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週刊「外国人就労関連ニュースまとめ」(20.11.8-20.11.14)

ベトナム人逮捕のニュースが報道されない日が無い昨今ですが、あまりオオッピラに指摘されていないことを申し上げると、彼らの罪状は概して「入管難民法違反」なんですよね。豚を盗んだ疑い、果物を盗んだ疑い。って記事見出しがアピールしてくるテキストをしげしげご覧ください。面白いぐらい、逮捕の事由が在留資格関連なの。
いや、いいんです、在留資格で定めらた期限が切れているのに国内にとどまっているのはあきらかな違法行為ですし、その間の行動が我が国の法に照らし合わせ認められないものなら、すみやかに罪をつぐなってもらうしかないわけで、その判断軸を変える必要があるとは私も思いません。
とはいえ、たとえばこの記事。

佐野市内の果樹園で高級ブドウ「シャインマスカット」を盗んだとして県警捜査3課などは11日、群馬県大泉町西小泉、ベトナム国籍の無職、グエン・ドック・チン被告(37)=入管法違反(不法残留など)の罪で起訴=を窃盗容疑で再逮捕した。同課などはベトナム人グループによる犯行とみて調べている。

そうか、こいつがシャインマスカットを盗んだんだな。悪いやっちゃ。
って印象を否応なく伝える記事の本文を読むと

9月15日夜、パトロール中の警官にあやしまれ追いかけられる
・翌16日未明、入管法違反(旅券等不携帯)容疑で現行犯逮捕
10月22日、入管法違反(偽造在留カード所持)容疑で再逮捕
11月11日、8月22~24日の窃盗容疑で再逮捕

って時系列なことがわかって、群馬県警捜査3課の2ヵ月にわたる活躍がしのばれるわけです。
在留カード持ってない? はい逮捕。
在留カード、偽造じゃん。はい再逮捕。
ブドウ盗んだことを認めるんだな、よし再逮捕。
えーと、この一連の流れ、別件逮捕とか拘留期限の延長に際しての人権配慮とか自白に過剰に依存した起訴とか、そういう懸念は断じて無く、 世界中の人権団体から責められても立派に対応できる裏付けがあるんですよね?
あと、報道する側もちょっとはそういう視点を持ったほうがいいのでは。

■犯した罪を糾弾することに留めず、いろんな視点から事象を伝えようとするテキストが目に入る本邦の現状は、まあ悪くないだろう。って俺の中のぺこぱ松陰寺は言うんだけど。

■とはいうものの(再び)たとえばこの事案ですよ。

埼玉県上里町のアパート一室で違法に豚を解体した疑いでベトナム国籍の元技能実習生、チャン・スアン・コン容疑者(29)が逮捕された事件で、県警は7日までに、この部屋を家宅捜索し、同居する同国籍の男(27)を入管難民法違反(不法残留)の疑いで逮捕した。北関東で相次いだ家畜や果物の盗難との関連を捜査する。

ベトナム人と見ればかたっぱしから逮捕してる印象を受けるんですけど(俺だけ?)それって結局、うしろぐらいところがある人たちをアンダーグラウンドへ追い込むことにつながってません? 現政権が謳う「自助共助公助」における「共助」を推進しているのだと思えばいいんですかね?
でも「共助」って善の方角にのみ適用される概念なわけではなく、たとえばベトナム人のコミュニティーにおいては

「兵士」すなわちbodoiって「共助」のシステムが既にあり、それは2月に朝日新聞がそこそこ詳しく伝えた通り、簡単にいえば悪い方角に物事が進み始めている。

「bodoi(ボドイ)」。失踪したベトナム人技能実習生は、フェイスブック(FB)上で同胞からそう呼ばれている。本来の日本語訳は「兵士」だが、警察や入管当局から隠れて日々奮闘しているという意味も込められている。FB上では、「bodoi」に地名などを組み合わせたグループが多数存在する。登録者が1万人を超えるグループもあり、失踪者たちが求人情報を交換している。

「共助」の推奨が「分断」を助長する方向に社会を動かしつつある。と気付くこともなく、ベトナム人なら犯罪を疑え&まず不法滞在でつかまえとけ。って浅い理解が浸透する現状が、おそろしいなあ。って思うんです。

■法の運用は機械的に適法違法の○×を付けていくこととは違うはずでは、となんとなく思っているマンなので、見逃せなかったニュース。

裁判長は「送還によって婚姻関係の維持が困難になり、重大な損害が生じる恐れがある」とする一方、「夫妻は退去強制の可能性を認識しながら同居を始めており、不利益は受忍すべきだ」と指摘した

先駆けること1年、毎日新聞の記事をちょっと長めに引用します。

サディクさんの人生は、日本の外国人受け入れ政策に翻弄(ほんろう)されてきたように思える。
日本は長らく、研究職などの専門職を除き、外国人労働者の受け入れを行わない立場を貫いてきた。だが、実際にはこうした建前とは異なり、水面下で外国人が低賃金労働を担ってきた現実がある。
バブル期、人手不足に陥った日本には多くの外国人が出稼ぎに訪れ、建設現場や工場などで不法就労していた。サディクさんが入国したのもこのころだ。法務省の統計によると、不法残留者はピーク時の93年時点で約30万人に上る。取り締まりは現在ほど厳しくなかったと言われ、当時を知る外国人や識者らは「不法滞在は半ば容認されていた」と口をそろえる。
だが、バブル崩壊に前後して外国人の急増による治安悪化への懸念が生まれ、外国人受け入れに関わる制度の整備が進んだ。90年の入管法改正で日系人が無制限で働けるようになり、93年には技能実習制度がスタート。これまで不法滞在者が担ってきた労働現場は、これらの制度で新たに受け入れた外国人たちが埋めていくことになる。サディクさんが摘発された07年時点で、不法残留者数は約17万人に減少していた。
一方で、バブル期に入国し、日本で長く働くうち母国とのつながりが途絶えたり、日本で家族を持ち、帰れなくなったりする外国人も少なくなかった。25歳で来日したサディクさんもそんな一人だ。すでに人生の半分以上を日本で過ごした。「家族を残して帰れるわけがない。こんなことなら、30年前に捕まえてくれればよかった」

■ほかにも今週はこんなニュースがありました。

お、最後のはレバノンのニュースだった。ついうっかり日本のニュースかと思って。だって数週間前、こんな記事あったからさ。


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