良い動画「CM」福岡伸一氏、ただ、積み上げ式の科学で世界を覚知しきれない事も述べている

このところ、興味深い生物学の有名な「福岡伸一」氏の、知恵の学校をYoutubeで拝見していた。生物学というより「生命論」に近づいているのが現時点での理解だ。「動的平衡」はそういうそのような分脈だろうと思う。

ただ、私にとっては立場上、あくまで参考資料的な研究成果だ。ご本人が、自ら確認されているのだから、その通りだろう。

「研究者は、その研究に絶対性が存在するより、研究するほど「未開の課題があらわれる」のが科学の性質であり、そのため研究者は「必然的に謙虚な態度」になるのだ」という趣意の発言をほかの講義でされている。つまり信頼に値する研究をされていると確認できるのだ。

つまり、すべての科学研究分野は「解明しきれない可能性を含んでいるのが前提」だということだ。したがって、その論説の有効性を認めるものが多くとも「参考資料」の域をでないのだ。



※失礼であるとか外野が言い出したらそれはもはや「研究者」を「センセイ稼業扱い」しているという意味で、盲目的なファシズムの支持者と変わらない。


近い世界では、医師にたとえるならわかりやすい。
「経験豊富な診療所(クリニック)の医師は、より多くの事例や現象に対応しづづけているから、論理的な学究的研究の大病院より、ある閾値までは手早く的確で、しかも理念や志しも強い傾向にある」※医者にかかった体験上。

大病院の椅子にのけぞりかえっている医師に診てもらう度に、なぜ?この若者は先進的な機材を使える立場にありながら、基本的な診療すらできないのか?という体験を何度かしている。※アラフィフの一般人の感覚から言っている。


いうべきことを云うなら、医師にも研究者にも「質の違い」が、その「理念」のレベルの違いによって、立ち現れるのだ。だから、テレビに出る医師を見ていて、どのような発言をするのか?また、有名な専門家ほど「権威的」なのか?

それをしっかりと見定めないと、「専門性があるが、理念がない半端な専門家」か、「理念があり、自らの専門性の範囲を自覚してエスカレーションできる医師」のように、専門家の分野の態度を注視して、それを元に良い医師を探したり、研究者を探したりする事が求められるのだろう。


こと、様々なメディアが混乱状態でファクトチェックも困難な今の時世にあっては、メディアに出現する「コメンテーター」なんてものも、よくよく見定めないと「胡散臭い連中」の方が圧倒的に多いカオス状態にテレビから、ネットニュースまで、浸食されているのが実際だろう。


多く見た中で、福岡氏の研究は科学分野で相当に一般から見て、参照に値する研究だと理解できる。だから、「次の価値を表現することを目指すもの」として、その参照先として有効な研究者で、敬意をもってその研究成果やプロセスを尊重できるのだ。


つまり、専門家ほど「参照する世界の価値観や実際の体験・経験」を豊富に持ち合わせ、専門分野だけしか分からないという態度に陥らない事が肝要だろうと云えるのではないか?

「所管外なので答弁を差し控える」という、ひとを信用しろと云っても無駄だというわけだ。※河野太郎がいい例だ。