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十字架の呪縛

 アリスはメールの地図を見直した。地図の通りに進んできたのだが指定された場所にそれらしい建物がない。あるのはどこまでも伸びるコンクリートの壁で、肝心の聖バプティスト教会は影も形もなかった。注文品のウィスキーを抱えたまま途方にくれた。今の時代に最先端のアンドロイドが道に迷うことがあるとは思わなかった。

 アリスは普段シベリア奥地でバーを営むアンドロイドだ。バーで提供する酒類はたいがい電子酒で仕入れの必要はない。どういった訳かアリスのところに厄介事を持ち込んできた者は、お詫びのつもりか本物のウィスキーを置いていく。だからシベリア奥地でもウィスキーが不足して困ることはない。

 ただ時々、気に入った出物があると仕入れで街に出る。電子ウィスキー全盛のこの時代でも本物は需要がある。

 また街に出た時には注文されれば酒を配達することもあった。今回の客もまた、ついでの時でいいという条件でアリスにウィスキーの配達を依頼していた。

 ところがいざ地図情報の通りに来てみれば、そこあるのは壁ばかり。依頼人には連絡がとれず、入口らしきものも見当たらない。誰かに尋ねようにも少し先にみすぼらしい身なりの老人が一人、壁にもたれてだらしなく座っているのが見えるだけだ。左右に広がる灰色の壁を見つめてアリスはどうしたものかと思った。

 ここへ来るまでに何回か警官を見かけた。法に触れる事はしていないが、できれば彼らとの接触は避けたい。彼らがアリスを毛嫌いしているのを知っているから。何かのついでという事だし、今回は出直そうと考えていると、いつの間に近づいてきたのか、みすぼらしい身なりの老人がアリスの顔をにやにやと見ていた。

「あの、この辺りに聖バプティスト教会があると伺って来たのですが、ご存知ないかしら。地図の通りに来たのに見つからなくて」

 アリスは尋ねてみたが老人は相変わらずにやにやとしている。

「知らなければいいんです。出直して来ます」

 アリスが礼を言って帰ろうとすると、目の前にすっと手が突き出された。これは情報の見返りが欲しいということか。もちろんそうに決まっている。

 老人はアリスを上から下まで品定めするように見ると、何かを思いついたらしく手のひらを打った。そして汚い上着から空の小瓶を取り出した。アリスの持つ荷物に何かの匂いを嗅ぎつけたのだ。

 アリスはやむなく荷物からウィスキーを一本取り出すと、封を切ってボトルについでやった。

 ウィスキーは『エライジャ・クレイグ スモールバッチ』。バーボンの父と呼ばれるエライジャ・クレイグ牧師に因んだウィスキーだ。濃厚なブラウンシュガーのような甘味な味わいが特徴だ。今回の依頼人は聖バプティスト教会の牧師だからぴったりの一品である。

 アリスがウィスキーを注ぎ終えると老人は目を細めて喜んだ。老人がどのような立場かはわからない。検索してもID登録がないところを見ると、人類総ID化に反対して社会から弾き出されてしまったのだろう。こういったIDを持たない人々は一定数存在するが、強制的にレイヤーアウトとなり誰からも相手にされなくなる。そうなるとその日を凌ぐのにも苦労する。

「すまんな。これで一日生きていける」

「どういたしまして。食べ物も持っていたらよかったのだけど」

「何、いいさ。こいつに勝る恵みはない。ところであんた教会を探していたならここにあるぞ」

 老人はそう言って壁の一部を押した。するとコンクリートの壁が変化して隠し扉が現れた。

「なんで隠すのかしら」

「さあな。後ろめたいことでもやっとるんじゃろ」

 老人は扉を開くとアリスを待たずにさっさと中に入っていった。

 扉を抜けると狭い広場があり、その先に小さな教会が建っていた。長年手入れもされていないのか、うらぶれた感じがする。正面扉に施された装飾に溜まった汚れが、人があまり出入りしていないことを物語っていた。

 老人に続いて小さな礼拝度に入ると十脚ほど並べられた長椅子の奥に、十字架を背負うキリスト像が祀られていた。白い陶器製のキリスト像は悲しみをたたえている。

「ようこそ聖バプティスト教会へ」

 暗がりからグレゴリー牧師が現れた。やさしい眼差しとダークブロンドの豊かな顎髭が魅力的だ。

「こんなに早く持って来てもらえるとはありがたい。今日は特別な日なのでね」

「あら、それはよかった。何のお祝いかしら」

 グレゴリー牧師は黙って微笑んでいる。

「仕入れのついでですから、お気になさらず」

 アリスはウィスキーを指定された場所に置きながら尋ねた。

「それにしてもどうして隠し扉なんかにしているのです?」

 グレゴリー牧師はばつが悪そうに笑った。

「いや、政府とは折り合いが悪くてね。聖バプティスト教会レイヤーを申請していたんだが、一宗派を特別扱いはできないって言うんで、提訴したら決着がつくまで慣例に従いレイヤーアウトさせられてしまったのです。ただでさえ信者が減って資金繰りが大変なのに、実費でレイヤー登録なんかできません。物理レイヤーだとどんなごろつきがやって来るかもわからないから……」

 そこでふと、アリスを見てグレゴリー牧師はまたばつが悪そうに笑った。

「すみません。あなたも物理レイヤーの所属でしたっけ」

「我々は機械ですからレイヤーという観念はありません。お気になさらず」

「それにしても嫌な時代になったものです。今ではみんなが神と崇めているのは人工の月だ。信仰はどこへ消えてしまったのやら」

「それって通商連合が建設したジュノーのことですか。たしかにその能力はずば抜けていますが、信仰の対象になるものでしょうか」

 ジュノーは天空に浮かぶ直径20キロメートルのサーバ衛星のことだ。人類総ID化に伴い、全ての人類の行動ログ管理と、あらゆる機器の生産から運用までの管理を行なっている。そしてジュノーの操作権限を持っているのは、政府アシストコンピューターのアテナスだ。世界はコンピューターに支配されたに等しいが、バイオチップを埋め込んだ人々は最早コンピューターなしでは生きられない。そしてその世界に反対した人々の末路がこのうらぶれた聖バプティスト教会や、長椅子で熱心に祈りを捧げる老人だ。だが、こういった人々にアリスがしてやれることは何もない。

「よう。こんな場所で人殺しが何してるんだ」

 振り向くと礼拝堂の入口に二人の警官が立っていた。

「ここは神聖な場所だ。おまえのような人殺しが来るところじゃないぞ」

 アリスはかつて自分の設計者であるクエーカー博士を殺した。なぜならそう設計されていたから。クエーカー博士は独自の論理で、己の精神を機械に融合させるためには、その機械によって命を絶たれる必要があると唱えた。そしてアリスに実行させた。クエーカー博士自身の命令によるものだったため、アリスが殺人罪に問われることはなかった。だが、人の感情はそれで収まるはずもなかった。

 アリスは黙って彼らの横をすり抜けようとした。だが一人が道を塞ぐ。

「次は誰を殺すんだ。この人殺し野郎が」

「通して下さい」

「そうはいかない。ちょっと貴様に用があってな」

 次の瞬間アリスの視界が真っ黒になった。後ろからグレゴリー牧師が対アンドロイド無効化銃を押し付けていた。

「ようこそ聖バプティスト教会へ。ついに罪深い機械を神の御前に引きずりだせる。今日は本当に特別な日だ」

 気がついた時アリスは暗い小さな部屋にいて、十字架に磔にされていた。ぐるりと巡る壁一面に蝋燭が灯され、炎に合わせて怪しい影が揺れた。無力化タブを付けられていて手足に全く力が入らない。ダウンしている間に集まったらしく、部屋には10人ほどの人が集まっていた。警官も数名いた。グレゴリー牧師はにやつきながら隅の椅子に座っている。だらりと下げた手にはアリスが持って来た『エライジャ・クレイグ』の瓶が握られていて、もう半分ほど無くなっていた。

「ここはトイボックスと呼ばれる地下室だ。お前のために様々なおもちゃが用意してある。さあ、どう料理されたい」

 一番手前にいる先ほどの警官が言った。警官はアリスから引き剥がした顔面スキンを床に叩きつけると、にやにや顔をしながらかかとで踏み躙った。

 誰かが火花が弾ける棒を押し付けて来た。視界にノイズが入り、サーボモーターが誤動作を起こして全身が痙攣する。

 また別の誰かが先の尖った鉄杭で突いて来た。胸部もプロテクトスキンが剥がされているため、鉄杭は金属の擦れる嫌な音をたてて背中まで突き抜けた。人々は面白がって鉄杭を何本もアリスに突き刺していった。

 そして警官が最後の武器を持ち上げた。電磁ノコギリだ。どんなに硬い金属もこれで切り離すことができる。

「楽しみにしろ。明日お前の首を科学アカデミーの正面玄関に晒してやる」

 その時だった。アリスが磔にされている十字架が振動と共に浮き上がった。人々は驚きと恐怖でざわめきたった。アリスの姿はキリストの姿へと変貌していった。串刺しのキリストが人々を見下ろしていた。

「神の館での許し難き蛮行。これ以上神をも恐れぬ行為を行うならば天罰が下ることになるぞ」

 誰かが逃げ出した。それにつられて皆が出口に殺到した。グレゴリー牧師はウィスキーの瓶を取り落とし、その場に跪いた。

「おお。神よ許したまえ」

 しばらくそうして許しを乞うていたが、やがて床に額を擦り付けたまま酔いつぶれて寝てしまった。

 そこへひょっこりと顔を出したのはみすぼらしい身なりの老人だった。

「いなくなったか。馬鹿どもめ」

 老人はアリスから鉄杭を抜き無効化タブをはずしてやった。

「ありがとう」

「あんたにゃ旨い酒の借りがあるからな」

「あなたも彼らの仲間かと思っていました」

「馬鹿いえ。こんな」

 老人はグレゴリー牧師を蹴飛ばした。

「科学と奇跡の区別もつかない時代錯誤な連中と一緒にされちゃ敵わん。わしはこう見えても科学者じゃ」

 そう言って十字架の後ろから小さな装置を外した。奇跡の正体ということだ。

「とはいえ、やっぱり人々には神が必要だ。その神はあんな屑鉄であってはならんのじゃ」

 屑鉄とはジュノーのことだろう。

「あんたにはもう少し働いてもらわにゃならん。信仰の世界と科学をつなぐ事ができるのは、その右目を持つあんただけじゃろうからな」

 確かにアリスの右目は人の想いをエネルギー場という形で見る事ができる。ただ、信仰心とはどんな形なのか見当もつかなかった。

「その目でじっくり、人類の進むべき道を見定めてくれや。何かヒントが見つかったら、その時は知らせてくれ。そうしたら」

「そうしたら?」

「また、ウィスキーをもらってやる」

 老人はからからと笑うとアリスを残して出ていった。

 アリスは背後の十字架を見た。解放された十字架のはずなのに、再び背負わされたような気がした。十字架はひどく重たげに見えた。

          終


おまけのティスティング裏話

 『エライジャ・クレイグ スモールバッチ」はバーボンの父と呼ばれる牧師の名を冠したウィスキーです。そもそもバーボンの父とはどういうことかといえば、昔は教会がウィスキーを蒸留していたのですが、エライジャ・クレイグ牧師が誤って中を焦がした樽に蒸留酒を入れてしまい、数年経ったころに開けてみると美しいルビーブラウンのバーボンができていた、という逸話によるものです。

 ところがこの逸話にはいくつか疑問点もあります。そもそもエライジャ・クレイグ牧師はバーボン発祥の地であるバーボン群に赴任した記録がないという説もあります。更にいえばたまたま焦げた樽があったり、それを何年も放置したりと偶然が重なりすぎという意見もあります。なんで焦げた樽なんかがあるのかといえば、魚を入れた後の匂いを取るためだったのではないかという話ですが、魚を入れた樽にウィスキーを入れてしまうことがあるのでしょうか。

 まあ、伝承というのはいつだって諸説あるものですが、現在のバーボンが旨いという事実は変えられません。私は『エライジャ・クレイグ スモールバッチ』を飲んだことはないのですが、いつまでも旨い本物を飲める時代が続いて欲しいものです。

 ちなみに牧師というのはプロテスタントの役職で、神父というのはカトリックの尊称で宗派によって呼び方が違うのだそうです。知りませんでした。

  

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