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一緒に働きたい人・働きたくない人

私は飲食店で働いていた経験がある。
そして、この人って最低だなと思うのは、
”自分の仕事を、人にやらせる人”、もっというと、自分が楽をするために人を使う人だ。

こういう人とは一緒に働きたくないと思うし、なってたまるかと思わせられる。

しかし、自分を振り返ってみたときにどうだろうか。

私は小学校の掃除の時間が大嫌いだった。
自分が汚したとも限らない、汚い床やトイレをなぜ掃除をしなければならないのか。先生は黙って掃除をしろというが、自分たちだってろくに掃除もせずに偉そうなことをいうな。
そんなことばかり考えて、掃除の分担は一番楽なものを選び、たいして掃除もしないで怒られる生活を送ってきた。

つまり、自分も人のことが言える人間ではない。


いつも”自分”起点でものを考えて、その思うところに従って行動をする。今でこそ、人に気を使ったり、奉仕的な活動をすることができるようになってきたけれども、根幹は変わらない。自分が、かわいい。結局は、そこ。
どんないい行いだったとしても、その分だけ、「この利他的な行動を神様が見ていて、いつか自分に帰ってくるんだ。」そう思いながら行動してしまう。

自分の欲望に素直なだけ。
ただそれが、尊敬と私を遠ざけるもっとも大きな要因。

欲望に素直な人は、短期的な利益、しかも自己利益のことしか頭にないので、結局畏敬の眼差しを向けられることはない。

ただ、唯一皆が尊敬する。力を貸したくなる欲望がある。
それは、”自己実現”の欲望だ。

利益のためではなく、なりたい像に向けて努力を捧げる。普通ではできないような労力を、未来の自分に賭ける。
傍目に見れば、やりたくないことを、何かを成すために取り組むその姿は、侮蔑の目を向けられる”欲”とは全く異なる。

もっと言えば、自己実現の欲望は、尊敬の眼差しを集めるだけでなく、必要な人からの助けを得ることができる。
自己実現のために、齷齪する人を笑う人もいるが、同じ道を進む人は必ず共感し、協力してくれる。一番必要なものをは、その欲が強く、忠実に行動していれば得ることができる。

だからこそ、日頃の欲を自己実現の欲に捉え直すことをしたい。
今自分がしたいこと、避けていることは、将来なりたい自分からみてどう映るだろうか。
常にそれを問つづけ、自己実現の欲望に忠実に生きることが、一緒に働きたいと思わせる人間性を育んでくれるはずだから。