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宿題は必要?

「宿題」という言葉が嫌いです。
私、4月から6月の間はIT企業の新人研修の講師をしています。
その中で、今年実施したカリキュラムの中に「宿題」が組み込まれていました。
そこにすごく違和感を感じました。
そこで今回は宿題というテーマで色々考えてみました。

まず、なんで宿題というものに違和感を感じたのかを考えてみました。
おそらく、やらされている感が強いからだと思います。
なんというか、「社会人になってまで宿題?」という感覚がすごく強かったです。
(結局、決まってしまったカリキュラムは変えることはできないので、実施しましたが...来年はなくしたい。)
私自身が新入社員だったころにも、新人研修ありました。
しかし、その中で「宿題」はありませんでした。
私自身は、宿題がなくても、家に帰ったら自分で購入した本を読みまくって勉強していたので、必要性を感じませんでした。
逆に宿題を出されていたら、モチベーションが下がって自分で勉強する時間は減っていたのではないかとも思います。

基本的に人間は自発的にやろうと思ってやったことの方が大きく成長できます。
人からやらさせてやっているものに関しては、成長の幅はそれほど大きくないでしょう。
ですが、宿題というのは基本的に勉強を強制的にやらせるものなので、成長に関してあまり効果はないように思います。
特に、自発的に勉強することができる人にとっては、時間やモチベーションの観点からは逆効果になる可能性も高いように思います。
なので、私は宿題が嫌いです。

ただ、中にはプライベートな時間で自発的に勉強することが苦手な人も一定する存在するのも事実。
そういう人には「宿題」という課題を与えることで、プライベートな時間での勉強の機会を与え、成長のチャンスを与えるのも一つの手段だともいえます。

新人研修の場合、自分で勉強できる人には宿題は不要でしょう。
自分で勉強するのが苦手な人には、勉強方法についてその人に合ったアドバイスをして、レベルに合わせた課題を与えれば良いかと思います。
新人研修に関してはこれが結論。
義務教育に関しては私は専門じゃないので何とも言えません。
勉強の土台、そして社会に出て生きていくための土台を作るうえでは案外大事なのかもしれません。
ただ、宿題の内容を一律にするのではなく、個人のレベルや勉強へのスタンスに合わせて宿題の有無や内容を最適化していく必要はあるように思います。

私の個人的な考えとしては、宿題の存在意義はその人が自発的に勉強する人になるための気づきを与えることだと思います。
人から課題を与えられなければ勉強ができない人というのは、いずれ成長のスピードや伸びしろに限界が来ます。
根本的には、自発的に勉強することができる人にならなければ学校を出た後に有意義な社会人生活を送るのは難しいでしょう。
なので、学校のテストで問題を解けて点数が上がるようになるための宿題はおそらく不要で、勉強というものに対して自分自身で考えるきっかけを与える宿題が必要であると思います。

まとめ
・自分で勉強できる人には宿題は不要
・自分で勉強できない人にはレベルに合わせて最適化した課題を与える
・最終的には自分で勉強できる人にするためのツールとして宿題を活用する

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