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本屋のアルバイト、初めての

 初めてのアルバイトは遥か昔のこと、本屋だった。実家の近所にあって、もう潰れてしまった。その店は三階まであり、一階は雑誌と文庫、児童書に実用書、二階はコミックと文具、三階は学参に専門書が置いてあった。
 その店には小学生の頃から通っていた。学校への通り道だったし、たしか近所の大学に受験しにいった日も試験を受ける前に寄って漫画を買った(そのくらいいい加減に受けたせいか、そこの大学には思いっきり落ちた)。
 店の人とも顔馴染みになっていて、大学入学を機に「働けば?」とスカウトされた。おかげで面接もなかった。大変ありがたかった。
 最初の大学はぎりぎり滑り込みで受かった夜間部だったので、昼間にそこで働いていた。荷物を出したらレジでだらだらしていた。いかにも街の本屋、という感じで呑気だった。呑気すぎて朝起きることができなくて、遅刻しまくっていた。商品をあける作業をよくサボった。その節はすみませんでした。


 そのとき、芝居にかぶれていて、好き勝手に休んだりしていたが、とくに大ごとになるわけでもなかった。家族経営プラス昔からの従業員という形態だったからだろう。環境に甘ったれたままだらだらと働いていた。
 勤めてから5年たったときのことだ。その間に自分のほうは祖母が亡くなったり大学をやめたり二つ演劇の養成所を卒業したりした。二十代前半というのは賑やかである。閉店が決まった。
 自分も二十代中盤で、そろそろなんとかしなくてはなあ、と思ってはいたところだった。とはいっても、多分舞台のほうで芽が出るような兆しはいっさいなかった。このままだらだら過ごすこともできないだろう、選択せねばならないときがきた、といつもよりは少々真面目に考えているときだった。
 その頃からずっと小説は読んでいたので、まあいずれ書かなくちゃなあ、と漠然と思っていた。でも日芸落ちたしなあ、小説を読んではいるけど書き方とかわからないな、自分の書いたものが本になる、とか妄想はしていたけれど、それが現実化するようにもいまいち感じられなかった。さすがになんとかしないといけないな、と思いつつ、「勤めていた職場が潰れる」という外の出来事にぽーんと投げ出された格好だった。


 知り合いの紹介でお化け屋敷のおばけ役をやってみたり(あれは面白かった)、細々と短期のアルバイトをしていたのだけれど、結局また別の本屋でアルバイトをしたりしながら、だらだら二十代を過ごした。さてこのままなんでもないやつとして生きてくのか、さすがにやばくなってきたぞ。カウントダウンだ。というときに大学のパンフレットを見かけ、二十代ぎりぎりで大学生になった。いちおう文芸学科を卒業して、紆余曲折あって小説家になった。大学で学んだおかげです、と言ってはいるが、あの本屋のレジで、だらだらと読書をしていたことが、自分を小説家にしたのだろうな、と思う。あの本屋で本を買い、読んで、働いて、読んで。


 そういう場所がなくなってしまったのは悲しい。いちおう今も、その書店は移転して小さく営業しているのだけれど、もうあんなふうな場所ではない。たまに顔を出してみても、いまいち馴染まない。
 僕がその最初のバイト先の本屋で働いているときから出版不況は嘆かれていたが、店主が土地持ちでビルの地下を飲食店に貸していたのと、近所の教科書を販売していたからか、悲壮感はあまりなかった。それもよかった。いや、ただのアルバイトだったから見えていなかっただけかもしれない。大人たちがなんとか運営してくれていたのだろう。
 いまその場所はカラオケボックスになってしまっている。
 あの本屋がまだ残っていたら、いまでも働いていたかもしれない。さすがに昔みたいにいい加減に務めることはできないだろう。
 生きてきて、人と出会ったり別れたりして、ずっとそのままであることを人は夢想するけれど、場所だって、永遠ではない。自分も年をとっていくし。当たり前だけど、寂しい。
 どこかであのビルで、あの頃のいつものメンバーが働いていたらいいな、と思う。頭の中だけでなく、現実に、どこかで。

#私の仕事

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