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戦って帰ってきた人

先日実況したラジオで、合コンの話を扱ったものがあった。

実体験を話す番組で、いわゆる自分語りだ。2ちゃんねるの自分語りスレなどが好きな私はとても懐かしい気持ちでそのラジオを聞いていた。

出てくる登場人物に見た印象でニックネームを当てていく感じや、最終的にトイレでオシッコの写真を撮るという全く意味不明な言動に私は頭を抱えた。

特に、女性の外見を指したニックネームなどは笑っていいのかわからず、正直なところ不快感が強く感じられた。実況を終えてからも、なんとコメントしていいものかわからず心の整理が追いつかなかった。

「なぜ、そんなふうに人を馬鹿にしたニックネームをつけるのかわからない」などと、コメントするのは簡単だ。しかし世の中には「なぜ」を頭に持ってくることによって「理解できない自分が正常」という主張のし方もある。それは「なぜ」について真摯に向き合う態度ではない。私も感想を述べる人間としていつでもそちらに足を突っ込んでしまう可能性があるのだ。

だからこそ「なぜ」にはきちんと向き合わねばならない。そして、その上で、私のような大卒で、就職していて、奥さんもいる人間から理解を示されるのは相手の方からすれば全く持って本意ではないと推察する。

こうして書いていることさえラジオのネタとして弄り倒してもらえればまだいい方だ。しかしとりあえず、それでも私なりに考えたことを聞いてほしい。

そもそも私は、外見で優劣をつけたりニックネームをつけたりするのはめちゃめちゃ失礼だと考えている。だからそれを、ゲラゲラ笑いながら当たり前のように名付けていくのは聞いていて心地のいいものではなかった。目の前にいる人を品定めして、露骨に態度を変えるなんてあまりにも失礼だ。

しかし、それが当たり前の世界がそこに広がっていた。ハイスペックな人に対する態度は露骨に変える。そのうえで、すぐ隣にもハイスペックな友人が座っているわけだ。彼は競争社会で生きていた。

失礼だとか言っている場合ではない世界なのかもしれない。生まれ持った容姿と、努力と運で得た地位が、人からどんなふうに見られるのかを肌で感じられる世界だ。

そしてふと、集団面接を受けていたときのことを思い出した。露骨ではないが、期待されていないことを感じる。相手を同じ人間だと思って、エネルギーをしっかり使って接すると心が疲弊していく。私はそこから逃げ出した。もう、二度とあんな場所に行くものかと、心に決めた。品定めされる心地の悪さ、どこに置いていいかわからない気持ちのやり場。手応えのない環境で、相手を自分と同じ人間だと気持ちを隣に置こうとすればするほど苦しかった。

結果的に彼は、トイレでオシッコの写真を撮って帰ってきた。その動機に関しては全く意味不明だし、今後も理解できる気は全くしない。今でも、人に外見でレッテルを貼るのは失礼なことだと思っている。

ただ、その一方で、私が彼と同じだったら、私もきっと同じように態度で示しただろう。一人ひとりの態度や言動にいちいち立ち止まり、考えていては、身が持たない。

目的は、魅力的な人と出会うこと。下心の話をするなら、可愛い子と一夜過ごすことだ。そして、それをするためには、八方美人でいるのではなく、一人にだけ優しい人であるほうがいいのかもしれない。私は、1人から好かれることより3人から嫌われないことの方を大切にしている。彼は、2人に嫌われてもいいから1人から好かれたかったのかもしれない。

彼は自分がだんだん蚊帳の外に追い出されるのを感じていた。彼は彼自身に劣等感を覚えているようだ。そしてその席に座る人々に、割と失礼なニックネームをつけていた。

彼が人と接するなんてなんとも思っていないかというと、それは違う。いや違う、彼は合コンに参加する前にしこたま緊張していた。お菓子を食べまくっていた。ストレスで胃に穴が空きそうなほどの緊張である。

私だったら、逃げ出してしまっただろう。

合コンでは可愛いとかイケメンとか、ありとあらゆるスペックが武器になる。そして、それに対する評価を露骨に態度に出される場所だった。そんな疲弊する場所でいちいち、なぜ、なぜ、なんて考えていては疲弊していくばかりである。

夜、布団の中でスマホをいじりダラダラと夜ふかしをする私はできるだけ人と向かい合い、寄り添って話を聞きたい思う。それが私にとって正しいことだと信じている。しかし、そのやり方はいつでも正しく、誰にでも推奨されるものではなかった。皆が武装し、自分の武器を用いて相手との時間を獲得しようと戦っているとき、丸腰で柔らかく傷つきやすい弱点を相手の近くに置くのはかえってリスクが高いのだ。

最終的には気を許し心を取り出して見せ合う場面が来るのかもしれないが、最初からそうであるわけではない。時に、刃を磨きそれを見せ合いながら「お前は俺と話すだけの魅力を持っているのか?」と試すところから始まる関係もあるのである。

私はそこから逃げ出した人間として、彼には敬意を払う。彼は戦って帰ってきた。

ただ、なんでオシッコの写真をお土産に持ってきたのか。これに関しては、理解してしまうことが怖いので考えることをやめたままにしている。

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