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ヒンディー語映画『ソニ』(2018)を見て某映画レビューサイトには書かなかったこと

映画を見ました、自分にはまったく合わなかった。ってことはありますな。その理由を作品のせいにするか、自分のせいだと思うか、後者の可能性を最初から排除するひと、いますよね。たぶん仲良くはなれないし、向こうもこっちのことはそう思うとるからお互いさまじゃ(突然の千鳥大悟)。

ここでいう「自分のせい」とは、興味を引く題材ではなかったから表面的にしかとらえることができませんでした。だったり、物語以前に語り口のクセについていけませんでした。だったり、酒飲んでたからつい寝た。だったり、まあいろんな種類があると思っていて、要するに私が否定したいのは、映画を見て「もりあがることもなくつまらなかった」とか「もっと〇〇ならよかった」とかいうタイプの感想なんですよ。
それ、キミの解像度が低いせいとちがうんか。解像度が低いとどうなるか、教えたろか。そういうひとの目に映るモノはな、粗いねん。……ってそんなことはね、なかなか言えないし、書けないじゃないですか(とnoteに書く)。

上であげたDPZの2本は解像度が高い(ただし対象はハーブのみ)ひとが渋谷を本気で見たら何が見えるか、というエピソードで、

──普段、植物探しに街を歩いたりもするんですか
山下「しますね。本当に変人扱いされることが結構ありますよ。」
──どういう瞬間が面白いですか見つけた時ですか
山下「こういう所だと外国から来てる植物があるんで、新しいものを発見した時はときめきますね。」
林「僕らは普通に歩いてますけども山下さん情報量が多すぎますよね」
山下「一個一個に全部意味があって歴史がありますからねああいうのとかも。」

って一節を読んだときに連想したのが、絶対音感のひとがスイッチ入れて世界の音を聴いたら。とか、フォント沼のひとが真剣にまちなかの看板を眺めたら。とか、ええ、解像度が高い/低いってそういう意味で私は使いたいんです。

仕事でやむなく付き合ってるんですけど、解像度低いパーソンに文書(お手本)を見せて、文書(そのひと製)とどこが違うか分かりますか。って聞いたらガチで「どこが違うか分かりません」って答えられたのがショックでねえ。
そうか、少なくともこのひとはこの分野においてとても低い解像度で暮らしてるんだな。と、あきらめの境地に至ったものの、そのことを解像度の低い上司に伝えても伝わらないっていう地獄に、いま、私はおりまして(たぶんなにかのバチがあたっている)だから映画『ソニ』(2018)の面白さが分からないのは映画のせいじゃねえよ。説をむやみに推したくなっている。

作品終盤、サムネイル写真のシーン(photo from IMDb)でふたりの女性がアムリタ・プリタムという詩人の著書を前に交わすダイアログが印象に残りました。
映画のオリジナル言語はヒンディー語なので、日本語も英語も「字幕」なのですが、雰囲気は伝わると思うので引用します。なお( )は私による補足説明。

ソニ「(上司であるカルパナから贈られた本を手に取りながら)プリタムの短編は読んだ」
I've read a few short stories by Amrita Pritam.
カルパナ「これは彼女の自叙伝」
Good. This is her memoir.
ソ「サイン入りを(くださるんですか)?」
You're giving me your own copy?
カ「あなたに持っていてほしい
Yes, I want you to have it.
きっと気に入る
I'm sure you'll like it.
それを読んで私は少し疑問が解けたから」
If not all... it should answer a few of your questions.
ソ「すみません……(書名の)レヴニュー・スタンプって?」
What is a revenue stamp?
カ「タバコ税と酒税を収める時に使う収入印紙のことよ
It's a small excise stamp for tax collection on tobacco and liquor.
ある時1人の著名な作家がプリタムに言ったの
An esteemed writer once told Amrita Pritam...
“君の人生は取るに足らないものだから
that her life was so inconsequential...
印紙の裏のスペースで十分に書ける”と」
that all of it could fit on the back of a revenue stamp.

太字にしたところ、日本語と英語とで意味が違っているのですが、なにぶんヒンディー語なのでどっちが正解なのか、分かりません。(あとその直後のセリフ、ひとこともたぶん「すみません」って言ってないのに日本語字幕が率先して挿入しているのは興味深い)
個人的には英語のニュアンスのほうがしっくりくるものの、カルパナが自分の過去をソニの現在に見ている、日本語訳のニュアンスも悪くない解釈な気もして、どっちもいいな。

ソニとカルパナという、ふたりの女性が話している『収入印紙』(1977)という詩人の自叙伝の書評も読んだのですが、とるにたらないと言われた私の人生を書くけど、って意味でつけたらしいこの風変わりな書名は、作家のシニシズムのあらわれっぽく、なるほど困難の多い社会を生きていく後輩に贈るには、良いチョイスなんだろうな。ぐらいのことは分かりました。
ちなみに「ちょっと何言ってるのか分かんないです。分かんないですけど……ありがとう」みたいな顔をソニがするのが、良いシーンなんですよね。
ってこんな書き方をしたらなんだかめちゃくちゃオススメっぽいですけど、作品としては相当地味なのは事実なので、その辺はご留意いただきたく。
ただ、ストリーミングで映画を見るライフスタイルが定着していなければミニシアターで見るしかなかったろう作品だし、レンタルショップで仮に見かけても十中八九、手に取らなかった系だとも思うので(俺は本来ハリウッドのばかばかしい作品が好きなんだ)偶然見た御縁を感じて、本日ご紹介した次第。

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