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この奇跡が終わるまで。

まだ恋人が隣で寝ている。

結婚してから4ヶ月だ。今日が結婚してから4ヶ月目の記念日であるような気もするし、そうでない気もする。私はもう結婚記念日がいつなのか覚えていない。9月の5日か9日のどちらかであるような気がするが、どちらでもない気もしてきた。9月上旬、それがひとまず私達の結婚した時期である。

かれこれ4ヶ月が過ぎているのに、恋人はまだ私の隣にいる。今日も帰宅すると、彼女も仕事を終えた後なのに料理を作っていた。私が料理をしなくなってから、4ヶ月ということでもある。私の作る料理は、恋人の作るものと比べれば、コスパも手際も悪いうえに、正直料理と言っていいものかわからない。自分で食べる分には良いが、人に食べさせるのには抵抗がある。

「私はひき肉をそのままドンッてフライパンで焼くやつとか得意だよ」

そんなふうに言っていたが、そんな雑さを極めた得意料理が出てきたことは一度もない。私の買ったフライパンを私以上に使いこなしている。それに引き換え私は、最近はお皿洗いを食洗機に奪い取られてしまったので、いよいよできる家事がなくなってきた。元々生活するスキルも高くない。掃除などは特に苦手だ。衣類の洗濯も、洗濯機が乾燥まで全てこなしてくれる。それに、いつの間にかゴミ袋は新しいものに変わっているし、トイレにもスクラビングバブルがポンと押してある。

全く家に貢献できていない。

そうした話をすると決まって恋人は

「ゴミとか捨ててくれるじゃん」

などと言うのだが、逆にいえばそれくらいしかしていない。私がダラダラ過ごしている間に、恋人はテキパキと家の仕事をこなしてしまう。仕事量、全然わりに合わないなぁ、と思いながらトイレのタオルで手を拭いたとき「あ、交換されてる」なんて気が付いた。不甲斐ないことこの上ない。こうして私が情けない気持ちになっているのに、恋人はどこ吹く風で踊っているような生活が続いている。私も私で、自分の気持ちには忠実に生きている。しかし、恋人のやりたいことが私と一緒に何かをしたい、というものであるときに限ってはよくぶつかる。

今年のお正月のことだ。私は冬の寒さにやられて、もう二度と外に出るものかと布団にもぐっていたが、散々恋人から「初詣に行こうよ」とせがまれた。私は外に出たくない。

「一人で行ってくればいいでしょ」

「○○君と行きたいの」

「それは無理な相談だ」

「行きたいの」

「今は嫌です」

「じゃあ、いつ頃気が向きそう?」

「んー、2月」

「初詣って言ってんだろ!」

「とにかく嫌。こんなクソ寒い中、インフルエンザの人間がまぎれてるかもしれない場所に行くわけないだろ。寝る」

私は布団にもぐる。恋人はむくれてしまい、こたつの中へと消えていった。交渉決裂である。行きたくないったら行きたくない。

後に聞いた話だが、恋人は「今回はちょっとしぶといな」と思っていた程度であり「まぁ、嫌がってた割に結局結婚もしたし、最後には私の思うとおりになるからちょっと待つか」と寝たらしかった。ふてくされるとかそういうことではない。ただ、機が熟すまで待っただけである。

散々渋って行かなかった初詣だったが、1月3日になると昨年末に処分した服を補充しなくてはいけないことを思い出し、買い物に行くついでに近くの神社へ寄ることになった。恋人と手をつなぎながら外に出ると、手を振りながら歌い始める。

「は~つもうで~はつもうで~」

「……何それ」

「初詣の歌」

どうやらオリジナルソングのようだ。この歌がリリースされる予定は今のところない。彼女が望めば本当に配信されてしまう気がするが、今のところアルバムを作るつもりはないらしかった。

歌に限らず、恋人は唐突に意味がわからないことをして勝手に満足する。

最近は、私の首筋に吸い付いてきて思い切り深呼吸をする。ストローで吸うみたいに、私の首のあたりで息を吸う。

「……なに」

「○○君を吸ってる」

そしてとても機嫌が良さそうに「んー♪」と笑う。何がいいのかわからないが、幸せならそれでいい。初詣と違って寒くもないし、インフルエンザにかかる危険もない。特に生活に支障がなければ、恋人が何をしていようが私には関わりのないことだ。

「○○君、ちょっとじっとしててね」

恋人はゲームをしている私の隣に座った。そして、馬油という謎の油をほっぺから順にぐりぐりと塗っていく。これがスプラトゥーンやスマブラの最中であればすぐさま逃げるところだが、ポケモンなので特に問題はない。私が技を選択している間、恋人はなんだかよくわからない化粧品を塗っては効果を試す。

「○○君、肌とか全然何もしてないから、しっかり汚れが取れる」

多分、あまり掃除していない部屋を雑巾で拭いたとき真っ黒に汚れるのとか、恋人は好きなんだと思う。先日は、なんだかザラザラした物質の入った洗顔料を試された。塩か何かでも塗りこまれているような感覚で、それが顔中に広がる。私はすっかり目を閉じているが、あまり心地いいとは言えない感覚だった。しかし、もう目も開けられないくらいには塗られてしまったので、拭きとってもらうのを待つしかない。私は不満であることを精一杯表情で示した。すると、恋人はとてもおかしそうに笑い始めた。

「ふふ、○○君、人間不信になっちゃったねぇ、ふふ。でも、お肌はつるつるになるからね」

思わず私も笑ってしまう。

「失うものと得るものが全く釣り合っていないですけども」

恋人は愉快そうに、ザラザラしたクリームを私の顔に塗り続けた。恋人は、私が嫌がる表情をするのが好きらしい。

朝、恋人が私の頬を指でつつく。私はもう少し寝たいので恋人の手が当たらないように顔をそむけた。

「あ、嫌なんだ」

わかってくれたらしい。ちょっと顔を動かしてみたものの、寝る位置としてはあまりちょうどよくなかったため、元の場所に頭を戻す。

「……もっかい触ってみるか」

恋人がまた私の頬を突いた。

「なんで」

「本当に嫌なのか確認しておこうと思って」

「嫌です」

「そっか」

恋人はまた私の頬を軽く撫でてから、リビングへと消えた。それから、私の頬を突いてくることはない。その代わりちょっと撫でるように触るようになった。恋人と接しているとき、私はとてもわがままで、何か奇跡的なバランスでたまたま時間が共有されているような気分になる。そうして私が将来を憂いている間も、恋人は一人おならをしているし、私もそれに気を取られて「ぷぅ」などとおならを復唱している。

「乾いた感じだったね」

「そうですね」

おならの感想を述べあう二人が将来を憂いても、大した解決策は浮かばないような気がしてきた。

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