身には触れられていないように感じる。

もうすでに手元にある。しかし、それは鍵の付いた箱なのではないだろうか。幸せが手の中にあるとわかったとしても、それは四角い形をしていて鍵がしてあり、鍵穴から覗いても真っ暗なものではないのだろうか。それは確かに、手の中にあるのかもしれない。そんな状態になっていたら見失うのも仕方ないのかもしれない。例えば中にスマホが入っていて、友達から試しに電話をかけてもらうと中から音が鳴る。

「あぁ、大切なものはずっとここにあったんだ」

そう。でも、いつ、どのようにして、そのスマホはその箱の中に入れられ、鍵をかけられたのか。その答えは、箱を大切に抱き涙を流しても、きっとわからないだろう。何より、機能していない。スマホが欲しいというとき友人に声をかけて、音を鳴らしてもらう機能を求めているのではないはずだ。

幸せが欲しいというとき、それは果たして、箱の中に閉じ込められた「幸せ」の気配を感じたいのだろうか。箱の中にある。手の中にある。そこまで突き止めても、私はまだ足りない。箱を割ってしまいたい。それがかなわないのならば箱と同じ大きさの石を持ってきて、削って磨いて、中にある幸せの形を作りたい。

探しものは案外近くにある。しかし、それはいつから、どうして、そこにあるのか。そのパズルを解かなくてはならない。ルービックキューブのようなものだ。

必要な要素はすべて手元にある。あとはそれを解く力を、すでに持っているのか、習得しなくてはならないのか、誰かの力を借りなくてはならないのか。探しものは、見つかってからのほうが面倒なこともあるのだ。

ここまで読んでいただいてありがとうございました。 感想なども、お待ちしています。SNSでシェアしていただけると、大変嬉しいです。