不理解の当事者
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不理解の当事者

きたくん

僕は高校1年生の頃に統合失調症のような(専門家の方の診断を受けたわけではないので明言は避ける)症状に悩んでいたことがあって、ついには命を絶つことを考えるまでに参ってしまった。その経験から学校や社会への不適応に関心を持つようになったのだが、最近

「自分以外の人にとって社会生活の中でバリアになるものの多くが見えていない」

と感じることがある。これまでにも精神疾患の当事者にとっての理解者になりたいと思うことはあっても、発達障害や身体障碍といった別の不適応のきっかけについてはどこか他人事として捉えていた。

世界に目を向けるといろんなバリアを感じている人達がいて、今日も理解を広めようと声を上げている。

しかし、自分に見えていないバリアをはたしてどれだけの人が心に留めることができているだろうか。

はたして性的少数者について理解を広めたいと思っている人は必ずしもADHDやトゥレット症候群について理解しようと努めることができているだろうか。

もしかしたらそういったバリアによる生きづらさを経験した人ほどニュートラルに考えることができていないということはないだろうか。

ここからが本題だが、バリアの種類だったりその程度を考えると、その形はたぶん人の数だけ存在して、一つ一つについてちゃんと知って深く理解するのは不可能に近い。

それゆえに、僕たちは全員が不理解の当事者として生まれたと言えるのではないだろうか。

だからこそ、より多くの人の理解者になるためには、「自分は理解しているつもりだぞ」というより、常に「100%は難しいと思うけど、あなたを理解したい」というスタンスで全ての人に向き合うことが大事なのかもしれない。


ましてや生き方や考え方の多様性を認める社会ともなると、悩みもいろいろ出てくるだろう。理解したりされたりっていう関係に一層注意を払わないと、全員が少しずつ孤独になってしまう。

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きたくん
苦しみとか孤独とか愛について考えたことを書きます。19歳の大学生。