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看護学専攻の私が医師になることを選んだ経緯

医学の世界。

そこは確かに私の憧れだった。

それなのに、いざ自分がその場に身を置くとそれまで煌々としていたものがぱっと消えてしまう感じがする。

憧れを憧れのまま抱き、歩もうとしていた道を見失わず、いつでもわくわくしていたいから
自分がこの道に進むこととなった経緯を記しておきたいと思う。

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まず念頭には、

「緩和ケアに携わりたい」

という強い思いがある。

これは大学5年間で片時も譲らなかったことだ。

その為に動き、学び、研究した。

"学び"の部分では、EU圏へ緩和ケアの基盤となる哲学を学ぶため派遣留学をさせてもらった。
自分の前世はここだったかもしれない(というより確実に近い)と、狂おしいほどに自分の呼吸と合う環境で、大学卒業後はこっちで生活したいとまで思い始めていた。

大学では看護を専攻していたので、
ここで生活するには看護師として働くことも考えたが、この麗しい街に恥じないよう高みを目指したい!と思いその地の医大を目指すことになった。(勿論、看護師=恥じということでは毛頭ない。私は看護職をこの世で二番目*に尊いものだと思ってる。自分の立ち位置がそのままの状態=恥じ という意だ)

そう、"この街"というのが最早自分にとって恋人のような存在として心ときめいていた時期(そして今でも)

加えて、この街にどきどきするのと同じくらい、
医学の道を歩むことに胸高鳴っている自分がいた。

それは私が崇拝しているシシリー・ソンダース女史もまた看護師→医師となった経歴を持っていたからだ。

彼女の功績は近代ホスピス運動に始まり、現在は当たり前のように使用されているWHOがん疼痛緩和の基盤を確立させ広めたこと。そして、当時ほとんど認識されていなかったスピリチュアルな痛みへのケアについてその必要性を説いた人。

まさに、看護師としてだけ、医師としてだけというのではなく、その両職を経験したからこその業績だ。

私は緩和ケアに興味を持った時からずっと彼女のような人を目指したいと思っていた。

自分も医師となったら彼女に近づけるかも...

そんな淡い思いが段々と膨らみ、

何がなんでも!と異国の地で派遣留学生をしつつがむしゃらに受験勉強に手を出し始めた。

そんな矢先、あるニュースを受験掲示板で見つけることとなる。

⁃ (政権交代によって)今年度より医学部への受験はEU圏外の学生認めず

それまでは毎年EU圏外という合格者枠があった。
だから背伸びしてでも頑張ろうと思っていたのだ。

まさか自分がこのような形で異国の政治に踊らされることになるとは.... 

外は小春日和で一年で一番いい季節、留学生活にも慣れて楽しい思い出も沢山できた時期だったが、このニュースが心にガツーンときて苦々しい思い出も入り込んでしまった。

これが一つ目の医学生への道を考えたきっかけであり、一度諦めることとなったターニングポイントである。

桜の如く僅かな夢を残して散ってしまった。


そして夢を見すぎたことで撃沈を食らった私は、人生プランを大きく変更することになる。
帰国

卒後、数年間のがんセンターでの臨床経験

緩和ケア専門のコースがある大学院進学

研究者 という極めて現実的なものにした。

日本には残念ながら緩和ケア専門の大学院はないが、自分が留学していた国にはある。
これならまた、数年後にかの地に戻れる!
それもステップアップした状態で!
そして研究者として力をつければその地で働ける!シシリーのように緩和ケアに貢献できる!
こんな未来を描いていた。

だが、予想外にもはじめのステップでこの計画は崩れてしまったのだ。
番狂わせが面白いにも程がある。

そもそも緩和ケア看護学の研究の道に進もうとしていた私は、看護師としてバリバリ働くイメージを持っておらず「この病院で働けるなら臨床やってみようかな」くらいのモチベーションしかなかったので
志望病院で働けないことがわかった時点で上記のプランを白紙にすることとなった。(看護学系大学院は臨床経験ありきの場合がほとんどであるから)

もしもの話ではあるが、
看護師として働くことに情熱を持っているタイプであれば何度も色々な病院にトライしていたことと思う。

だが、私にはその熱量、それに体力がなかった。

また、ここで「日本で医師となる」ことを考えなかったのは、日本の医学部は入試という壁が非常に高いからだ。

「緩和ケアはやりたい、そして留学先にも戻りたい、でも(志望病院以外の場所で)看護師として働く未来が描けない。こっちで医学科受験なんて夢のまた夢だ」

書いていて自分の我儘さに悲しくなるが、全てはここから始まったように思う。

これが2つ目の大きなターニングポイントだ。


さぁどうする?となった時、あらゆる人に相談させてもらった。

ゼミの教授、かかりつけの主治医、その紹介の緩和ケア医、etc

どの方も親身になって話を聞いてくださり、本当に感謝している。
今後の人生に迷い、少し挫けていた時期でもあったので心身共に支えていただいた感覚に近い。

特にかかりつけの主治医から言われた一言が効いた

「もっと視野を広く持つのよ。

看護から離れてみるといいわよ。

そうね、医学系研究**の道も考えてみたら?」

所謂王道のキャリアプラン(臨床経験→大学院→研究者)しか持っていなかった自分にとって、先生の提案はとても斬新に思えた。

医学系研究**というのは自分のバックグラウンドとはかけ離れていたため、まだ夢物語のような気分ではあったが
これを機に(日本に帰国し現実志向となっていた私が)看護師としてのレールを引かない選択をもう一度考えるようになった。

そして、次にその主治医に紹介していただいた緩和ケアのP教授からの一言も同じくらいの威力を受けた。


「君の顔が 違う と言っている」


これはこのままだとさっぱりなので説明させてもらう。
主治医から「実力はある子なんだけど将来に迷ってるから相談に乗って欲しい」という趣旨でP教授が私の相手をして下さることになったのが始まりだ。

主治医の粋な計らいで、会ったこともない教授の部屋に招かれることになったため、スーツでびしっと決め汗びっしょりびびり倒しながら秘書さんについて行ったことを覚えている。

お会いするや否やP教授は人類学から栄養学、そして医学に至るまで実に幅広い話題を繰り広げた。
体感では2000年くらい過ぎたように感じたが、実際には1時間程が経っていたように思う。
そしてついに「緩和ケア」の話題になると、
私にある提案をして下さった。

それは、P教授の知り合いの他大看護系教授の老年看護ゼミ(院進学)を私に紹介し、何かヒントを得るというものでその場で電話し始めたのだ。

結局、その電話は先方がお忙しかったようでお出にならなかった。

そして、コールが切れた後の言葉が上記のもの。

この時のことを振り返ってみようとしても上手く思い出せなくて歯痒く思う。

ただ確実に思い出されるのは、P教授の上記の言葉と、その時が私自身が看護ではなく医学の道に進もうと至った瞬間であったこと。

今予測すると(過去のことを予測とはおかしな話だが)、P教授が多種多様な話をして下さったおかげで自分が本当にやりたい、興味のある分野を絞ることができたのだと考えている。

それは、看護学ではなく医学だった。

そしてまた、留学時代に「医師になるぞ」と心に決めたあの時期に、自分が医師になったらこんなことあんなことができる/してみたいと自由に思い馳せときめいていたことが、この機に及んで蘇ったからなのだとも思う。

帰り際、
「せっかく生かされた命、他に活かしたいもんな」と
肩を叩かれたことが文字通り(受験期突入への)後押しとなった。

これが3つ目のターニングポイントだ。

こうして私は医学科受験を卒後の中核として考えるように至った。

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まとめると、

留学先の医大に行こうとし、この時医学への意欲が芽生えるも受験強制中断

帰国後、頭を冷やし看護師として働こうとするも不可

周囲からの助言により、日本で医学科へ行くという道開く

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自分で事の経緯を語ろうと決めた。
にも関わらず、あまり理路整然とせず将来の自分に不甲斐なく思う。

当初予想していた程には心がすっとしないが、人生の選択とは案外不明瞭で感覚的な部分が大きいのかもしれないとも思う。

少なくとも自分の場合は。

しかし1つ言えることは、

好きなこと、やりたいと思えることにその時々全力投球してきたことだ。

一つ一つの瞬間を細切れに見てみると、あっちにこっちにふらふらな状態に思えるかもしれないが(実際母にはそう思われてる)、

自分の中にはずっと「緩和ケアがやりたい」「かの地に戻りたい」という2つがあった。

勿論、今後の環境によって上記2点は変わるかもしれない。

例えそうなったとしても、やりたいと思えることに素直な自分でいたい、いつでもわくわくできることを見つけていきたい、そしてそれを大切にしていきたいと強く思う。

これから私が踏み入れる世界は、きっと考えているよりもずっと広く深い世界だ。

一つのことにこだわるのは弊害にもなりかねない。

だから、この恵まれた機会を存分に活かし、かみ締めながら新しい世界を楽しんでいけたらと、そう願う。


2020/04/15

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*私がこの世で一番尊敬しているのは宝塚の演出家である。一度に多くの人の心を癒し、後世に継承し、また新しいものを生み続ける想像力と熱量、そして宝塚そのものにかける愛の奥深さには本当に感服する。

**看護学研究も広義では医学系研究の1つだが、ここでは基礎系の医学研究の意

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