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箱の中の親友

 老人は静かにやって来た。昔は似合っていただろうカシミアのコートが大きく見えるほど痩せていた。そして小ぶりの木箱を大事そうに抱えていた。箱には似つかわしくない大きな鍵がついていた。

 老人がスツールに腰掛けると、暖炉の前で寝そべっていたグレイハウンドのジョーンズがやってきて脇に座った。老人が頭をなでてやると、ジョーンズはまるで前から友人だったとでもいうような顔をした。やがて老人はその手をカウンターの上の木箱にそっと乗せた。

 ここはシベリア奥地の雪深い山の中腹。切り立った岩壁にへばりつくように建てられたバーで、アンドロイドのアリスが営んでいる。こんな僻地にやって来る客は少ない。たまに来る客はなぜか厄介事を運んできた。

「ご注文は何になさいますか」

 アリスが尋ねると、老人は棚をひとあたり眺めてからある銘柄に目を止めた。『Dimple』丸みを帯びた三角のボトルで、3面に大きな凹みがある変わった形状をしている。15年熟成されたルビーブラウンの液体はすっきりと甘くスパイシーな味わいだ。

「電子ウィスキーならお安くできますが」

「いいや。あれでいい。ストレートでくれ」

 老人は一緒に出されたチェイサーの水を数滴『Dimple』に垂らすと広がる香りに満足げに頷いた。

「そのお酒がお好きなんですね。ヘイグのお酒は絶妙なバランスでブレンドされていて、とても飲みやすいと評判です」

「別に好きな訳じゃない。ただ、これじゃなきゃいかんのだ」

 何か訳がありそうだ。アリスは老人に興味を持った。

「それはまたどういった訳でしょうか。もしよろしければ理由を教えて頂けますか」

 老人はアリスをしばらく見つめた。オッドアイの機械の瞳に何かを見出そうとしているかのように。あるいはその目の奥に本当の知性があるかを見ているのかもしれない。

「ひとつなぞなぞをしようか」

「ええ、いいですよ」

「それでは」

 老人はカウンターの箱をとんと叩いた。

「この箱には何が入っていると思う。おっと、透視はだめだぞ。きっとあんたは赤外線とかも使うんだろうから。勘だけで答えるのだ」

 箱は木でできていて何の表記もない。縦がやや長めのそれはウィスキーのボトルを入れるのにちょうどいいサイズだ。

「お酒かしら」

 老人が首を横に振る。

「そんな簡単な物ではない」

「ヒントを頂けないですか」

「よかろう。私の一番大切な物だ」

 思い出の品ということだろう。ともすればどんな品だって入るということだ。ヒントにしては難しい。ただ、年齢や身なり、一人でやって来たことを考えると連れ合いとの思い出の品という可能性が高い。

「装飾品とかですか」

 老人が首を横に振る。

「私の身なりから推測しているようじゃな。だが違う。もう少しヒントを出そう。中身は死んだ私の友人に関係がある物だ」

「もしお辛いことを思い起こさせたとすれば、申し訳ありません」

「構わんよ。もう40年も前のことだ」

「ご友人のことを聞いても宜しいですか」

「ああ、いいとも」

「どんな方だったのですか」

「とても美しく、そして聡明だった。決断力があり、優しかった。ザンビア戦線で戦死した」

 40年前のザンビア戦線。アリスの記憶が蘇った。ザンビアの内戦でひどい戦争だった。いくつもの勢力が覇権をめぐって争った。通商連合軍が仲裁のために割って入ったが、停戦には及ばず泥沼化しただけだった。アリスは通商連合軍が手を引く際の後始末として派兵された。

「お気の毒です。その時の品なのかしら」

 老人の目が光る。箱の上に乗せた手に力が入り筋が浮き立っていた。考えてみれば、銃を納めるのにもちょうどいい大きさの箱だ。もしアリスが戦った相手の一人が老人の友人だったとしたら、老人がここに来た理由はひとつしかない。アリスは警戒レベルをひとつ上げた。

 老人はアリスに目を向けたまま、鍵を外し箱の蓋をわずかに持ち上げた。まだ中身は見えない。アリスは身構えた。

「彼女は、勇敢に戦い、死んだ。それだけだ。中には危険な物は入っていない。それは溢れる物だ。そして憎しみにも悲しみにも変化する物だ。分かるか」

「いいえ。残念ながら分かりません」

「だろうな。アンドロイドに分かる物ではない」

 老人は蓋を開けた。中にはウィスキーのボトルが入っていた。瓶に直接『Pinch』と記載されている。『Dimple』の兄弟酒だ。ボトルの形も味も変わらない。ただ名前だけが違う。

「こいつは彼女が私にくれた思い出の品だ。私がまだ貧乏で夢だけが溢れていたころ、私にプレゼントしてくれた物だ。当時、私は蒸溜所を作ろうとやっきになっていた。そんな私に、教会の禁を破ってまでウィスキー生産を続け、ビッグファイブと呼ばれるまでのし上がったヘイグにあやかるためにと、こいつをくれたんだ」

「そうでしたか」

 アリスは警戒を解いた。

「でも、先ほどお酒ではないと」

「酒じゃあない。こいつは『愛』だ。君らには決して理解できない物なのさ」

 老人は箱から『Pinch』と取り出すと『Dimple』の横に置いた。寄り添うように置かれたふたつのボトルはまるでこの瞬間を待っていたかのように自然で、お互いの存在を補完し合っている。どちらか一方が欠けても、それはもう不完全にしか見えない。

「どうだ。もうひとつなぞなぞをせんか」

 アリスの答えを待たず老人は勝手に話を進めた。

「愛とはなんじゃ」

 無論アリスに答えられる訳がない。

「答えが分かるまでこいつを預かっておいてくれ。もし答えがわかればその時はあんたの物じゃ」

「でも」

 老人はアリスの反論を聞こうともせずに席を立った。

「そろそろ一人は飽きた。あいつに会いに行こうと思ってな。あんたも、そう思うじゃろ」

 去ってゆく小柄な老人は小さくは見えなかった。まるで気軽な旅行にでも出かけるような足取りで出ていった。アリスに老人を止めることはできなかった。

          終


おまけのティスティングノート

 今回のお話では二種類のヘイグが出て来ます。『Dimple』と『Pinch』です。どちらも丸みを帯びた三角ボトルで3面が大きく凹み愛嬌があります。違うのは名前だけで『Pinch』はアメリカ販売用に付けられた名前だそうです。その名から分かるように『掴む』の意でボトルの凹みは掴みやすいようにデザインされています。もちろん『Dimple』は凹みのことですね。

 本文でもちょっと触れましたが、ヘイグ家がウィスキー作りを始めたのは1627年で400年近く前です。名門中の名門ですね。生産を始めたのはロバート・ヘイグ氏で当時教会の教えに背いて安息日にも工場を動かしていたため、教会と揉めてしまったこともあるそうです。17世紀に教会に楯突くなんてかなり尖った人物と見受けられますが、彼が作り上げたウィスキーはマイルドで万人受けする味になったところが面白いですね。

 さて、本編では『Pinch』は老人の心の支えであり、目標でもあります。その『Pinch』がアリスにとっては別の意味にもなっています。現代のAIはまだまだ言葉の意味を理解するには及びませんが、いつか『愛』を理解する日もやってくるのでしょうか。そんな日がきたら私たちにはピンチかもしれませんね。


 

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