【試し読み】「私の北海道の味」アサウラ
みよしのだ。そう、全てはみよしのなのだ。
道民(特に札幌周辺)であれば今更説明する必要はないが、一応補足すると、ぎょうざとカレーのファストフード店であり、正式名称を『さっぽろみよしの』という……らしいが、そんな些細な問題などどうでもいい。
とりあえず北海道内で「みよしの」と一言口にすれば、おおよその道民なら「なるほど、お前は今カレーとぎょうざが食べたいのだな。ならば、この道を二〇〇キロぐらい行くといい。そこにお前の求めるものがある」といったノリで、スムーズに話が進むことだろう。
私はここの『大盛ぎょうざ定食』が大好きだ。カレー系のセットももちろんいいが、ぎょうざをシンプルに、そして集中的に楽しむならこのセットだ。
大きめのぎょうざが九個に、盛りのいい白い飯、味噌汁、お新香……必要なものを必要なだけ、不要なものは一切ないというその構成はある種の美しさすら感じさせる。
それが黒いお盆に載せられて私の前に降臨すれば、テンションが上がらないわけがない。空腹かどうかなどもはや関係ない。気が付けばぎょうざのつけダレを用意しつつ箸を手にしていることだろう。
そこから先はもう自動だ。手にした箸は己の仕事を知っている。
細かく刻まれたキャベツのお新香をまず摘まみ、食事という名の開戦の狼煙を上げる。その清々しい塩味とシャキシャキとした軽やかな食感により食欲を刺激した後、箸は誰に命じられることもなく、当たり前のようにメインたるぎょうざに向かうだろう。
出来たてで未だ音を立てるぎょうざの焼き目。そいつのカリッと感は口にするまでもなく、つまんだ箸の先から笑いが漏れる程に伝わってくる。
こんな素敵なぎょうざがタレを纏った後に向かうのは、左手に持った白銀の飯の上。そこに、ワンクッション。生まれるタレと油の染み――それはまさに汚れを知らぬ誰のものでもなかった未踏の大地に国旗を立てるが如き行為であり、この飯が我が物であると宣言するものだ。
さぁ、準備は整った。
もはや神でさえ介入を許さない絶対の時間。
口は自然と開き、ぎょうざはそこへ意志を持つが如く飛び込んで来る。
歯で味わう焼き目のカリッと感。そこから間髪入れる間もなく、ぎょうざの内から来たる熱い汁の奔流。
肉汁や野菜の水気、油……渾然一体となったそれはかなりハード。だが、それがいい。そうでなくては! 火傷すら愛おしくなる瞬間だ。
そこに逡巡なく叩き込む、飯、飯、飯、そして飯。
やはりこちらも熱々だが、それがいい。……いや、そうでなくては!
リスのように頬を膨らませる程の飯とぎょうざ……それを存分に咀嚼し、味わえば、みよしのの店内はすでに天上界にしか見えなくなっていることだろう。
だが、これで終わりにするのはまだ早い。最後に、味噌汁だ。
口にまだ残っている段階で、味噌汁を啜るのだ。さすれば幸福度はピリオドの向こうへ到達する……というか、ここまでやってしまうと味噌汁でも飲まないと喉が詰まってガチで天上界に行ってしまうので、忘れてはいけない。
そして口が空になれば、またお新香でサッパリとして、また次なる戦いへ……。
最高の満足感がそこにある。
我々が望んだ全てが、そこにはある。
それが……みよしのなのだ。
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※試し読みはここまでです。
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