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尼門跡を巡る その4 三時知恩寺1

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 三時知恩寺(さんじちおんじ)は、京都市上京区にある浄土宗の寺院。

 後光厳天皇の皇女見子内親王(けんしないしんのう、あきこないしんのう)が、泉涌寺を開山した俊芿(しゅんじょう)が宋から持ち帰った善導大師の自作御影像を、宮中から譲り受け、居住していた入江御所に安置し、朝夕に拝したことが三時知恩寺の始まりとされる。入江御所は、元は、見子内親王の伯父にあたる崇光天皇が所有していた御殿で、西洞院一条通あたりに位置していたと考えられている。

 その後、室町幕府三代将軍足利義満の娘、覚窓性仙尼(かくそうしょうせんに)が入寺し開祖となり、室町時代を通じて、崇光天皇の子孫にあたる伏見宮家の王女たちや足利将軍の娘たちによって継がれた。

 桃山時代以後は、摂関家である近衛家によって守られ、後西天皇の皇女や閑院宮家の王女も、近衛家の猶子となって入寺している。なお、応仁の乱のころ、寺は現在の上立売町(上京区)に移されたが、その西側に面するように近衛家邸宅の一つ、桜御所があった。

 三時知恩寺という名前は、後柏原天皇より、宮中で毎日行われていた六時勤行(六時勤行。一日六回の念仏読経)のうち、昼の三時(山塊)の勤行はこの寺で行うようにとの勅命を受けたことによる。なお、入江殿という御所名のほうがよく呼び習わされており、明和元年(1764年)に『入江御所』の号を賜った。


 空いていたカフェで昼食をとってから、三時知恩寺に行きました。

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 門をくぐると、「白い砂の上をお進みください」という手書きの看板。

 ずいぶんおおらかだなと思いながら、白い砂を踏みしめながら入り口を入りました。

 ここは、ずいぶんと活気がありました。学生のガイドさんも熱心に説明してくれたし、受付の中に何人も人がいたし。後から知ったのですが、ちょうど善導大師忌の日だったそうです。善導大師というのは、唐の浄土教を広めた高僧だそうです。この日まで全く知りませんでした。

 ここのお寺は、ちょうど7年前に来たことがあります。

 この時は父と一緒でした。

 いい文化財はあるけれど、とにかく建物が傷んでいて、なんだか放っておけないお寺だと思った覚えがあったのです。

 あと、その時御朱印いただいていなかったので、ついでにそれもいただいてこようかと思ったのですね。


 まずは、本堂。

 七年前にも飾ってあった狩野永納の『梅椿岩桜流水小禽図』屏風が飾ってありました。七年前も今回もメインで取り上げられるほど美しい花鳥画です。

 床の間には、どこかで見たことのある尼僧の肖像画がかかっていました。

『尼門跡寺院の世界』展の図録で見た、久山昌隆尼(きゅうざんしょうりゅうに)像でした。三時知恩寺の中興で、近衛前久(このえさきひさ)の娘にあたる方だそうです。

 毎年3月14日のみ御開帳される善導大師像も、今回の京の冬の旅の期間中特別に公開されているんです、とガイドの学生さん。

 ここのガイドの方はとにかく熱心に説明してくれました。さっきの光照院とはえらい違いです。屏風のことも、畳の縁の種類のことも、本堂の片隅に安置されている近衛家の女性たちゆかりの阿弥陀如来像のことも、丁寧に説明してくれました。説明の内容をほとんど忘れてしまったのが申し訳ないです。

 善導大師像が御開帳されている内陣のそばでは、尼僧の方が参拝客の頭に何か棒を当てて、

「南無善導大師」

 と唱えていました。

 ……あ、これ、ちょっとやってもらいたいかも。

 でも、ひっきりなしに人が続く。本堂狭いから、列に入るのも難しそう。

 仕方ないので、ひとまず、書院に移動することにしました。


参考資料
 「第54回「京の冬の旅」非公開文化財特別公開ガイドブック」(公益社団法人京都市観光協会)

 「尼門跡寺院の世界――皇女たちの信仰と御所文化」(発行:産経新聞社)
(編集:中世日本研究所、東京藝術大学大学美術館、産経新聞社、福本事務所)
(執筆:パトリシア・フィスター、モニカ・ベーテ、花房美紀、古田亮、横溝廣子、山川暁、真鍋俊照、羽田聡、田中正流、ローリ・ミークス、西山美香)


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