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気に入りの器が与えてくれたもの

大好きで、ふと気づくと、集まってしまっていたものって、何かありますか? 
あるとしたら、そのものと、風通しのよいつきあい方を見つけておられるでしょうか?

コレクションがどっさりある、というと、うれしい反面、いつの間にか気分的に重くもなってきます。

そして、今はものを所有することを控えたい、というのが、おおかたの時代の気分な気がします。

で、複雑な心境で、せっかく集まってきてくれて生活によろこびを与えてくれる器を眺めつつ、この器たちが、自分にどんな変化をあたえてくれたのか?見てみました。

1 食材だけに頼ることなく、食べることを楽しめる。

年齢的、または健康上の理由から、食べるものの量や種類を制限されている人は少なくないかもしれません。そういうときは、盛り付けに工夫しないと、食事が寂しいものになりがちですね。

ですが、お気に入りで存在感のある(作り手の?エネルギーを感じる)器に盛るならば、むしろ、ちょこんとのっているくらいの方がかっこよい感じがします。

食事は目でも食べる、と言いますが、器は、本当に胃袋ばかりでなく、心を満たしてくれます。

2 ものの扱いが丁寧になる。

以前は、器を買ったら、壊すのが怖くて使えずにしまっておくタイプでした。ですが、友が「道具はつかってこそ」タイプなので、その影響で、大事な器もふだん使いするようになりました。

すると、必然的に扱いが丁寧になります。
洗うときしまうとき、手に取るときに意識が散漫だと、壊してしまいます。

私は、壊しては、金継ぎで修繕してくれる器好きの友のお世話になり続けています。

大切な器を使うことで、自分が日頃、どれくらいうわの空でいるか、教えてくれるアラームのような働きも得られるようです。

以前聞いた話では、学校などで、壊れない器具や実験道具を用意して学生に実験・研究させると、ものの扱いがぞんざいになって、かえってものを壊しやすくなる、壊れないものは教育上よろしくない、と聞いたことがあります。

納得ですよね。

それほど高価なものでなくとも、作り手の顔が見える器を使っていると、その人の顔も浮かび、扱いが丁寧になるのは、大量生産品でないもののもつ力だと思います。

3 器を通して、地域の環境や産業、働き手にも目が向くようになる。

工業製品だって、原材料そのものばかりでなく、生産、運搬のためのエネルギーは、全部自然界から頂いています。

それは、食べ物も器なども同じです。

それでも、手作りで作られ、焼く段階でも、今でも登り窯で焼き物を作ってておられる窯元などを訪れさせて頂くと、窯には神棚がそなえられているところもあります。

また、火力が強くてよい燃料となるアカマツやリュウキュウマツの薪は、松枯れで入手が困難になっています。

とにかくとにかく、現地で説明を聞くと、気の遠くなるような労力をかけて作ってもらっていることを知り、おそわれるというのか、頭が下がるを通り越して、畏敬の念のような気持ちが湧いてきます。

器を目にして、あの作家さんはどうしておられるかな?と、ご健勝を願うこともあります。


今はきっと、時代の大きな変化の時、若い人をみていると、豊かさに対する価値観もかなり変わりつつあります。

時代の変化も取り入れながら、自分の納得のいくものとの付き合い方をして、これからもよい影響を受けていけたらいいな、と思っています。


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